ふと振り返ってみたら、新卒で勤めた会社を辞めてから、1年と9ヶ月が経っていました。
2014年に立教大学の異文化コミュニケーション学部を卒業し、某メーカーの総務部人事課に配属され、「働く」という感覚も意味もよくわからないまま働き始めました。
あの頃がとても懐かしく、そしてずっと昔のことに感じるのは、この1年9ヶ月がとても濃いものだったからなのだと思います。
わたしが自分の人生を「自分のもの」だと実感できるようになったのは、会社を辞め、ブログを始めてからでした。
何もかもが変わりました。自分の人生を、やっと自分のものだと思えるようになりました。
今回は、どうしてわたしが新卒で勤めた会社を半年もしないうちに辞め、何を考えてこれまでやってきたかを書いてみようと思います。
Contents
半年という短期間で会社を辞めることについて
「半年で辞める」と言うと、世間一般的には「短すぎ。もうちょっと頑張ってみれば?」「そんなすぐ辞めてたら、どこ行ってもやっていけないよ」と言われることが多いです。
しかし、わたしはそんな言葉には耳を貸しませんでした。
この決断は間違っていなかったと、今自信を持って言うことができます。
会社で働くことに疑問を持つようになった
強烈に、鮮明に覚えている瞬間があります。
夏の暑い日、窓際に置かれたシュレッダーに、たまった書類を入れていたときのこと。
ふとブラインドを覗いてみると、犬を連れて外を散歩している人が見えました。この時、わたしは思ったんです。
「平日の昼間に散歩したいと思っても、有給取った時か会社辞めた時しかできないんだ…」と。
例えば、平日に「今日は天気が良いから散歩したいなあ」と思っても、会社に勤めている限り、それは叶わない夢になってしまいます。
そんなささやかなことさえできないのか…と思った瞬間、働く気がみるみる失せていきました。
もちろん、それだけではありません。
嫌いな上司との飲み会や、付き合いで行くランチ、髪を暗くして結んだり、いかにもOLという感じの制服を着るのも、何もかもがストレスでした。
勤める前は、ワクワクしていました。OLっぽい制服を着るのも、人事というちょっと面白そうな仕事も、魅力的に見えていました。
しかし、実際にやってみると「なんか違う」という違和感がだんだん募っていったんです。
楽しくないことは続けても意味がない
「なんでここにいるの?」「なんでこんなことをしてるの?」と、自分を見てるもう一人の自分が語りかけてくることが、昔からよくあります。
その言葉が聞こえてきた時は、「もう終わりだな」といつも覚悟するようにしています。
恋愛も同じで、「なんでこの人と付き合ってるの?」ともう一人の自分が語りかけてきた瞬間、別れていました。
学校も、「なんで学校に行くの?」という声が聞こえてきた次の日から、行きたくないというよりは行けなくなっていました。体が動かないんです。
そんな感じで生きてきたので、今回も「あ、もうダメだ」と思って、退職に至りました。
直感で「ダメだ」と思ったこと、楽しくないこと、ワクワクしないことは、続ける意味はないと思ってます。
しかも、仕事なんてこれからほとんど一生付き合っていくものですよね。
それが「ワクワクしない」となったら、人生の半分くらいかそれ以上にワクワクしないままなんじゃないかと思ったら、怖くなってきたんです。
「働くこと」について真剣に考えてみた
わたしは、「働くこと」についてリアルに考えていませんでした。
もともと整体師になりたくて、でも周りに反対されたり自分で考え直して「一般企業で働いてお金を貯めて学校に通って資格を取ろう」と考えていました。
だから、働くところは「安定していて平和に働けるならどこでもいい」と思っていたんです。そうして就職活動する中で、縁があった会社に勤めることになりました。
しかし、実際に働いてみて「会社で働くこと」自体が合っていないんじゃないかと思うようになりました。
わたしは相当なわがままで、人から「これやってあれやって」と言われて何かをやるのが、ものすごく苦手です。
また、時間通りに決まった場所で仕事をするのが、これほど窮屈なものかと驚きました。
「なんでみんな普通に働けるのに、わたしは働けないんだろう?どうして当たり前のことが当たり前にできないんだろう?学校に行けなかったり、普通に人付き合いできなかったり、しまいには会社で働けないなんて、何をやってもダメなんじゃないか」と家で泣いていました。
「どうして普通のことが普通にできないの?」というのは、わたしの昔からの悩みでした。迷惑かけたり、挫折したり。もう嫌だと心の底から思っていました。自分を憎んだこともあります。
会社を辞め、引きこもり、何も考えないで過ごす日々が続きました。何も言わず見守ってくれた両親には、本当に感謝しています。
ブログとアフィリエイトを始める
続いては、わたしの人生を大きく変えた「ブログ」と「アフィリエイト」についてです。なんの取り柄もなく、ただの社会不適合者・引きこもりだったわたしを大きく変えてくれました。
塾講師、整体師、SEO担当者を経験
2014年9月に会社を辞め、引きこもり、しばらく映画を観たり本を読んで過ごしました。
しかし、ずっとそんな風に生きるわけにもいきません。「何かしないと」と焦るようになりました。
かと言って、外に出て行く勇気もない。それなら、家で稼ぐ方法を探そう!と思い立ち、ネットで調べる日々が続きました。
「何も会社で働くだけが働くってことじゃない。何か道はあるはず」と思ったんです。
こう思わせてくれたのは、母のおかげでもあります。
母は、海外から服を仕入れ、日本で売っていたことがあります。それがとても楽しそうで、子供の頃その様子をよく見ていました。買い付けにも一緒についていっていました。
こうした働き方を身近で見ていたため「視野を広く持って、自分ができそうなことを探してみよう」と考えを切り替えました。
そこで見つけたのが「ブログでアフィリエイトをやる」ということ。
整体師になりたいという思いにも繋がりますが、昔から健康やダイエット、体の仕組みに関しては人一倍の強い興味があったので、「このジャンルについて情報発信してみたい!」と思い、ブログを始めることになりました。
アフィリエイトは収益化の手段として、少しずつ試行錯誤しながら試していきました。
しかし、すぐには収益は発生しません。数千円稼ぐのがやっとです。
そこで、学生時代にやっていた塾講師のアルバイトも並行してやることにしました。
数ヶ月経ち、「整体師になりたい」という夢を諦められず、見習いのような形で院長に直接指導を受けながら、整体院に勤めることになりました。
ずっと憧れていた職業に就くことができて、最初の研修の帰り道は涙が出ました。「ひとつ夢が叶った」と不思議な気持ちになりました。
しばらくして、「わたしは直接施術するより、情報発信に回った方がいい」という結論に至り、ずっと続けていたブログとアフィリエイトに全力を注ぐことに決めました。
この頃、ブログとアフィリエイトからの収入は5万円程度です。
両親に頼み込み、実家でひたすらブログとアフィリエイトに取り組む日々が続きました。
しかし、ある日ある出来事が起き、わたしは会社勤めに戻ることになります。
詳細は省きますが、「やっぱり一刻も早く経済的に自立しないとダメだ」と考える出来事で、一定の収入が入ってくる仕事を探しました。一人暮らしをするためです。
そうして見つけた仕事が、Web制作会社のSEO担当者でした。
ブログとアフィリエイトをやっていることもあり、「Web制作とかSEOなら興味持って働けそう」と思って選びました。
ブログとアフィリエイトも続けながら、SEO担当者として働く日々。引越しの手続きもほとんど済み、いよいよ最終契約となったところで、トラブルが起きました。
引越しももうすぐ、というところで、非常に迷いました。頑張って会社で働き続けて引越しもするか、会社は辞めて引越しだけするかどうか。
結果、会社も引越しも辞めました。どうしても一人暮らしがしたかったのですが、それは諦め、もう一度実家でブログとアフィリエイトに取り組む覚悟を決めました。
この時、「わたしはもう二度と会社勤めはしない」と決めました。改めて、組織の中で働くのが向いていないことを痛感したからです。
やってみたいと思ったらやる、飽きたらやめる
「わたし2回転職してるんです」と言うと、結構な確率で驚かれます。
「え?その年で?」と言われます。24歳で2回転職というのは、たしかに多いかもしれません。
わたしは、やりたいと思ったことに向かってすぐに動くようにしていました。逆に、飽きた・やめ時だと思ったら、すぐに辞めるようにしていました。意味もなく続けるなんて、時間がもったいないからです。
よく考えて、自分が本当にワクワクすることだけ選び取ればいいと思います。
「我慢と苦労は美徳」のように思われる世の中ですが、それは絶対違います。
「誰もわたしの人生に責任を取ってくれない。責任を取るのは自分だ。だからなんと言われようと自分で道を選ぶ」と決め、進んできました。
いくらでも方向転換していいと思います。時期も関係ありません。一生懸命考えて自分で決めたタイミングこそ、最高のタイミングです。
だからわたしは、「やってみたいと思ったらやる、飽きたらやめる」を繰り返してきました。
唯一飽きなかったブログとアフィリエイトで月収50万円を達成
飽きっぽいわたしは、何かを経験すると、だいたい半年くらいで「こんな感じか」と全体が見えてきて、それを続けられるかどうかを考えます。
「続けられないな」と思ったら、次に移ります。会社もだいたい4ヶ月〜半年くらいで辞めてきました。
その中で唯一続いているのが、ブログとアフィリエイトです。
これだけは、最初の会社を辞めた時からずっと続けています。
なぜ続けられているか?それは、楽しいからです。文章を書くのが好きだったり、一人でPCと向き合う時間が好きなのもあって、続けられました。
情報発信がお金に変わるところも好きでした。友達ができたり、ネットを通してリアルな世界が広がっていくのも好きでした。
そうして続けていたら、月収50万円を達成することができました。
特別な裏技を使ったわけではなく、地道に続けていたらいつの間にか、という感じでした。
これから先の人生を考えてみた
今まで、夢中でブログとアフィリエイトを続けてきました。ただ、その先の人生について真剣に考えるのは後回しにしていました。
漠然とした考えはあったけど、やっとそれを実行に移せそうな予感がしてきたので、これからのことについて書いてみます。
わたしが一番ワクワクした瞬間
これからの生き方について考える前に、これまでの生き方について考えてみました。「わたしが人生で一番ワクワクした時はいつだったっけ?」と思い出してみて、それをもとに考えてみようと思ったんです。
パッと出てきたのは、学生時代のアメリカ留学でした。ちなみにこの記事のアイキャッチ画像は、その時撮ったものです。
半年もいなかったけど、最高に楽しくて刺激的で、何もかもが強く印象に残っています。
台湾人の女の子となんでも話すくらい仲良くなったり、サウジアラビア人の彼氏ができたり、散歩ついでに近くにある山を登って星を眺めたり、すべてが新鮮で楽しかったのを覚えています。
サウジアラビア人の彼氏と、宗教について話したのが忘れられません。「こんなに考え方が違う人がいるんだ。わたしの当たり前は、まったく当たり前じゃないんだ」と実感しました。狭い世界に生きているんだなあと、強く感じました。
漠然とだけど、「もう一度、海外に行きたい」と、心のどこかでずっと思っていました。
わたしは、一人で知らない土地に行くのはワクワクするより怖い・不安、と感じる方です。
ですが、行ってしまえばなんとかなるし、人生で一番ワクワクしたと今でも思えるのは、結果的に楽しさが怖さや不安を上回っていたからだと思います。
また、わたしはまだ物心ついていない2、3歳の頃から、よくインドネシアのバリ島に行っていました。
先ほども書いた、母の仕事の服の買い付けのためもありました。きっかけは両親の新婚旅行で、それから母がインドネシア語を本格的に勉強し、現地で友達がたくさんできました。わたしもてきとうなインドネシア語で喋ったりして、現地に馴染むような生活をしていました。
それから中学生か高校生くらいまで年に1回夏に1ヶ月くらいは行って、向こうで過ごす生活を続けていました。
子供なのに、夜はバーに行って毎日夜遊び?していました(笑) 今思えば本当に不思議な生活です。
日本とは違う空気、言語、習慣に触れるのが楽しくて仕方ありませんでした。また、母がインドネシア語を自在に使って人と関わるのに密かに憧れていました。
日本も楽しいけど、わたしは言語も環境も習慣も何もかもが違うところで戸惑いながら過ごすのが、何より楽しいと感じます。
怖いけど、ワクワクします。
ただ観光スポットを訪れたり、ちょっとした旅行にはそこまで興味がありません。現地に馴染んで、暮らすくらいの勢いで行くのが好きです。アメリカもバリも、そんな感じだったからきっと楽しかったのだと思います。
そうした興味から、大学の学部も国際系のところを選びました。
わたしの一番ワクワクする楽しみは、「まったく知らないことに触れること」「自分の当たり前とはかけ離れたもの・人・世界と関わること」なのだと改めて思いました。
時間と場所に縛られない働き方
ブログとアフィリエイトで稼ぐことの良いところは、時間と場所に縛られないところです。
好きな時間に好きな場所で働くことが可能です。ネット環境さえあれば、どこでも働けます。
こんな働き方を実現した今、「わたしはいつどこに行ってもいいんだ」ということに気がつきました。
ワクワクする瞬間をもう一度味わいに海外へ行って、そこでお金を稼ぐこともできるんだと気がついたんです。
旅行に行くのは、なんだか嫌でした。帰ることが前提だからです。
「ここにいたい」と思ったら、ずっとそこにいたい。「あの土地に行ってみたい」と思ったら、そこにすぐ行きたい。
そのためには、どこでもお金を稼げるようにならないと自由に動けません。でも今、わたしはそれを実現することができます。
今の今まで、気がつきませんでした。
この間友人と飲みに行った時、「どこにでも行けるのに、どうして行かないの?俺だったら行くよ」と言われて、ハッとしたんです。「そうか、行けるのか」と。
「もう一度海外に行きたい」と漠然と思っていた夢をいつでも叶えられるんだと思った時、すぐにでも動きたいという気持ちが湧いてきました。
あなたは、「いつどこに行ってもいい」となったら、どこに行きたいですか?
「わたしは、日本のどこでもない、言語も環境も習慣も違うどこかへ行きたい」と、答えがすぐに出たんです。
もっと自由に生きていい
わたしが留学した土地は、アメリカのモンタナ州というところです。
山と川しかない、広々とした田舎です。わたしはモンタナの空気が大好きでした。
あの時の空気を、もう一度味わいたいです。
帰国する時、「ここにいつかなんらかの形で帰ってきたい」と思っていたけど、旅行で短期間訪れるのはちょっと違う気がしました。
一生懸命働いたお金を貯めて、会社を少し休んで、短期間だけ旅行して帰る。そんなのは寂しすぎる、と思って踏み切れませんでした。
満足するだけいたい。満足したら、違う土地や国に行ってみたいんです。
だからまずは、モンタナへ行きます。モンタナ州のミズーラという、とても素敵な町です。
新しいブログメディアも立ち上げて、英語も勉強しなおして、もう少しだけ準備をしてから行きます。
できれば今年中、遅くても来年には行きたいです。何から準備していいかわからないくらいいろいろ忙しいですが、なんとかやってみたいです。
最初は長くても1ヶ月くらいになりそうですが、まずは練習という感じで、海外でもブログとアフィリエイトを続けて仕事をしながら旅ができるのか、それがどんな感じなのかを試してみたいです。
もうこれを書きながら、ものすごくワクワクしています。
ブログとアフィリエイトを始めてから、「もっと自由に生きていいんだな」と肩の荷が下りました。
会社で一生懸命勤めるのも素敵だし、本当はわたしだってそうしたかったけど、それができなくて探してみたら他の選択肢もありました。
「働く」というと、就職活動を経て会社に勤めて…というのが日本では一般的です。しかし、それが一般的なだけで、絶対的なことではありません。
「もっと自由に生きていい」と、わたしは伝えていきたいです。
常識も世間体も何もかも忘れたら、見えてくる選択肢はたくさんあります。
そんなことを、このブログで伝えていきたいと思っています。
書いた通り飽きっぽいのでいつどんな風に方針が変わるかわかりませんが、今のところこんな感じで生きていくつもりです。
最後まで読んでくださってありがとうございました!

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