糖尿病患者や要介護認定者などの割合が低所得・低学歴者ほど多いことが指摘されている。社会的な富の再分配を求める声が上がる一方、生活習慣を個人の責任とする議論も後を絶たない。雇用形態や所得、社会的階層の違いから生じる健康格差とは。公衆衛生研究をされている、千葉大学近藤克則教授にその実態と解決方法を伺った。2016年10月17日(月)放送TBSラジオ荻上チキ・Session-22「誰にでも可能性はある。健康格差の実態とは?」より抄録。(構成/増田穂)
■ 荻上チキ・Session22とは
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健康格差は過去の問題?
荻上 本日のゲストをご紹介します。公衆衛生がご専門の千葉大学教授・近藤克則さんです。よろしくお願いいたします。
近藤 よろしくお願いします。
荻上 近藤さんは普段どのような研究をされているのですか。
近藤 予防医学センターで、予防医学の中でも社会疫学と言われる分野を研究をしています。はやり病の罹患率を社会的な層に分けて分析したりして、原因を探る学問です。具体的には健康と関連する社会的要因や、不健康に繋がる要因を減らす方法を研究しています。
予防医学や疫学研究の例としては、タバコが有名です。当初タバコが身体に悪いとは知られていませんでした。ある時、早死にする人の調査をする中で喫煙者と非喫煙者を分けたら、結果が全く違うことがわかった。そこからタバコと健康の関連性の研究が進み、タバコは健康によくないと知られるようになりました。健康のため禁煙が重要であることが社会的に認知されるまでには、こうした背景があったのです。
荻上 受動喫煙に代表されるように、最近本人の生活習慣以外に環境が与える影響についても検討されるようになりました。より環境的な要因から健康を考えるのが、健康格差の問題ということでしょうか。
近藤 そうですね。メディアではタバコや生活習慣が頻繁に取り上げられていますが、健康に影響する環境要因もいろいろあります。私は社会経済的な要因に着目していますが、他にも日照時間が短い地域ではうつ病が多いといった自然環境の面から研究している人もいます。住む環境による地域間格差もあります。
社会経済的な要因による健康格差については、100年近く昔はあたり前のことでした。しかし、社会が豊かになるにつれ、その関係性は重視されなくなった。ところが、近年改めて先進国でも貧困状況と個々人の健康に関連が残り、むしろ拡大する傾向があることがわかってきて、注目されるようになりました。
荻上 一時は一億総中流社会とも言われ、社会が平等だと認識されていました。こうした言葉が覆い隠してしまった実態が改めて指摘されていますね。
近藤 はい。格差自体が徐々に広く、深くなり、その影響が健康にまで及んでいると実感している人が増えました。現状を危惧する人も多くなっています。
荻上 近藤さんが健康格差に注目するようになった理由は何だったのでしょうか。
近藤 以前臨床医をしていた時に、脳卒中の患者さんを数多く診ていました。当時は景気がよかったので、社会全体では生活保護を受けている方の数は非常に少なく、受給者は100人に1人程度でした。ところがある時、自分が担当している患者さんのリストを見ると、100人中4~5人の生活保護受給者がいる。かつて指摘されていた貧困と病気の関連性が、今日でも残っている問題なのではないかと考えるようになりました。
しかし、臨床の現場では患者さんだけを相手にしていますし、数も限られるので、マクロな視点からどのような社会的な層に患者が多いのを調べられません。そこで大学の教員に転職し、地方自治体と協力して健康格差の研究をはじめました。その結果、低所得者の要介護認定率は高所得者と比較して5倍も高いことがわかりました。多少の差があると推測したからこそ研究を始めたわけですが、ここまでの差が出たのは驚きでした。これは重要だ、と急いで学会発表したわけです。
健康格差は自己責任?
荻上 健康格差における低所得のラインは、年収だとどれくらいなのですか。
近藤 収入に関してはさまざまな調べかたがありますし、絶対的な数値以下の人たちだけに不健康が見られるわけではありません。前出の調査では、個人情報を保護した上で市町村から資料をいただき、非課税対象者と年収400万円以上の高齢者を比較しました。
荻上 健康問題を自己責任とするような風潮に関してはどうお考えですか。
近藤 特に糖尿病などは生活習慣病ということが一般に認識され、「生活習慣が原因」という面ばかりが強調されてています。しかし同時に、生活習慣だけが原因ではないということもわかってきている。
イギリスの研究で、出生児体重と糖尿病の関連性も見つかっています。出生時に赤ちゃんの体重を量った記録と、その後の健康状態との関連を分析しました。その調査によると、低体重の赤ちゃんは将来糖尿病になる確率が、標準体重の赤ちゃんの5倍以上高かった。
糖尿病はインスリンという物質への感受性が低くなることで起こります。その後の研究で、胎児の時に低栄養状態に晒され続けると、この感受性が低下することがわかりました。母体にいるときの栄養状態によって、生まれてくる赤ちゃんが糖尿病になりやすい体質になってしまう。まさか、生まれてくる前の栄養状況を、赤ちゃんの自己責任だという人はいないでしょう。
糖尿病になりやすい体質の子ども、つまり低体重出生児は、経済的に余裕がなく、栄養状態が悪い家庭に多いことがわかっています。こうした点を踏まえると、糖尿病の発病には、生まれる以前を含め、子どもの頃の生育環境などさまざまな要因が絡み、自己責任とは言い切れないことが理解できると思います。
荻上 生得的な体質も、遺伝や環境的な要因などが複雑に絡んでいる。どこからが自己責任なのか、簡単には分けられない印象ですね。
近藤 そうですね。正規雇用者と比較すると、非正規雇用者の健康状態が悪いこともわかっていますが、正規社員の枠が少なくなり、希望しても正社員になれない世の中です。「不健康になったのも正規社員にならなかったお前の自己責任だ」と言うのは、イス取りゲームのイスを減らしておいて、イスに座れなかったのは自己責任だというのと同じで、少々乱暴でしょう。社会全体で正社員のイスを増やしたり、仮に非正規雇用者でも、安心して生活できるような対策を取ったりしていくべきだと思います。
荻上 所得や胎児の時の栄養状況以外では、どのような要因が健康格差につながるのでしょうか。
近藤 社会経済的には、所得の他に、教育を受ける機会の有無や雇用状態、職業階層などもあります。イギリスでは、同じ公務員の中でも、職業階層によって死亡率が違うというデータが出ています。管理職、専門職が比較的死亡率が低く、それ以外の人たちで死亡率が高くなっていて、この影響は退職後も引き継がれています。
荻上 仕事の上でのストレスなども関係しているのでしょうか。
近藤 社会経済的な差異がなぜ健康状態に影響を及ぼすのか、そのプロセスとしてストレスや生活習慣、利用できる資源の豊かさなどが違っていて、それらが積み重なって徐々に差がついていくことがわかっています。
荻上 健康格差の研究は世界各国で行われているのでしょうか。
近藤 国際的には、アメリカやイギリスが研究の先端を走っています。どちらも健康格差が大きな国で、重要な社会問題として考えられています。関心のある研究者も多く、研究費を支援する財団も多かった。両国が研究を進めたことで、過去の問題とされていた社会的・経済的要因と健康状態の関連が、現代の問題として改めて確認されました。これを受けて2009年には、世界保健機構が健康格差の問題を取り上げ、総会決議で、その研究や対策の必要性を世界に訴えました。以後各国で研究が進み、現在では世界的な動きとなっています。
日本でも、研究はまだまだ発展途上ですが、多くの方が健康格差の事実を認識してくださるようになって来ました。国としても健康格差の縮小を目指すと、厚生労働省が動き出しました。
荻上 リスナーからはこんな意見が届いています。
「非正規雇用では健康診断が義務付けられていない点、仕事中受診できないため健康診断のために仕事を休まなければならない点、受診できる診察項目が正社員と違う点で、正規雇用と大きく異なります。受診できる診査項目など、正規雇用と同様にして欲しいです」
「以前うつ症状が悪化して、上司に相談したところ、非正規職員は病気の休みがとれないので、退職するように言われました。正規職員は簡単に病気で休みを取ることが出来ます。心の健康度も、正規と非正規で変わってくると思います」
制度的な面で、正規・非正規雇用の健康格差が人工的に作られている側面がありそうです。
近藤 どちらも健康格差を生み出す日本の現状の典型的なケースです。とは言え、日本でも正社員に対する保障制度も昔からあったわけではありません。何十年もかけて徐々に労働者の健康は雇う側にも責任の一端があると考えられるようになり、健康診断の受診を雇用側に義務付けるような仕組みが出来てきた。現状では、給与水準やいろいろな保障などを、正規と非正規の雇用者の間に、差をつけないで行っている国もある一方で、非正規労働者を安上がりな短期的労働力と捉え、十分な保障を行っていない国もあります。非正規雇用の割合が増加したにも関わらず、給与や制度的保障が正規社員と大きく異なる日本は、残念ながら大きな格差を生んでしまっています。いつまでも、このままにしておくのか、差を無くしていくのか、社会としてどちらを選択するのか論議すべきです。
荻上 健康診断の制度の違いにより、病気の早期発見や、効果的な治療を行うための情報へのアクセスにも格差が出ていますね。
近藤 正社員は職場の診療所を利用したり、検診車が職場に来てくれたり、雇用している側に義務づけられていて、受診時の給与も保障されていますが、非正規の人は1日仕事を休み、日給を諦めないと受診できません。当然、検診の受診率も低くなる。本来こうした人こそリスクが多いわけですが、それなのに検診を受けにくいという、ねじれた状況です。この公平性の問題を放置しておいて良いのかというが、健康格差を巡る論点です。ここを正さないまま、本人の自己責任ばかり問うのは果たしてフェアでしょうか。
荻上 リスナーからもそうした指摘が多数きています。
「自営業をしています。売り上げが落ちたので給料を下げたら、医療機関にかかる回数が減りました」
「フリーランスのため健康診断は強制ではありません。自分で行くとなるとついつい後回しにしてしまいます。その上人間ドックは高く、正社員でないと健康保険組合からの補助あっても自己負担で2万円以上かかり、なかなか厳しいです」
所得を手放し、さらに出費がある。こうした理由で余計に病院から遠のいてしまう方は多いのでしょうか。
近藤 そうですね。今では日本の就労人数の4割が非正規です。検診に行きやすい制度が必要です。【次ページにつづく】