ガンバ大阪、FC東京でプレイしたルーカスのGoal Brasilによるインタビュー。日本でのタイトル、暮らし、自らの日本に対する思いについて語っている。
ボタフォゴ・サンパウロで頭角を現し、アトレチコ・パラナエンセで活躍したルーカス。シドニーオリンピックにブラジル代表として参加し、フランスのレンヌに2130万ユーロの移籍金で移籍した。しかしながらフランスでは活躍する事が出来ず、その後ブラジルに戻りクルゼイロとコリンチャンスで短期間プレイした。
彼が再び輝いたのは日本での事だった。FC東京からオファーを受け、すぐにそこでスターになった。4年後、今度はガンバ大阪に移籍し3年間でACL王者を含む4つのタイトルを獲得した。2011年にキャリアを終えるためにアトレチコ・パラナエンセに復帰。しかしながら数えきれない程の復帰要請を受けて、再びFC東京に復帰した。
「日本もだいぶブラジルとは違うけど、フランスに行った後に日本に行ったのが良かった。適応するのを助けてくれたと思う。だいぶ異なる国だけど、文化的にフランスよりも気に入った。もちろん最初は混乱したけど、サッカー選手としてだけでなく、ひとりの男として日本で成長したと言えるよ」
「(日本ではFC東京とガンバ大阪、どちらが特別なクラブか?と言う質問に対して)困らせるね(笑)ガンバでは3シーズンで4つのタイトルを獲った。プロとしてはより強かったし、強い愛情を持っているクラブだ。ただ自分のキャリアを救ってくれたのはFC東京だ。フランスで最悪だった自分を信じて、獲得してくれた。ガンバには感謝している。みんなにいつも大切にしてもらって、たくさんのイベントにも参加した。だけどFC東京とは特別な愛情と感謝の感情がある。だから引退するのを止めて、再びプレイする事にしたんだ」
「ガンバに移籍したのは、FC東京でタイトルが取れなかったからだ。2004年にカップ戦とトーナンメントを制したけど、その後はいつも中位だったり降格争いをしたりしていた。給料は良かったし、街も素晴らしかった。サポーターとの関係もとても良かった。チームのキャプテンだった。だけど物足りなかった。だから日本のトップクラブのひとつであるガンバからオファーが来た時、新しいチャレンジをすべき時だと思ったんだ」
「(アトレチコ・パラナエンセ復帰後間もなく、引退を宣言したがFC東京で現役復帰した理由は?)とても悲しい理由で引退していた。久しぶりにブラジルに復帰して、14試合で7ゴールを決めて個人的には良い時を過ごしていた。でもチームは無茶苦茶でフロントと私を連れて来た人間が争って、その人物がクラブを離れたんだ。更に私を苦しめたのは好調だった当時のチーム状況にも関わらず、監督が解任されてアジウソン・バチスタ(元ジュビロ磐田)がやってきた。これはとてもネガティブな事で、恥ずべき事だと思った。だからここを離れるべきだと感じた。アジウソンと何か問題があった訳ではない。だけど、ブラジル全国選手権が始まる前にこの決断をした。もうブラジルの他のクラブでプレイしたいとは思っていなかったから。キャリアを終えるのはアトレチコ・パラナエンセかボタフォゴ・サンパウロだと決めていた」
「その二ヶ月後にJ2に降格したFC東京が復帰しないかと声をかけてきた。これまで話した事はなかったけど、給料ではなく感謝の気持ちが理由で行く事にした。日本は津波の被害があって、放射性物質の問題やその他の困難のせいで多くの外国人が行きたがらない状況にあった。でも全てはうまく行った。J2と天皇杯を制覇して我々はACL出場権を得た。その事は自分が現役をさらに2年間続けるモチベーションになった」
「日本での暮らしは自分が人間として大きく成長した思い出がある。組織されたリーグ、温かく敬意のあるサポーター。たくさんの思い出がある。たくさんのタイトルを獲ったけど、もっとも心に刻まれているのは日本と言う国だ。日本に来る前と後で、自分は別の人間になった。敬意と愛情を感じる国で、思い出はいつまでも最高であり続けるだろう」
「(日本で嫌な思い出はある?)日本に着いて間もない頃の事だった。日本人はサッカーが好きだけど、野球と相撲の方がまだまだ人気が高い。日本に着いてまだ免許がなくて運転出来ない頃、歩いてクラブに通っていたんだ。近かったからね。ある日、歩いてたら警察官に呼び止められて何か話しかけられたんだけど、何も分からなかった。ブラジルやフランスで良くあるようにサインが欲しいんだろうなと思って、紙とペンが必要だよと言ったんだ(笑)。だけど実際は不法滞在じゃないかと疑われてビザを見せるよう要求されていただけだった。結局、通訳に電話して助けてもらったけど、危なく拘留されるところだったね」
「(現在の日本との関係について)2014年にFC東京の大使を1年間勤めた。その関係で日本に3回行ってイベントに参加した。2015年にも2回行った。1回はガンバのイベントに参加して、別の1回はJリーグアワードにプレゼンターとして出席した。今年も1回行っている。とても強い関係が今も続いているよ」
「(日本のサポーターについて)外出するのが難しいと言う選手の話を聞いた事もあるけど、とても穏やかだよ。面白いのはブラジルでは写真を撮りたがるのに、日本のサポーターはサインを欲しがるんだ。日本にはとても大きな敬意が存在する。レストランで食事をしているとすれば、彼らはずっと待っていてくれる。ブラジルで起こる事とは全く異なるね。もちろん試合の後やタイトルを獲った後は大騒ぎになるけど、日に日に気遣いのある接し方が戻って来る」
「(ACLで日本のクラブがタイトルを獲ったのは2008年のガンバが最後だが、何が欠けていると思う?)最も大きな問題は投資が不足している事だ。外国人選手が大きな違いを作る訳だけど、残念ながら今日では中国や中東のチームがその点では強い。Jリーグは1シーズン制に戻り、TV放映権から更なる収入を得るようになり、外国人枠の拡大をしようとしている。この動きがレベルを上げ、より競争の激しいリーグに変えて行くだろう。今が日本のクラブがACLのタイトルを再び争うスタートにあり、日本人選手の競技力によりJリーグがアジアの一大勢力になると信じている」
「(引退後は何をしている?)建築関係の仕事をしている。サッカーを始める前からの仲間がいて、地元のヒベイロン・プレットで不動産関係の仕事をしている。今のブラジルは不景気で、自分の投資にも影響が出ているけど、そのうち良くなって勝てると信じているよ」
「(引退する時にサッカーに関係する仕事をする事を考えた?)全く考えなかった。将来にもしあるとすればふたつの理由だ。ひとつは経済的な問題だ。私はお金持ちではないから、一日中ソファーに寝てる訳にはいかない。家族を養うために働かなければならない。二つ目は練習場と試合への恋しさがスイッチを入れた時だ。だけどまだそれは自分には起こっていない。でもまだ若いから、その時が来たら準備して検討しようと思うよ」