あのー、ほら、最近の若い奴らは何やかんやって話あるじゃないですか。
僕ももうだいぶおじさんなので、そろそろ言う側なのかなって思ったりするんですけども。
加齢臭的にはそろそろ言うべきポジションかなって思ったりするんですけども。
只ね、わきまえなきゃいけない部分がある事は肝に銘じておかないと、恥ずかしい思いをしてしまうなーとも思うのです。
と言うのも。
まずそもそも論として、一体いつから最近の若者はなっとらーんって言われているのか。
さかのぼれば日本では徒然草。
世界的には古代エジプトのパピルスやら壁画やらにも記されているとかいないとか?
まぁ記録として残っているかどうかは置いといて、少なくとも人類の進歩を考えればジェネレーションギャップは過渡期には必ずあった筈。
今までと違った考えや技術が出てくれば旧来の方式で生きて来た者にとっては足元からごっそり転ばせられる事になりうるわけで、抵抗しようとするのは自然な事ですよね。
小説や紙芝居だって出て来た当初は若者を駄目にする娯楽であると批判する者がいたそうで。
現在で考えればアニメとかゲームとかなんでしょうか。
これらの娯楽は、要はリテラシーの問題で、戦争ゲームをやる事によって戦争サイコーとか考えてしまう奴はゲーム以外の何かでもいずれ影響を受けて戦争サイコーとか言う訳ですよ。
リテラシーを下の世代に理解させるのは我々先輩の仕事ですね。
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あれ?
話が少し逸れてしまったので戻りまして。
ジェネレーションギャップ。
現代の日本語だって100年くらいさかのぼれば通じなくなって来る訳で、流行り廃りの目まぐるしい若者言葉だって健全な言葉の新陳代謝。
「正しい日本語を使いなさい!」何ていうのはそれが求められる場面以外では結局無駄な抗いで、滑稽でしかないんですよね。
ただ、日本人というのはどうやら他国の文化もダイソンのように吸い込んではジャポニズムをふんだんに混ぜ込んでしまう民族のようで。
バレンタインデーやクリスマス、いつのまにかハロウィーンも日本流にアレンジしている。
「本来の趣旨と違う!」
なんていう主張は愚問も愚問。
何故なら元々の意味や伝統、ましてや宗教なんぞ日本人は端からどーでもいいのだ。
なんか楽しそうだし、なんか儲かりそう。
この資本主義社会で浸透させる為には、たったそれだけの理由で十分らしい。
毎年クリスマスやハロウィーンの時期になると、他国の文化を勝手にアレンジするんじゃないって声が聞こえてくる。
でも駄目だよ。
我々日本人の先輩はさ、かつ丼作っちゃってるから。
かつ丼っていうジャポニ化された超絶美味い天才的な料理を編み出しちゃってるから。
それ以降の人は何も言えない。
フランス語のcotelette(コートレット)が日本に伝わってカツレツになりましたね。
コートレットって骨付き背肉全般の事らしいんですけど、まぁなんかパン粉付けてあげた物をカツレツっていう事にしちゃいました。
その後に豚肉のカツをトンカツって事にしましたよね。
ここまでならまだ良かった。
コートレットの原型が辛うじてまだあった。
こっからね、すでに出来上がったトンカツをね、出汁で煮ただろ。
どういう事だよこれ。
揚げ物を煮るってどういう事だよ。
なんかスライス玉ねぎとか添えてんじゃねーよ。
あと出汁って何だよ出汁って。
もうこの時点で完全に自分のものにしちゃってんじゃん。
アミノ酸を使いこなしてるんじゃないよ。
すでに西洋人発狂してるけど、日本人はまだまだやったよ。
溶き卵でとじました。
はい意味不明!
さくさくの揚げ物を出汁で煮て、溶き卵をぶっかける。
はい西洋人激怒!
寿司をグリルしてピーナッツバター塗りたくった感じ?
カリフォルニアロール程度で済んでるのは相手がアメリカ人だったからですね。
さて、出汁で煮て卵でとじるとかいう謎の調理法を使った後、それをどうしますか?
そうですね。
ご飯を盛った丼にぶちまけますね。
全く原型無し!
原型も無いし、しまいにゃ完全に日本食としての地位を確保しちゃってる。
完全に和食になっちゃってる。
七味唐辛子かけちゃってる。
三つ葉とか添えちゃってる。
その三つ葉っていうのは何だ?
パセリか?
いいえ三つ葉です。
何だよ三つ葉って!!
で、これが激ウマっていうオチ。
まぁこれが日本人なんですよ。
激ウマで終わればそれでいいじゃん。
激ウマじゃないものは勝手に消えていくよ。
最近の若者は…って思ったら取り敢えずかつ丼を思い出すことにしよう。
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