私が働いていたブラック企業は中小で規模が小さいゆえか過労死はなかったけれど、
基本的に体が強くて心が狭い人間が多くて、会社はひどかった。
みんな1日12時間以上勤務、週6出勤が当たり前で、酒は鬼のように飲む人たちだった。
それで生き残っている人間は体が強いのでそれが「当たり前」と言い張り、それについていけない人間は怠慢と叩かれた。
そんな人たちについていける人は到底少なく、入社3か月以内に8割が辞めるのが日常だった。
そのたびに在職者は決まって言うのだ。
「あいつは根性がない。」
「みなさんは想像力がないですね。」
…とは雰囲気的に言えなかった。
上の言うことには闇雲にうなずくことも仕事のうちだった。
結果・実力主義(?)
みんな得意そうに口々にこう言った。
「結果さえ出せれば早く帰ってもいいけど?」
この場合で言う結果とは営業成績、つまり金稼ぎのことだった。
部下の教育なども、役員の手書きの通達(これがまた右翼のように過激な言葉が並んだだいぶおかしい通達だった)でよく叫ばれていたけれど、実際それは重視されなかった。
というよりも、教育と金稼ぎが同じ担当者に任されており物理的に両立は不可能な状態で、どうしても営業成績の方が優先されていた。
それにエースに監督は向かないというのもあって、一向に新人が教育されることはなかった。
エース以外は成績を責められてみんな辞めるので、その人たちが教育で才能を発揮する機会もなかった。
視野と心が狭い人が多い
プライベートを聞きたがるわりには、ちょっと自分と価値観が違うと怒ったり騒いだり陰口をたたく人が多かった。
労働時間の長い上司には「それをこなす当たり前さ、すばらしさ」とやらを称える姿勢でいなくてはならなかったし、結婚したいのにできないお局に恋愛のことを聞かれたら「出会いもないし恐ろしいほど全然モテない」設定でいないとあとあといびられて仕事がやりづらくなった。
役員の気まぐれで基準の全くわからない異動がコロコロ行われ、私はたった2年半の在職期間で3回も異動したけれど、どこの部署の上司やお局もそんなかんじだった。
そして一度話したことは瞬く間に会社中に広まる、陰湿な田舎っぽさがあった。
一週間のほとんどを社内で過ごすので視野が狭く退屈で、みんなそういうどうでもいいゴシップが大好きだった。
働かないと生きていけないらしい
みんな口先では会社が嫌いだった。
でも帰れないとか忙しいとか役員が理不尽とか、そういうお決まりの挨拶のような愚痴以外は決して言ってはいけなかった。
真剣に嫌って体制を変えようとする発言をすると即刻チクられる環境だった。
社員研修の講師としてやって来たリクルートの人は、会社の体制を役員に物申して出禁になった。
私はもう本当に嫌になって転職のためリクルートに相談に行くと、
「役員のノリですべてが決まる…それみんな言ってますけど、ノリってなんですか?」
と担当者に笑いながら聞かれた。
小さいはずの、内情を知る人間しかわからないはずのうちの会社の評判が見事に広まっていた。
つまり実はみんな嫌になってリクルートに来ているということだった。
「辞めたくても、働かなきゃ生きていけないからなぁ。」
社員はみんな口々にそう言った。
「嫌なら辞めろ。」
そう言って役員は給料で社員を脅すような形で無理難題を押し付けていた。
辞めて大正解
本当に働かなくちゃ生きていけないなら、普通3か月で8割辞めたりしないだろう。
べつに生きていけるのに、そう思い込むことでキリキリ働いているし、自分がそうである以上人もそうでないと許せない、そういう余裕のない人が多かった。
私はいまだに再就職せずにフリーターとして暮らしているけれど、いくらかつてのようにお金や福利厚生がないとはいえ、こっちの生活の方がよっぽど楽しい。
私のようにお金以外に働く理由のない、労働に適さない人間が会社に入ろうとするとどうしてもブラック企業に引っかかるように思う。
何かを達成しても達成感より虚脱感の方が大きく、何事にも興味がなくてどうしてもやる気が起きないため資格や経歴は伸び悩むし、ホワイト企業に行くために面接でこびへつらうことも苦手。
私自身、出資されるだけの価値が乏しい人材なのだ。
高望みはできない。
「目的もなく辞めて将来どうするの。」
会社を辞める前はこういう言い方でよく脅された。
でもいざ辞めたら言われなくなった。
それは解放されてそういう人が周りにいない環境に来たというのもあるし、世間にとって私の存在が歩く地雷になってしまったというのもあるかもしれない。
まあでも実際今のところ私は生きているし、会社にしがみついたところで心か体が冒頭の記事のように死ぬだろう。
楽しく生きて路頭に迷うならその方がいい。
私はそう思っている。