先週、大きな台風が来たばかりなのに、また近づいています。
大変勢力の強い台風10号、これが週明けにも上陸する恐れが強いとのことで、TVニュースでは警戒を呼びかけています
この台風、上陸予想地点が静岡から函館と、とても広範囲です。
なんでも、「寒冷渦」という気流(初めて聞きました)の影響で、進路が非常に読みにくいそうですが。
とにかく、大事無ければ、良いのですが・・・。
さて、私には、台風が近づくと親指の付け根を見るクセがあります。
ほんと、変なクセなんですが、なぜそうなったのか、きっかけを記したいと思います。
海沿いの家で暮らしていた
私は兵庫県の山あいの田舎町で生まれ育ちましたが、幼稚園の夏休みが終わるあたりから、小学校1年生の一学期が終わるまでの10ヶ月ほど、兵庫県の相生市という海沿いの町に暮らしていました。
理由は詳しくはわからないのですが、家族全員で、おじいちゃんの家に居候していたのです。
おじいちゃんの家は 湾の奥まったところ、下の地図の矢印の先あたりでした。
そして、家は海沿いに走る道路よりも海側にあったのです。
家の裏口から、防波堤(と言っても、高さが1メートルもないくらい低いものでしたが)までは2~3メートル程で、本当に海のすぐそばに建っていたのですね。
湾の奥、少し入り江になっているような場所。普段は波もないとてもおだやかものです。
すぐ近くは、ちょっとした港になっていて、小さな漁船がたくさん停まっていたり、渡し舟も出ていました。
もちろん、いくらおだやかとは言っても海は海。子供だけで遊ばないように、きつく言われておりました。
*今、グーグルマップの航空写真を見たら、その港は再開発されていて、ヨットハーバーになっています。おじいちゃんの家は、どうなっているか良くわかりません・・・。
大きな台風のあとに「とびうお」の大群が
幼稚園の秋口に、とても大きな台風が来ました。
ものすごい大雨に、ものすごく強い風。昼間なのに、あたりは真っ暗になるくらい。
古い家は、風で地震のように揺れまくるし、停電にもなるし、とても怖い思いをしたのを覚えています。
夕方、台風が過ぎ去った後は、まさに台風一過で晴れ渡りました。
外に出ると、港のほうがたくさんの人出でやけに騒がしいのです。
「なんだろう?」と、妹と2人で見に行くと、海面では、おびただしい数の「とびうお」が跳ねまくっているのです。
何千匹なのか何万匹なのか、あるいは、それ以上なのか・・・。
台風の影響で流されてきたのでしょう、とにかく、とんでもない数のとびうおが、所狭しで密集していたのです。
それを捕まえようと、近所の小学生や中学生はもちろん、おっちゃん・おばちゃんたちが大勢、手に網を持って騒いでいたのですね。
入れ食いという言葉がありますが、それどころじゃなかったです。
網をひとすくいすると、とびうおが何匹か入っているという状態、捕まえる方は狂喜乱舞です(笑)。
幼稚園児としては、この集団の中に入る勇気はとてもなく、少し離れたところから大漁で賑わう様子を見ておりました。
親父が超・激怒
その様子をしばらく見て、家に帰ったのですが、「家の前の海は、どうなっているんだろう?」と気になって、妹と防波堤に登って、海の中を覗き込んだのです。
すると、小さな黒い魚がいっぱいいたのです。とびうおと同じように、流されてきたのだと思います。
うまれて初めて見る小魚の大群、おもしろくて見入ってたのですね。
そこに親父が帰ってきました。
防波堤から海を覗き込んでいる私と妹を見つけて、親父は超・激怒したのです。
「やいと(お灸)」をすえられる
そのまま、家にある「三角の間」と呼んでいた部屋に連れて行かれました。
いわゆる納戸、電灯もついていない暗い「説教部屋」です。
妹と2人、正座をさせられ、こっぴどく怒られました。
理由はもちろん、台風の後なのに、防波堤に登ったからです。
妹と2人、ワンワン大泣きしながら、「ごめんなさい」「もうしません」とあやまったのですが、一切、許してもらえません。
親父は、
「お前ら、口で言うてもわからへんのんやったら、体でわかるしかないんや!」
みたいなことを言って、「やいと(お灸)」をすえたのです。
右手の親指の付け根、ここに「やいと」をされました。
それまでも必死で謝り続けていましたが、もぐさを置かれ、これに火をつけられる間、後にも先にも無いくらい全身全霊、必死の「ごめんなさい!!」を叫んでおりました。
親父は激怒しながらも、そこは考えていたのでしょう、もぐさはほんの数ミリ程度と微々たるものでした。
ところが、量が少なければ少ないほど、皮膚と燃えている部分が近いので、それだけ熱いのですよね。
「やいと」をされていた時間は、実際には数秒くらいだったと思いますが、とても長く感じました。本当に熱かったし、それ以上に恐怖心でいっぱいだったのです。
で、その痕がこれ。
黄色い枠線の中にある米粒の半分にも満たないサイズ(笑)。よくよく見ないとわからないレベルです。
自慢げに晒すようなものではないのですが、一応、証拠として(笑)。
妹は、「女の子だから目立たない場所」という理由で、足の親指の付け根に「やいと」されました。
と言いつつ、実際に行ったのは一瞬の話、火を点けたか点けなかったかで消されたのです。
この時点で十分反省していると見て取ったのか、あるいは、すでに私に対して「やりすぎた」と思ったからなのか、理由はよくわかりませんが、痕が残ることはありませんでした。
いずれにせよ、このときは、
「普段は特に何も言わない親父だけれど、いざブチ切れたら、メチャクチャ怖い」
ということを身をもって知りました。
なぜ親父は、そこまで激昂したのか?
「お灸をすえる」という比喩がありますが、本当に効果がありますよ(笑)。
まさに「体験者が語る」というやつで、その効果は保証します。
とは言え、昭和一ケタ生まれの親父から、半世紀も前にやられた話です。
今のご時勢、こんなことをやる親はほとんどいないと思いますし、もし、万一やったら、間違いなく虐待となるでしょう。
ところで親父がなぜ、ここまで激昂したのか・・・。
後で知った話ですが、この海でそれまでに不幸な事件があったのです。
普段は静かな海なのに、それでも子どもが波にさらわれて・・・という出来事です。
さらに、実は私のいとこのおねえちゃんが小さいころ、この海で実際に波にさらわれ、海面をプカプカ浮いていた、ということがあったのです。
その時は、上向きで気を失っていたため、溺れずに助かったのですが。
身内に、とても危ない状況になった者がいたのです。
その時の状況を知っているだけに、普段から強く「子どもだけで海で遊ぶな」と言っていたのも当然です。
そして、(記憶にはありませんが)台風の過ぎた当日は、「絶対に、海に近づくな」と言っていたはずです。
にも関わらず、子どもが2人、防波堤に登っていたのです。
それを見た親父は、心臓が縮み上がる思いをしたのでしょう。
だからこその激昂ぶりだったと思います。
やいとをすえられた当時は、怒られたのが怖いだけでしたが、この話を聞いて(小学校半ばだったと記憶しています)、「もし、自分がそうなってたら・・・」と考えて恐怖を覚えました。
そして今は、親父の気持ちが痛いほどわかります。
それから、毎回というわけではありませんが、「台風が来る」とのニュースを見ると、当時のことを思い出し、親指の付け根を見るようになりました。
私にとって、あのときの戒めは、今も生きています。
自然災害による一次被害は、どうにも避けようがないことが多いと思います。
でも、二次被害の中には、人為的な原因によって起きていることが少なからずあると思います(と書くと語弊があるかもしれませんが・・・)。
「自分は大丈夫」と過信しないことが大切かと。
<あんまり関係ない記事ですが、ついでにどうぞ>
b-zone-salariedman.hatenablog.com
では、また。