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青猫文具箱

本と文房具を愛でる日々。

いなくなった同僚の仕事を引き継ぐ時の備忘録。

仕事

ある日突然、同僚が来なくなった。時々あることですよね。事情は様々で、体調を崩したのか逃げたのか見限ったのかどうしようもなくなったのかは、その職場の環境によりますし、今回の本題でないので横に置きます。

それで、結果として放置された仕事は、その周辺にいる誰かに割り振られることになります。ブラックボックスで放置されることもありそうですが、放置のままでどうにかなることはあまりない。放置の結果思いもよらぬタイミングで炎上しても怖いので、大抵は誰かに割り振られます。

そんな感じで、いなくなった誰かの仕事を引き継ぐという経験が過去3回、うちひとつは現在進行形で炎上気味の案件を処理しているんですけれども、気晴らしにそういう状況下で自分が考えることについてライフハック風に書きます。

 

その1、当事者意識を持たずに主導権を握る。

来た球を打ち返すだけで精一杯だと、目の前のことしか見えなくなる恐れがあります。そして思いもがけないタイミングでつまづく。

そのため、多少一時的な停滞が発生したとしても、仕事の全体像を把握しなければいけません。まずはじめ、いなくなった同僚の仕事について、その同僚の上司なり部下なり机の上のファイルなりから、対処すべき案件がどれだけあるかを情報収集、リストアップしていきます。次に、自分が使える手持ちの札(上司であれ部下であれアウトソースであれこの案件に投入することが許されているリソース全部)を再確認。最後に、自分の担当している仕事も合わせた上で優先順位をつけ、割り振っていく。

ただ、仕事に対して主導権は握るんですけれど当事者意識は持たないように気をつけます。あくまで代行者でしかないというスタンスで処理しないと、リソース変わらず単に仕事増えただけになって自分も共倒れになるリスクが上がります。

自分は雇われ人でしかなくて、他人の仕事をがんばってもがんばらなくても給料は変わらないことを思い出します(でもボーナスくらいはつけてほしい)。

 

その2。ショック・ドクトリンを意識する。

ショック・ドクトリンというのは、手前味噌ですけども、

ショック・ドクトリン

惨事便乗型資本主義(あれ、政治学用語だっけ?)。ナオミ・クラインが自著で「真の変革は、危機状況によってのみ可能となる」と述べた通り、変革は危機的状況でなされるもの。要は火事場泥棒的に便乗するってことです。

あまりの忙しさで上司がパニクってる時、誠実な部下の顔をしながら乗っかって、慣習に風穴をあける(無効化する)/権限を移す/恩を高く売るテクニックです。

ゆるふわ会社員のビジネス心理学12選(対上司編)。 - 青猫文具箱

「真の変革は、危機状況によってのみ可能となる」。正常時でないことを活用し、自分担当の仕事であれ、引き継ぐことになった仕事であれ、都合のいいように慣習に風穴を開けることを考えます。

非常時という大義名分の元に「これ正直やるメリット感じてないんだよね」という仕事をやめてしまったり、「前からこの仕事の担当者ランク落としたかったんだよねー」という仕事を部下に権限移したりと、モヤっとはしていても、平時では理由が見つからないためなかなか変えられなかったルールを弄る。

特に、同僚から引き継いだ仕事の中で「何でこんなことやるの?」て仕事は割とばっさり切っちゃう。無知は罪とはいうけれど、時には武器になるわけですよ。知らないふりしてやらない、という選択肢が取れるのは、仕事を引き継いだ初期段階だけなので、それを最大活用します。あとで重要と分かれば「引き継ぎが上手くいってなかったみたいで」の言い訳でやり直せば良いのですし。

普段なら丁寧に根回ししてボトムアップで上げていかなきゃいけない案件を「こういう状況ですので」と上司を動かしてアップダウンに意思決定するのもありだと思います。上司に動いてもらって空中戦でカタをつけてもらった方が、スムーズに物事が進むことって結構多いので。

 

その3。「やって当たり前」じゃないことを上司に認識させる。

その1の当事者意識を持たないの延長戦ですけれど、いなくなった同僚の仕事を「やって当たり前」と上司に認識されると、平常業務に組み込まれるという悲劇が待ってます。なので、大変さはきちんとアピールします。

いなくなった同僚が戻ってきたときに「君の方は手伝えるだけの余裕があったんだね」なんて人事権のある人に認識されると、人員減ないしは仕事を増やされる、泣きっ面に蜂みたいなことが起こりかねませんし。大変さアピールは死活問題。

普段は自分の業務のように当たり前に処理しつつ、要所要所でだけ「この仕事の責任者が本来誰であったのか」「いつまでこの正常じゃない状況が続くのか」を確認します。常時「大変です」といい続けると、上司も慣れで申し訳なさが減っていきますし「嫌な部下だな」度が上がりかねないので、こういうのってランダム性が大切。

「申し訳ない」という認識がない上司であれば、仕事を引き継ぐ時点で線引きを明確に確認しちゃう。何をいつまでどのレベルまで処理するのか。責任は誰が負うのか。そのために追加リソースとして何を割り振ってくれるのか。ちなみにこれガチガチに詰めた結果「じゃあいいよ他の奴に振るから」と逆ギレされたこともあります。よし。

時期によっては「業務調整すれば、仕事増えても当面凌げるかな」という時もありますけれども、自分が一生そのポジションにいる訳でない以上、後任が苦労するのは目に見えているので、一時期上司との関係性が崩れてもそこは譲んないほうがいい。

 

終わりに。

コンセプトとしては「がんばって、共倒れになっちゃいけない」です。

人生で初めて、いなくなった同僚の仕事を引き継ぐことになった時、まるで会社が自分のがんばりに支えられているような錯覚に陥って、周囲を巻き込みつつ、がんばるだけがんばったことがあって。

ある意味「いい経験」ではあったんですが、いなくなった同僚の仕事ごと引き継ぐ羽目になった後任に、後から恨まれたんですよ。「こんな仕事量捌けないし、先輩が捌かなかったらちゃんと人増やしてもらえたかもしれないのに」て。自分は凌げたことに達成感抱いてたので、頭から冷水をぶっかけられた気持ちになりました。やりがい搾取みたいな状況に気がついてなかった自分に反省。

今では、自分のポジションに対して分相応であれ、ということをよくよく心がけてます。仕事ってがんばればがんばるほど、単位あたりの価値は下がっていきますし。収穫逓減の法則ですね。

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そう、あなたやあなたの同僚、あるいはライバル会社の社員が長時間がんばって働けば働くほど、「1人1人が1時間あたりに働くことで得られる価値」の平均値は下がってしまうのです。(中略)

収穫逓減の法則からわかるのは、あなたの給料が上がらないのはがんばりが足りないからではないということです。むしろ同じやり方の中でがんばればがんばるほどそのがんばりは割に合わないものになっているのです。

ほどほど中庸が何よりも肝要。

でも思うんですけれど、こんなのだらだらと書いてる時点で自分、相当メンタル削られてるなーとか。こうしてブログ書く余裕がある分ましだけれど。共倒れになったら間抜けなので、ほどほどのところで自分も手を放しちゃいたいな、まぁでも年末だから年明け状況変わること期待してやり過ごそう、みたいな感じで〆です。