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しいたげられたしいたけ

弊ブログでいう「知的好奇心」とは「体を使わない」程度の意味で「知能の優劣」のようなことを意図するつもりは一切ない

人権を守るには人権を守るしかないこと。人権以外のものを守ることによって人権を守ろうとする試みは破綻すること(その2)

社会

前記事に、もう一つの材料として盛り込もうと思ったが盛り切れなかったので、別記事にする。「人権を守るには人権を守るしかないこと」というタイトルで文章を書こうとして、最初に念頭に浮かんだのは、今回述べる「天皇機関説」だったのだ。すなわち「天皇」(君主)という中心を掲げることにより、結果として国民の人権を保証しようという考え方である。

ただし今日の日本で「天皇機関説」という言葉を使用する場合、それが戦前において猛烈な排斥を受けたことと、またそのような動きが戦前の日本を戦争の破滅へと追いやった重要な一里塚の一つとして記憶されていることまでが、含意されると思う。

 

まずは、丸谷才一文章読本 (中公文庫)』に、大内兵衛の『法律学について』という文章の一部が掲載されているので、孫引きする。丸谷『文章読本』は国語の教科書に似て、著者が「名文」と判断した文章がふんだんに引用、紹介されている。

 美濃部博士の学説といえば、大正八年より昭和一〇年までの日本における、政府公認の学説である。という意味は、この一五年間に官吏となったほどの人物は、十中八九あの先生の憲法の本を読み、あの解釈にしたがって官吏となったのである。そしてまた、その上司はそれを承知して、そういう官吏を任用していたのである。これは行政官だけのことではない。司法官も弁護士も同様である。しかるに、いったん、それが貴族院の一派の人々、政治界の不良の一味、学界の暴力団によって問題とされたとき、すべての法学界、とくにそれに直接した人々がどういう態度をとったであろう。上は貴族院議員、衆議院議員、検事、予審判事、検事長、検事総長等々より、下は警視総監、警視、巡査にいたるまで、彼らのうち一人も、みずから立って美濃部博士の学説が正当な学説であるというものがなかった。いいかえれば、自分の学説もまたそれであり、自分は自分の地位をかけても自分の学説を守るというものがなかった。もう一度いいかえれば、美濃部先生の学説はその信奉者たる議員、官吏のうちにさえ、その真実の基礎をもたぬものであった。だからこそ、彼らは、上から要求されれば自己の学説をすてて反対のことをやったのである。そしてそれについて自己の責任を感じなかったのである。何ともバカらしい道徳ではないか。何ともタワイのない学問ではないか。そんなことから、私はかたく信じている、日本の法学は人物の養成においてこの程度のことしかなしえなかったのであると。同時に、そういう学問ならば、いっそないほうがよいのではないか。そのほうが害が少ない。

P155~156。改行位置変更しました。 以下同じ。

文章読本 (中公文庫)

文章読本 (中公文庫)

 

上掲書では引用部の直後に、著者によるなぜこの文章が優れているかという解説が、主に修辞という観点から、引用の倍の文章を費やして語られている。しかしそちらはばっさり省略させてもらう。私が大内の文章を孫引きしたのは、個人的にはこの文章によって「天皇機関説攻撃」という歴史的事実が強く印象付けられたからである。そしてこのことは、丸谷『文章読本』を貫くテーマ「意味が明確に伝わる文章こそが良い文章」をまさしく体現していると考えるので、すでに故人となった著者から文句を言われることはないんじゃないかと思う(話はズレるけど、上掲書中で明治憲法をその条文の非明晰性、すなわち意味が一つに定まらないという致命的欠点により「悪文である」と断じた第四章のP64~72あたりは、歯に衣着せぬボロクソで痛快だ。天皇機関説への言及は、そのあたりでもちょっと出てくる)。

しかしこの文章だけでは天皇機関説の歴史的経緯を網羅しているとは言いがたいので、大内力『日本の歴史 (24) ファシズムへの道 (中公文庫)』からも一部を引用したい。ちなみに大内力は大内兵衛の子息である。

2006年に新版が出ているが引用は1974年初版の旧版からで、下に貼った書影も旧版のものである。

日本の歴史 (24) ファシズムへの道 (中公文庫)

日本の歴史 (24) ファシズムへの道 (中公文庫)

 

 天皇機関説というのは、美濃部達吉〔みのべたつきち〕によって代表される憲法学説であるが、美濃部が貴族院でおこなった弁明にしたがって要約すれば、それはこういうものであった。
「所謂〔いわゆる〕機関説と申すのは国家それ自身を一つの生命あり、それ自身に目的を有する恒久的の国体、即ち法律上の言葉を以て申せば一つの法人と観念致しまして、天皇はこの法人たる国家の元首たる地位に在〔まし〕まし、国家を代表して国家の一切の権利を総覧〔そうらん〕し給ひ天皇が国法に従って行はせられます行為が即ち国家の行為たる効力を生ずるといふことをいひ表すものであります」
 要するに統治権というものは、本来、国自体にある――国民にある、とまでは当時はいえなかった――ものであり、天皇は国の最高の機関としてこの統治権を行使するにすぎない、したがって天皇の権限も、憲法その他の法律にしたがって発動されるもので、絶対無限ではないというのである。今日からみれば、しごくあたりまえの説で何の不思議もそこにはないといっていい。

P378

引用を一旦中断する。中断した部分では、天皇機関説に対する批判と論争は明治末年頃からすでに存在していたことが述べられている。

 しかし、美濃部の学説は、明治憲法をできるだけ民主主義的に解釈し、天皇の権限を法令の枠のなかにおさめようとするものであったから、日本でもデモクラシーが発達するとともに、それがしだいに公認の解釈とされるようになっていた。美濃部憲法学説は、帝国大学で長く教えられただけでなく、文官試験や司法試験でも一般に採用されていたのであって、いまさら異論がでるのはおかしいようなものであった。
 だが、独裁をのぞむ軍部にとっては、それは大いに邪魔ものであった。天皇がもし絶対無限の権限をもつなら、軍は、天皇の名において自由に何でもやれることになる。それは議会を無力化し、国民の権利を剥奪するために、どうしても排撃されなければならない学説だった。

P379

再び引用を中断する。ここは丸谷『文章読本』の大内兵衛の文章の「美濃部博士の学説といえば、大正八年より昭和一〇年までの日本における、政府公認の学説である」に対応する部分である。ちょうどこの期間には、拙記事「その1」で引用した北村薫「令嬢探偵シリーズ」の主人公が活躍した期間が含まれる。

引用を中断した部分では、天皇機関説排撃の前史として、昭和5年(1930)のロンドン軍縮会議において美濃部の学説が天皇統帥権をできるだけ狭く解釈しようとする立場を取ったのが軍部の恨みを買うきっかけになったこと、また美濃部は『中央公論』9年(1934)11月号で陸軍パンフレットを批判しその独善性をいましめたのが火に油を注いだことなどが語られている。

そしていよいよ、天皇機関説排撃が始まる。

 昭和十年二月十九日の貴族院本会議では、菊池武夫がたって機関説排撃演説をやった。菊池は蓑田らと組んで滝川事件に火をつけた張本人であるが、今回も、美濃部を「謀叛人」「叛逆者」「学匪〔がくひ〕」と罵倒した激越なものだった。これにたいして、当時、貴族院議員(勅選議員)だった美濃部は、二十五日、一身上の弁明にたったが、それは自分の学説を平明にといた名演説で、「満場粛としてこれに聞き入る。約一時間にわたり雄弁を振ひ降壇すれば、貴族院には珍しく拍手起」こる(『朝日新聞』)といったものであった。
 だが、騒ぎはこれではすまなかった。貴族院では三室戸敬光〔みむろどゆきみつ〕が反駁にたつ、外では在郷軍人会や右翼団体が騒ぎはじめる、ということで、俄然大きな政治問題に発展していった。そこには、機関説論者の枢相一木や法制局長官の金森徳次郎〔かなもりとくじろう〕をこのさい失脚させて、倒閣にもちこもうという平沼の策謀がからんでいたために、話はいっそう厄介であった。

P380~381

最後のほうに出てくる平沼というのは、のちに内閣総理大臣になる平沼騏一郎である。

 岡田ははじめ、美濃部を擁誰する態度をとっていたが、二月二十八日、衆議院の江藤源九郎〔えとうげんくろう〕代議士が美濃部を不敬罪で告発する、三月一日、貴族院の菊池や井田磐楠〔いだいわぐす〕が貴衆両院有志懇談会をつくり、機関説排撃を決議する、五日には政友会有志代議士が同じ決議をする、八日には頭山満・岩田愛之助ら右翼が機関説撲滅同盟をつくる、十六日には在郷軍人会が排撃声明をする等々といった事態になってきたので、にわかに態度をあらためて機関説排撃に同調した。これに勢いをえた陸軍は、参謀本部が中心になり、『わが国体観念と容れざる学説はその存在を許すべからず」と声明し、陸相は政府に強硬策を申し入れた。つづいて三月二十日と二十四日、貴衆両院は機関説排撃を決議して、ついにみずからの墓穴を掘ったのであった。
 陸軍はご丁寧に八月三日、「国体明徴声明」をだしたが、それは、

「恭〔うやうや〕しくしく惟〔おもんみ〕るに我国体は天孫降臨し賜へる御神勅により昭示せられるところにして、万世一系の天皇国を統治し給ひ、宝詐〔ほうそ〕の隆は天地とともに窮〔きわまり〕なし。……もしそれ統治権が天皇に存せずして天皇は之を行使するための機関なりとなすが如きは、これ全く万世無比なる我が国体の本義を愆〔あやま〕癒るものなり……」

といった神がかり調だった。学問はこうして神話のまえに屈したのである。
 美濃部は著書を発禁にされ、検事局の取調べをうけた。検事はさすがに不起訴処分にしたが、貴族院議員を辞し、謹慎を余儀なくされた。そのうえ十一年(一九三六)二月二十一日には右翼団体の暴漢におそわれ、負傷させられた。

P381~382

引用部最初の岡田というのは、時の内閣総理大臣である岡田啓介のことだ。

丸谷『文章読本』の大内兵衛の文章にある「貴族院の一派の人々、政治界の不良の一味、学界の暴力団」というのが、誇張でもなんでもないことがよくわかる。今日における「ネットリンチ」を彷彿とさせ、肌に粟を生じる思いがする。

 これよりまえ八月三日と十月十五日の二回にわたって、政府は国体明徴の声明をだし、天皇機関説の「芟除〔せんじょ〕」を誓った。十一年一月には金森が辞職をして、この問題はようやくけりがついた。
 十一年三月には、文部省は『国体の本義』をつくり、「我等臣民は西洋諸国に於ける所謂人民と全くその本性を異にして」「その生命と活動の源を常に天皇に仰ぎ奉る」ことが、以後の教育の中心思想と定められた。万邦無比の大和民族という選民は、実は、こういう無権利の民だったのである。
 この機関説排撃は、日本の学問や思想のうえには重大な意味をもった。これによって国体は一種のタブーとされ、もはやまともに日本の社会について研究したり論じたりすることはできなくなったからである。天皇はこれによって神格化され、国民はそのまえにいっさいを捨てることを要求されるようになった。それは戦争に国民をひきずりこんでいくために欠くことのできない地ならしだったのである。

P382~383

丸谷『文章読本』の大内兵衛の文章のまさに主題「上は貴族院議員、衆議院議員、検事、予審判事、検事長、検事総長等々より、下は警視総監、警視、巡査にいたるまで、彼らのうち一人も、みずから立って美濃部博士の学説が正当な学説であるというものがなかった」に始まり、二度にわたり「いいかえれば」とリフレインされる激烈な批判は、理不尽な攻撃にさらされた美濃部に対して擁護の姿勢を見せなかった当時の法曹界、法学会に向けられたものである。

今日だったらどうだろう?

例えば7月3日のエントリーに書いた講演会「自民党草案 憲法を知ろう」講師の弁護士さんは、「人権を制限できるのは人権だけ」という学会の主流説を紹介されていた。現行日本国憲法でいう「公共の福祉に反しない限り」という文言は、そう解釈されるのが主流説なのだそうだ。

リアルではなくネット上の話だが、20年くらい前に、法律専攻の人から、学生時代に、主要な法律の条文が憲法上ではどの条文によって基礎づけられるかという演習をやり、結局、天皇関係の条文を除くあらゆる条文が「基本的人権の保証」にたどり着くと理解できた、という話を聞いたことがある。当時はインターネットはまだ普及してなくて、パソコン通信大手 nifty の「現代思想フォーラム(FSHISO)」での話である。

これら二例に限らず、法律を専攻した人と話をすると「まともな人だな」という印象を受けることが多い。「自信家だな」「偉そうな奴だな」と思うこともあるが、と、いつものことで我ながら一言多い。逆に「ぶっ飛んだ奴だな」「なんだこいつは?」と思うことがよくあるのが数学専攻…やめとこ。

数学云々はともかく、そんなわけで、戦後の法学を学んだ人が政界や官界で広く活躍していることは、多少は安心材料と言えるかも知れない。

しかし、現代の法体制は、やはりとうてい完成されたものとは言えず、セキュリティホールがごろごろと転がっていることもまた事実である。完成形をイメージすることさえ難しいんじゃないかな? 完成形のイメージは人によって違うだろうし、時代もどんどん変化するし。

その弱点のわかりやすい例が、まさに「人権のみが人権を制限する」というドグマ自身だろう。卑近な例として、「有名人のスキャンダルは報道価値があるか」すなわち「知る権利」と「プライバシー権」が対立関係にあることは、7月3日の弊エントリー中にも書いたし、前回「その1」のブコメでも指摘いただいた。

ここに落とし穴があると思う。

「人権は人権を侵害する」という理由で、人権の第一義的尊重を放棄して、「人権以外の何か」を第一義的に尊重することによって人権を保証しようという考えが蔓延する、という恐れはないだろうか?

そして「人権以外の何か」が暴走して、結果として人権を大きく損なうという本末転倒な現象が、残念ながら現代史において広く見出せる経験則だと言うことはできないだろうか?

令嬢探偵が離婚慰謝料裁判を忌避したように、私にとっては口にするのもおぞましい事件だが、相模原市の障害者施設殺傷事件の容疑者の手前勝手極まる主張から、苦行以外の何物でもないがあえて合理的に見える部分を拾いだそうとすると、自治体の財政を健全化することによって公共の福祉を図ろうしたと取れなくもない箇所がある。自治体の財政そのものが、いや自治体の存在自体が、公共の福祉の実現=人権の保証を目的としたものであるから、本末転倒かつ無意味以外の何物でもないのだが。

これほど極端でなくても、もっとソフトな外観をもって人権を破壊するシステムが忍び寄ってくることは考えられないかな? 「伝統」とかね。

人権というのは、誕生して歴史が浅い概念である。また、概念が確立して以降も、何度もしたたかに損なわれてきたという事実がある。それだけに、微力ながら(本当に笑っちゃうほど微力だけど)弊ブログにおいては「人権を守るには人権を守るしかない」という主張を、現在進行形で勉強を重ねながら折につけ繰り返そうと思っている。

「人権以外のもの」の材料には事欠かないと思う。経済とか、宗教とか、共産主義なんかもそうだろうし…