一昨日からLINE BLOGの一般開放がはじまり、さまざまな書き手が登場しています。また、LINE BLOGやブログそのものに対する考察もたくさん頂戴し、ひとつひとつ丁寧に目を通しています。ありがとうございます。
チープな書き手
そのなかからひとつ、けんすうさんが、LINE BLOGが集めようとしているのは「チープな書き手」である、と(おそらくは何気なく)言ったことをとっかかりにして、思い浮かんだことを書いておこうと思います。
なぜ私がその言葉に引っかかったかというと、それまでLINE BLOGに集まったブロガー(つまり公式の芸能人ブログ)をチープな書き手だと思ったこともないし、チープな内容だとも思ったことがないからです。
正確にいえば、昔はそう思っていたこともありましたが、芸能人ブログをちゃんと読みはじめて研究してみると、とてもそんな風には思えなくなりました。侮られがちなその文章のなかに込められた工夫や可能性や豊饒な意味を、一部の読み手が汲み取れていないだけです。が、これについては今は深入りしないでおきます。
私にとっては、はてなブログ/Medium/noteのブロガーも、アメブロ/クルーズ/LINE BLOGのブロガーも等価に映っています。
一方で、「ネイティブ広告ハンドブック」のまえがきは、ひどい悪文だなと感じました。わかりづらい云々じゃなく、ただ単に悪文。
けんすうさんの「チープな書き手」発言に違和感をおぼえ、JIAAの「ネイティブ広告ハンドブック」を悪文と感じる。それはなぜか。
私の中にはひとつの単純な尺度があって、それに照らして好ましく思ったり思わなかったりしています。
その尺度というのは、印刷言語かコミュニケーション言語か、というものです。
ウェブ時代の文章読本2013
インターネットが本格的な普及期に入ったこの10年、私たちが常用する文章作法は自然にアップデートされていっています。渦中にあるとなかなかそれが感じられませんが、一度足を止めてそれを振り返ってみよう、というトークイベントをひらいたことがあります。
そのときお招きしたゲストは、ブロガーのやまもといちろうさんと、いちるさん。明治の小説家たちが言文一致運動であたらしい日本語をこしらえていったように、現代においては、ブロガーたちがあたらしい言葉を切り拓く急先鋒になっているのではないか、との思いからそのような会が実現しました。
そのときに、私はこんな前口上を書きました。
長いので要点を書きます。この記事では、斎藤美奈子さんが2002年に書いた『文章読本さん江』の流れを受けてこんな主張をしました。
- 私たちが日常的にふれる言葉は、「印刷言語」から、「コミュニケーションの言語」に変わってきている。メール、掲示板、などなどインターネットの影響。
- 言葉はいつの時代も、ドレスダウンに向かう。フォーマルな服を着崩したり、労働者の服(ジーンズなど)を取り入れたりすることが、粋でオシャレで通な人であるように、みんながかっこいいとおもう名文も、大衆が使う下品な言葉を取り上げながら、常にドレスダウンに向かっている。
- 現代は口語の範囲がウェブを代表とするさまざまなインターネットメディアによって爆発的に広がっている時代。もしかするとブロガーというのは、それらあたらしい口語と、伝統的な日本語との折り合いをつける技術に長けた、新世代の日本語技術者なのではないか?
話を元に戻し、まとめます。
ブロガーを「チープな書き手」と言うときに(チープな書き手は実際どこにでもいるのでそのように言っても勿論いいわけですが)、ドレスダウンされたあたらしい言葉の探求者でもあるという可能性ごと見落としてしまってはいないか? ということが私には気になるし、ウェブで読まれることへの想像力を欠いた「ネイティブ広告ハンドブック」は、私にはやはり時代にあわない悪文に感じられる、というわけです。
長くなりました。
まあなんというか、言葉が急激に変わっていく潮目に立ち会っているのってワクワクしますよね、ってことでひとつ。
おまけ
ちなみに、「ウェブ時代の文章読本2013」のイベントの様子は以下から確認できます。ここにはアメブロ/クルーズ/LINE BLOG的なものは含まれてませんが、なかなか珍しいトークイベントの記録としてご笑覧ください。
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