トルコは8月22日からシリア北部の国境地帯ジャラーブルス(Jarabulus)に砲撃を開始し、24日からは戦車部隊を侵攻させて制圧した。トルコ軍は米国などの空爆支援を受け、現地のシリア反体制派諸派と連携している模様だ。2012年にシリア内戦が本格化して以来、トルコの直接的な大規模な侵攻作戦はこれが初めてである。
トルコは侵攻の理由として、表向きは、ジャラーブルスを制圧していた「イスラーム国」の撃退を謳っており、戦果を誇って見せているが、実態はシリア北部で伸長するクルド人勢力のこれ以上の拡大の阻止こそが、侵攻の最大の目的であると思われる。「イスラーム国」勢力はなぜかジャラーブルスからほとんど抵抗せずに退去している。トルコは部隊の増派を続け、南方のマンビジュからジャラーブルスに接近したクルド人武装勢力の人民防衛隊(YPG)に対して砲撃を行っている。
シリアのクルド人勢力の伸長とトルコの「レッドライン」
トルコにとって、シリアのトルコ国境地帯に、クルド人が一体化した支配領域・自治政体を作るのを阻止することは、国家安全保障上の最大の課題である。クルド人はシリア北部のトルコ国境地帯で、主に3つの飛び地(東から順に「ジャジーラ」「コバネ」「アフリーン」)に多く住んでいる。これらが飛び地となっているのは、いずれもトルコ側のクルド人居住地域の延長であり、1920年−23年のトルコ独立戦争でトルコが「取りこぼし」てシリア側に残ってしまったためである。そこから、シリア側とトルコ側のクルド人の間での結びつきも強い。シリア側でクルド人の独立機運が高まれば、それは自然に国境を越えてトルコ側に波及するとトルコは危惧する。
また、シリアとトルコの間に一体のクルド自治領ができれば、トルコはシリアへのアクセスを遮断される形になる(トルコ南東部からシリア北部のクルド人勢力について、またこの後に述べるトルコのシリア北部「安全地帯」構想などについては、拙著『サイクス=ピコ協定 百年の呪縛』(新潮選書)に各種の地図などを盛り込んで解説してある)。
シリアのクルド人が多く住む3つの地域では、クルド人勢力の民主連合党(PYD)の軍事部門である民衆防衛隊(YPG)が支配を強め、ジャジーラとコバネを結合し、その間にあるクルド人以外が多く混住する地域も含めて支配下に置いて、まだ切り離されているアフリーンも含めて、ロジャヴァ(西クルディスターン)自治政府の樹立宣言を一方的に行っている。トルコはロジャヴァの自治政府宣言を認めないのはもちろん、PYD/YPGの実効支配が、国境地帯西方のアフリーンとつながってクルド自治政府領域が実効性を増すことを、何よりも警戒する。トルコのシリア北部侵攻・ジャラーブルス制圧は、アフリーンとコバネの間に「楔」を打つ介入の第一歩となる。
トルコはシリアのクルド人勢力が「ユーフラテス河以西」に展開することを「レッドライン(踏み越えてはならない一線)」として警告し、牽制してきた。ジャジーラとコバネまでは百歩譲ってクルド人勢力の実効支配を許しても、それがアフリーンとつながりトルコとの国境地帯を全面的・一体的に掌握することは決して黙認しないという姿勢である。
今回のシリア北部侵攻作戦につけられた作戦名は「ユーフラテスの盾」である。これは作戦の実際の目的を如実に物語る。ジャラーブルスはユーフラテス河の西岸に位置する。ユーフラテス河とシリア・トルコ国境が交差する場所の西側・シリア側である。ジャラーブルスの対岸(東岸)まではクルド人勢力の伸長を黙認するというのがトルコの姿勢である。ジャラーブルスの対岸から10kmほどのところにコバネの街があり、クルド人勢力はここへの「イスラーム国」勢力の侵攻を長期間の籠城戦の上で退けたことで、米国から信頼すべき同盟勢力として認められた。
シリア・クルドのYPGは、トルコの「レッドライン」を公然と越える意思と能力を見せはじめていた。これが明らかになったのは6月後半のマンビジュ攻略戦である。YPGは6月21日にはユーフラテス川を超え、要衝のマンビジュを「イスラーム国」勢力から奪還する作戦を始め、先ごろほぼ終了している。米国に支援されたYPGは、アラブ人やアッシリア人など非クルド人を含んだシリア民主部隊(SDF)を結成してマンビジュ攻略戦を行い、ユーフラテス河以西への作戦がクルド人部隊(のみ)によるものではないことを主張してきたが、トルコはこれを隠れ蓑と見ている。マンビジュ攻略作戦終了後もYPGがユーフラテス河以西に残り、さらに北方に展開してトルコとの国境に近いジャラーブルスに向かうか、西に展開してアフリーンとの支配領域を結合する過程で重要となるアル・バーブに向かうかが注目され、警戒されてきた。
トルコの強い反発を受け、トルコのロシアやイランへの急接近によって牽制もされ、米国はYPGにユーフラテス河以東に撤退するよう公式に求めている。
シリアートルコ回廊の「安全地帯」
シリア北部・アレッポ北方の国境地帯は、クルド人勢力の飛び地の間を架橋する地域であるだけでなく、シリア内戦で反体制勢力が拠点とするイドリブやアレッポ東部とトルコとの間の、人員や物資の補給路となる「回廊」としての戦略的重要性がある。イドリブを中心にした反体制勢力にとってこの補給路は命綱である。トルコ語に類する言語を母語としトルコと民族的な同族意識を持つシリアのトルクメン人勢力の多くも、この回廊に依存している。また、「イスラーム国」もまたこの回廊を使って、トルコ経由で武器や義勇兵を導入しているとみられる。
アレッポ中心部の入り組んだ包囲戦にどの勢力が勝利するのか、アレッポ北方のトルコとの国境までの「回廊」を誰が掌握するのかが、現在のシリア内戦の焦点となっている。
7月後半にアサド政権はロシアの空爆の支援を受けてアレッポ奪還を目指し、アレッポやイドリブからトルコ国境への回廊の切断を図った。これに対して8月初頭に反体制派は逆にアレッポ西部のアサド政権支持派の支配地の補給路を南から絶って包囲した。YPGは米国の支援を受けてSDFを結成し、6月から8月にかけてマンビジュを攻略し、さらに回廊地帯に勢力を伸ばした。ここにトルコが米国の支援を受けて地上軍を侵攻させて当面はクルド人勢力の伸張を押しとどめた。シリア内戦では、現地諸勢力と地域大国、域外大国が複雑に同盟しながら関与しており、特にシリア北方には諸勢力が集中しているので、一般には理解しにくいかもしれないが、トルコの明確な軍事介入によって、主要な勢力・要素がほぼ出揃ったとも言える。
トルコはNATOの中東における橋頭堡として、米国の不可欠の同盟国である。しかし同時に、シリア・クルドのYPGは地上軍派遣を避けたいオバマ政権にとって欠かせない現地の同盟勢力である。両者が激しく対立していることで、米国のシリア政策は困難に直面している。
米国としては、「ユーフラテス河以東はクルド人勢力、以西はトルコとその支援勢力」と「裁定」するしかないが、クルド人勢力にとっては回廊地帯をトルコに委ねれば西のアフリーンが孤立し、西クルディスターン(ロジャヴァ)の自治政府の一体性と実効性を損ねるため、大きな挫折だろう。米国に「裏切られた」と受け止めるであろうクルド人勢力の今後の動きが注目される。
トルコはジャラーブルスやマンビジュ、アル=バーブやアアザーズを含むアレッポ北方一帯を「安全地帯」とすることを要求し続けてきた。これはトルコが米やNATO軍の支援を受けて「飛行禁止区域」を設け、それによってアサド政権の空爆を阻止して、その下に反体制派や難民・避難民の聖域を作るというものだ。その場合、実質上この安全地帯はシリア内にトルコの勢力圏をNATOの支援で獲得するというに等しい。トルコは昨年7月にもこれを米国に認めさせたと主張していた。しかし米国は曖昧な態度を取ってきた。
「飛行禁止区域」を設定するには、米国やNATO軍が本格的に空軍戦闘機を展開し、アサド政権やロシアの空軍機を排除し、この地域に打ち込まれるミサイルの発射基地も無力化することを意味する。昨年9月末に開始されたロシアの本格的な対シリア軍事介入以降は、ロシアとの戦争につながりかねないシリア北部安全地帯構想を米国は実態としては受け入れず、トルコの要求を検討する姿勢は見せつつも、棚上げにしてきた。
今回のトルコによるジャラーブルス侵攻を米国が支持しているだけでなく、直前にエルドアン大統領が訪露してプーチン大統領と調整した結果なのか、ロシアも黙認している。これではアサド政権も、表向き非難すれども、単独でトルコ軍に対峙できるとは考えにくい。トルコはシリア北方の「安全地帯」構想を、部分的に実現しつつある。シリア・トルコ国境地帯のジャラーブルスからアアザーズまでの98kmでシリア領土に45km入った範囲内を、トルコは「安全地帯」と主張しているようだ。シリアの「正統な」反体制勢力と連携することで、トルコはシリア領内での安全地帯設定の正統性を主張している。
ただし、元来は、アレッポ北方の「安全地帯」は「アサド政権からの」安全を確保するという触れ込みのものであったが、いつの間にか「イスラーム国からの」安全地帯へと名目が変わっている。どのような名目であれ、トルコにとっては、その地政学的な位置から、以前も今も、実態は「クルド勢力の侵入を許さない、トルコの勢力圏」であると言えよう。
エルドアンの綱渡り
トルコの侵攻作戦は、内政と外交と軍事の入り乱れた展開の間を縫って開始された。経緯を追って見てみよう。
6月27日のロシアの発表によれば、エルドアン大統領はプーチン大統領に書簡を送り、昨年11月のロシア軍機撃墜で死亡したパイロットの家族への謝罪を行った。
7月15日から翌日にかけて、トルコでクーデタ未遂が起こり、首謀者の背後にいると目されたギュレン運動支持者、あるいはその他の反エルドアン派に対する大規模な粛清が続き、軍・治安機構の将官が多く拘束・解任された。
8月9日に、エルドアン大統領は昨年11月のロシア軍機撃墜以来悪化していたロシアとの関係を回復すべく、サンクトペテルブルクを訪問し、プーチン大統領と会談した。
8月12日に、イランのザリーフ外相が急遽トルコを訪問し外相会談を行った。
8月24日、米国のバイデン副大統領がトルコを訪問。クーデタ未遂後のオバマ政権中枢の初訪問となった。
一連の出来事を並べて現時点から振り返ると、6月にアレッポ北方のユーフラテス河以西にクルド人勢力が公然と侵攻し、それを米国が支援する状況に直面して、エルドアン大統領はロシア接近やイラン接近へと舵を切った模様だ。クーデタ未遂を口実に、さらに大幅にロシアやイランに歩み寄って、アレッポ北方への侵攻への黙認を取り付けると、逆にそれを梃子にして米国に侵攻の支援と「安全地帯」の部分的な設定を認めさせたものとみられる。
しかも地上部隊の侵攻を開始したのは、バイデン副大統領の訪問の当日である。エルドアン政権は米在住のギュレン師の強制送還を声高に求めており、クーデタの試みに対して即座に明確にエルドアン政権を支持しなかったと、米国を非難してきた。米国がクーデタの黒幕だといった陰謀論も広範に流布している。バイデン副大統領はトルコ訪問中に、米国はクーデタを事前に察知していなかった、といった基本的な弁明に追われた。バイデン訪問は、トルコの国民感情を宥め、エルドアン政権との関係維持を公に示すためのものだった。それに対しても民族主義感情で沸き立つトルコ世論は「遅すぎる」の大合唱で迎えていた。バイデン訪問の最中にジャラーブルス侵攻を行うことで、「人質」に取って「踏み絵」を突きつけた形だ。ここでバイデン副大統領がトルコの侵攻を支持しなければ、同盟が破綻しかねず、不承不承でも支持せざるをえない。いかにもエルドアン流の荒っぽい手法である。
トルコは短期的には「安全地帯」の主張を部分的に通すことができ、ユーフラテス河以西にクルド人勢力を入れないという「レッドライン」を守った。しかしバイデン副大統領を「人質」に取り、「踏み絵」を突きつけるかのようにしてシリア北部への侵攻を認めさせた手法には、米トルコ関係を長期的に損なう危険性がある。
7月15日のクーデタ未遂以後の大規模粛清により、軍・治安機構の能力はかなり損なわれていると考えられ、アレッポ北部の支配領域を維持できるのか、不安が伴う。さらに、これによって激化することが予想される、国内でのPKKの武装蜂起、あるいは「イスラーム国」のテロの多発に耐えられるのか、未知数の要素が多い。
2011年の「アラブの春」以前は、トルコは中東で数少ない安定した政権・国家機構と民主政体を誇り、米国の同盟国でありながらアラブ諸国と良好な関係を築き、イスラエルとも経済・軍事的関係を深めつつイランやロシアなどとも戦略的関係を結ぶ「ゼロ・プロブレム外交」を謳ってきた。それが「アラブの春」以後、エジプトでもシリア、イスラエルやロシアなどでことごとく施策が裏目に出て、「ゼロ・フレンド外交」などと揶揄されるに至った。シリア内戦の混迷はトルコ国内に波及し、クルド民族主義組織PKKとの紛争再燃や、「イスラーム国」によると見られるテロの続発など、国内の治安の不安定化を招いた。アサド政権に対する姿勢でのロシアとの対立は、戦略的な利害が一致することも多いロシアとの関係を、一触即発の危機にまで追い込んだ。
この窮地を、エルドアンは急転直下のロシア接近や、米国副大統領の訪問中にシリア侵攻を決行して承認を迫るといったきわどい手法で切り抜けようとしているが、それは果たして功を奏するのか。「アラブの春」以後の中東秩序の再編は、いよいよ終幕に近づいてきた感がある。