持田亜里沙論 再考
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持田亜里沙論 再考

2016-09-01 09:04
    A:外形
    A-1:持田亜里沙
    ・かわいい
    [プロフィール]身長:156cm 体重:45kg 血液型:AB 年齢:21歳
    誕生日:8月24日 利き手:右 スリーサイズ:77/54/76
    星座:乙女座 出身地:長野 趣味:子供と遊ぶこと

    A-2:主な受容/登場
    ・人気は高くない(総選挙50位内ランクイン未経験)
    ・初期は幼児語の天帝(てんてーもじり)ネタからの女王サマなどで初登場SRを飾ったが、それ以後は選挙の結果に応じて高くも低くもなく
    ・アニメ未出演
    ・デレステは3月初登場
    ・大人キャラとしての需要はおそらく少ない。というか、モバマスは大人キャラの需要が少ないとみる


    B:モバマスとデレステの格差論
    B-1:格差論の消失
     格差を感じるかどうかの判断の一つは完全にボイスの有無になってしまった。デレアニとデレステ以降、この差は非常に大きい。モバマスならともかく、デレステという新たな戦場を見れば分かるとおり、新曲、新コミュにはボイスの有無を担当Pであろうとなかろうと判断を迫られ、ボイスがあることを意識させられる状況におかれるということが一つの基準となっている。安定しては出すことが出来なかったソロシリーズと違って、デレステ発のCDは好調の発進となっている。その環境に置かれているということが大きい。
     ただ、こうした格差に関しては、徐々にトップ集団…アイマス本家、モバマス初代グループ層などを考えれば、複層的構造になっており、それが極大化しつつあるのが現状である。全体的に考えると大きすぎてよく分からないものになっている……という人も多いように思われる。つまり、今まで漠然とした不満を格差としてきた層も、格差を語りにくくなっているのではないかと考えられる。
     率直に言う。アニバイベントのコミュはまたしてもぐさっとくる出来だった。担当Pなのになぜ俺は担当アイドルを持ってこれないのかなぁと悲しくなるような。しかし、そうした感じ方をする人はおそらく少数派であるし、嫌ならスキップをすればよい。たとえある環境下にあってもそれを出来る限り見たり感じたりせずに済むならば、現に存在していたとしても論じるに値しない。論じる相手がいないからだ。したがって、もはや格差論そのものは消失した、と宣言しておく。代わりに、各層、各グループ、あるいはプレイヤー、プロデューサー間の距離が、格差を言い立てられないほどに拡大したのではないか、という提起はしておきたい。

    Bー2:グループの分裂
     文化的中心の伝播と分裂の論を繰り返し持ち出すことはしないが、すでに多くの人々が遊び方という点で分裂しつつあることは確かである。/ある担当アイドルを軸に動いている担当Pの場合、モバPデレステPと自分をくくる一方で力を入れるキャラクターが明らかに違っている。そもそもモバマスがそのような100以上の輪を前提としたゲームだったのである。/さらに中心点の極大面が、ボイス、ライブなど、どんどんと突き抜けている中で、自分の輪がゲームの主流からははみ出しているような状況下では、どこを目指していけばいいのか、担当Pにとってみれば分からないということがある。
     具体的に言えば、モバマスとデレステの課金でどちらを厚くすれば、ボイスがつくのか、あるいはこれでもうボイスは打ち止めなのか否か、ということだ。(おそらく最後の話が一番ありそうだとは思うのだが……)展開が今のところは拡大の一途をたどるばかりで、全体像が見えなくなっており、下のPからすれば担当アイドルのことしか目に入らなくなってしまうようでは、ますますプロデューサーとは言い難いのではないだろうか、という悩みもある。しかし、ある種、ボイスがつかなければもはやモバマスの担当Pとはいえないんだろうなぁ、と思ったまま続けていくのも……。
     また以上記した話は、まったく関わりない悩みである階層もありうる。完全にプレイヤーの中で、グループが分裂しているということを把握するべきだろう。


    C:持田亜里沙論の再考
    C-1:デレステで示された新モデル
     デレステで示された持田亜里沙像は、モバマスで積み重ねてきたモデルを相当程度整理して亜里沙Pに対して突きつけてくる部分があった。実は他所で掲げられたのだが、デレステでは次のようなテーマがあげられた。「過去=保育士(せんせい)、現在=アイドル、未来(夢)=うたのおねえさん」。実は持田亜里沙の自称には「先生」と「お姉さん」があるのだが、「アイドル」である「私」がない。これが非常に重いテーマとなっている。そしてそれこそが、モバマス、デレステに通じる「語るべき私の不在」という問題なのである。これについては別項を建てたい。
     以前、持田亜里沙がデレステでアイドルを選んだことを強調したと思う。しかしあれは間違いだった。持田亜里沙をアイドルに引きずりこんだのはほかならぬPだったのだ。彼女のモデルは単純化すると「夢(うたのおねえさん)を失って、Pが過去の仕事も捨てさせて退路を奪ったギリギリアイドル」というものである。恣意的なテーマ設定にしたが、それには理由がある。彼女が選ばせたのではなく、Pが選んだという事実がコミュでは強調されているのだ。彼女はアイドルを選んだのではない、夢を失ったからアイドルに行き着いただけに過ぎないのだ。

    C-2:「私の不在」
     趣味を「子供と遊ぶこと」と断じて、自分を「先生」か「お姉さん」の「どっちもできます」という人のアイデンティティとはなんだろうか。いや、無理に私らしさを強要する必要なんて絶対にない。けれど、過去に縛られて、未来に未練を遺したままでは、今の仕事をしっかり果たしたり、あるいは現在を楽しむことは出来ないのではないか。今の私はどう思っているのか、その言葉が非常に少ないということは、常々指摘したところである。
     思えば、ウサコちゃんを常日頃から携帯し、積極的にこれを使うこと自体が、どことなく自分の言葉についての怯えを含んでいるようにも感じられる。子どもたちのため、みんなのため、誰かのため、という意識が強く、先生のポーズから外れると「オトナの女性」として男性のプレイヤーのために、という意識が働いて、甘えるというポーズになってしまう感すらある。
     今を生きるわたし、先生(過去)でもお姉さん(未来)でもないわたし、それがアイドルとしての持田亜里沙であり、逆に5年もの長きに渡りアイドル不在だったのが持田亜里沙だったと言える。

    Cー3:自分のため
     しかし、それらは決して常に不在だったわけではない。劇場のパラリゾはじめ、彼女は別に自分の意思を持っていない訳ではないし、それが強く意識されたことが、今回おこわなれた山頂アイチャレであった。抜粋。

    亜里沙「私、子供たちがどう喜んでくれるかなって…ずっとそんなことを考えてきました。アイドルになる前も、なってからも…」
    亜里沙「
    でも、今回のお仕事は違うんですよねぇ。子供たちのためじゃなくて、自分のために挑むお仕事でもあるんだなって!」

     ここでは明らかに自分のためのお仕事が意識されている。
     ここでデレステのスカウトを思い返してもらえれば、子供たち(=小さなお友だち)だけじゃなく、大きなお友だち(=いろんなファン)とも、といって誘ったことを考えるべきだろう。つまり持田亜里沙が行動する論理は常に「ファン(他人)のため」という点で一貫しており、それはそれで素晴らしいものだが、今、現在のわたしのためではなかった。
     彼女の誕生日に近い、年に1回程度のアイチャレという再登場の機会に、デレステで溜め置かれた設定をモバマスで持ち出してくるならば、この現在こそが新たに打ち出したテーマであることは間違いないだろう。


    D:結節点
    D-1:登るべき山が見当たらない
     モバマスデレステのどちらに課金を……という話もしたが、担当アイドルの出番が少ないPにとっては、力を入れて課金する山が見当たらない。いや、別に力を入れて課金するべきであるというわけではないのだが、デレステでは「こんなに素晴らしいものを!でもNだ!いつ課金すれば!」といって何度か軽い課金はしたが、思い切った課金はできていない。いや重ねて言うが、それがすべきであるというわけではないんだけれども。
     担当の出番がないと、そこで課金しても、担当の出番が早まるわけではない。かといって常に歩いていなければ登山できる体力(課金力)はつかないのである。

    D-2:現在と自分のために
     だからこそ、思い切って現在の自分に課金する、という考え方も持つべきである。担当アイドルのために……過去と未来のために生き続けて、現在を楽しまなかった結果、本当に訪れる未来に対応できるとは限らない。むしろ自分に課金することで、新たなプロデュース力、課金力を獲得し得ることはもちろん、当然、担当アイドルを好きな、語るべき私をさらに深めることを考えればよい。危険性もあるけれど。
     目の前に次々と担当アイドルが現れてくれる人はよい。そしてデレステではそのようなステージが用意されている。
     開かれていないのは俺の目だけだ。目標は富士登山である。
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