電話のかけ方、吾輩に「教えて」手紙で友人に
千葉の同僚遺族、書簡を寄贈
千葉県我孫子市教育委員会は29日、文豪・夏目漱石(1867〜1916年)が自宅に電話を引いて間もない頃、勤務先への電話のかけ方が分からず、友人に問い合わせた書簡が見つかったと発表した。市教委は「今で言えば、『メールの使い方を教えて』というようなもの。神経質で自分のペースで物事を進める漱石は、当時珍しかった電話を好きではなかったのではないか」と話している。
東京朝日新聞社(現・朝日新聞社)で漱石と同僚だった国際ジャーナリスト、杉村楚人冠(そじんかん)(1872〜1945年)の遺族から市に寄贈された資料から書簡2通が見つかった。
このうち、1912(大正元)年12月24日に楚人冠に宛てた1通は、社内の派閥争いから力を入れていた文芸欄が廃止され、出社しなくなった漱石を気遣う楚人冠に、「(社に)先刻電話をかけたれど通じた様で通じないやうで一向不明不得」と戸惑い気味に切り出している。
漱石は自宅に2週間前、電話機を据え付けたばかり。「社の電話は何番を用ひれば用足るや……交換局の方で通ぜぬにや。小生 社の電話には田舎ものなり。一寸(ちょっと)教へて下さい」と懇願している。自分の電話番号は「番町四五六〇」と記しているが、一度書き間違えて縦線で訂正している。【橋本利昭】