「優先席論争」のシンプルで正しい考え方 週刊プレイボーイ連載(269) 


電車内の優先席をめぐるお年寄りと若者の口論が動画サイトに投稿され、議論沸騰の騒ぎになりました。

動画では、お年寄りが「代わってくれって言ってるんだよ。席を」と優先席を譲るよう求めたのに対し、その言い方に気分を害したらしい若者が「悪いけどそういう人に譲りたくないわ…残念だったな」と拒否し、「なに。そこ優先席だってわかんないんだ」「わかんないですね」で会話が終わっています。

なんとも不快なやりとりですが、この動画の投稿主は「私は優先席を譲りません!!なぜなら先日、今にも死にそうな老人に席を譲ろうとしてどうぞと言ったら『私はまだ若い』などと言われ、親切な行為をした私がバカを見たからです」と動機を説明しています。

これについてネット上ではさまざまな意見が交わされましたが、優先席を「高齢者などに優先的に席に座る権利を付与したもの」と定義するなら、どちらが正しくどちらが間違っているかはクリアに説明できます。

まず、動画に登場したお年寄りは優先席に座る権利を持っており、その権利を行使したわけですから、若者はたとえ相手の口のききかたが不愉快でも席を譲る義務があります。なぜなら、権利と義務は一体のものだからです。

その一方で、権利を持つひとはそれを放棄することもできます。「今にも死にそうな老人」に席を譲ろうとしたのに断られたとしたら、その老人は自らの意思で権利を放棄したのですから、善意を裏切られたなどと傷つく必要はなく、そのまま座りつづければいいのです。

このように「権利」には、それを持つひとが行使するのも放棄するのも自由、という性格があります。いったん権利を行使すれば、相手にはそれに従う義務が生じます。しかし権利を放棄するのも自由なのですから、その場合はなんの義務もないのは当然です。

私の経験では、アメリカの電車で障がい者用の席に座っていて、車椅子のひとが乗ってきたので席を立つと、礼もいわず当然のように車椅子をそこに固定します(ちょっと偏屈な感じのひとでしたが)。若者が高齢者に席を譲ろうとして断られると、「オーケー」といってそのまま座りつづけます。日本のようにお互いに席を譲り合う光景も見られますが、これでなんの違和感もなく、お互いになんとも思いません。

それに対して日本では、権利を行使する際に義務を負うひとの了解をとらなければならない(すくなくとも感情を害してはならない)とか、こちらが義務を果たそうと申し出ているのに一方的に権利を放棄するのは失礼だとか、きわめて特殊な約束事があるようです。

それを日本人の美質だとか、おもてなしだとかいうのかもしれません。欧米のように、権利と義務の関係を明確に定めるのを「冷たい社会」だと感じるひともいるでしょう。しかし、これだけは知っておく必要があります。

「権利(義務)とは何か」をちゃんと理解せずに、いたずらに権利ばかりを付与すれば、電車のなかで起きたような不快な出来事があちこちで頻発することは間違いありません。あなたはそんな社会を望みますか?

『週刊プレイボーイ』2016年12月5日発売号
禁・無断転載

カテゴリー: Column, そ、そうだったのか!? 真実のニッポン タグ: , パーマリンク

「優先席論争」のシンプルで正しい考え方 週刊プレイボーイ連載(269)  への3件のフィードバック

  1. 尖沙咀 のコメント:

    だから、そういう不愉快な動画を
    多大な労力とリスクがあるのにも関わらず、

    わざわざネットにあげるという、
    モチベーションはなぜ生じるのか?

    という考察をしなければならないのです。

    人生、生きていれば不愉快なことや
    腹が立ってたまらないことは多々あります。

    そういったことが文学や芸術、音楽
    (いまなら漫画やアニメやコスプレ?)
    といった表現への原動力へ昇華することも
    ありましたが、

    今は未消化(未昇華)のままネットにあげられて
    いるだけの話ですよ。

    *************************************
    今のところは、もっぱら深夜の受話器や同好会のサークルノートにたたきつけられている、青春の情熱や個人的な愚痴や妄想や表現欲求が、大量に出版され、あるいは通信回線を通じて不特定多数の読者に向かってバラまかれるのだとしたら、これは相当に鬱陶しいことになるに違いない。(*1)

    小田嶋さん、いまのブログってどうですか?

    我が心はICにあらず (光文社文庫) 小田嶋 隆 https://www.amazon.co.jp/dp/4334709982/ref=cm_sw_r_tw_dp_x_3RFtyb212PQWB
    (*1)『我が心はICにあらず』の「回線上のはあはあ電話」から。
    書名:テクニカル・エッセイ『我が心はICにあらず』
    著者:小田嶋隆
    出版社:光文社
    備考:光文社文庫 1989年8月20日 初版1刷発行

  2. 匿名 のコメント:

    権利とか義務とかそんな大げさな話じゃなくて、
    今にも死にそうな老人が「結構だよ。ありがとう。」といえば、
    つまり攻撃的なことを言わなければなんの問題もなかった、
    単なるコミュニケーションの問題ではないのかな。
    譲るのは違う人物なんだから、若者は間違ってるけどね。
    でも若者がバカになったのは、老人がバカだからさ。

    アメリカでも譲られる側が不快なことを言えば、譲る側が不快になるのは同じじゃないの。

  3. 未来 のコメント:

    僕も権利とか義務の話ではないと思うなぁ。そもそも、優先席というのは権利なのか?
    最近、横柄な老人が多いのも事実である。

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