実は村上春樹が好きだ。
実はでもなんでもないのだけれど、村上春樹が好きということは過去のエントリーでも書いている。
ここでぼくが村上春樹を1位にしている理由は、日本人作家として世界文学と呼ばれるものと比肩しうる作品(ぼくにとっては「ねじまき鳥クロニクル」がそうだ)を堂々と残せている、という点に尽きる。
あれだけ広大な空間、そして20世紀の縦断するような物語の集合体としてひとりの作家がまとめあげるというのは、偉業ということばをあてがってもまだ褒めたりないとおもう。
しかし、「村上春樹が好き」というと、なぜか「ハルキスト」と呼ばれるのだけど、これがはっきり言ってきらいだ。この「ハルキスト」ということばを使うひとはもっぱら「アンチ村上春樹」と相場は決まっているのだけれど、まぁそれは置いといて、村上春樹の作品に対する偏った愛着を持っているような、そんな決めつけをつよく感じる。
結構何も考えずに「ハルキスト」ってことばを使うひとが多いようにおもうのだけど、あれは絶対にやめた方がいいよ! けっこう嫌がるひとって多いとおもうんだよね。
そこで、「村上春樹が好き」ということで起こったあんまりよくない出来事を3つほど紹介します。
村上春樹以外の小説を読んだことがないと思われる
なぜか村上春樹を好きと言えば、「村上春樹しか読んでいない」と思われる。
これが「村上春樹が好き」と公言するなかでいちばん奇妙な現象です。好きとはいえ年に1回読むか読まないかぐらいなのに。
そしてお節介にも「別の作家も読んだ方がいいよ」とオススメされることも多く、正直イラッとする。
そして他の作家の話をしても、「あーはいはい。でも村上春樹が好きなんでしょ?」みたいな扱いを受けて、話の説得力が皆無になる。この現象をぼくは「パーフェクト・ハルキ」と呼んでます。やれやれ。
たとえ話をすると村上春樹の影響をやたら指摘される
これもさっきと似ているのだけど、言動のすべてが村上春樹の影響下にあるとおもわれる。なにか書くたびに「村上春樹っぽいね」といってくれるのは、ぜんぜんありがたくない。ぼくは文章についてのほとんどを、デレク・ハートフィールドに学びました。ほとんどというより、ほぼ全てです。
夏はビール冬はウイスキーを静かなバーで飲みながらジャズに耳を傾け淡々とセックスについて語っていると思われる
ティムティムが存在証明ですから。
まとめ
もうちょっと気楽に「村上春樹が好き」といわせてください。