犬山高校のあゆみ 体操服の変遷のこと
現在、体操服の素材といえば、ポリエステルがほとんど。
ポリエステルは1941年に開発されましたので、
それ以前には、ポリエステル素材服なんていうのはなかったわけです。
ポリエステルの特徴は、耐摩耗性、耐久性 まさに体操服の素材にぴったりです。
さらに吸湿性が低いので、汗がすぐ乾くといった機能もあります。
そんなこんなで、現在では、ポリエステルは体操服素材のトップの地位に君臨しています。
現在主だったスポーツのユニフォームはほとんどポリエステル素材です。
ちょっと前まではラグビージャージといえば、綿でしたが、最近ではポリエステルです。
柔道、剣道などは綿のままです。
一昔前までは体操服といえば、綿が主流でした。
ジャージが主流となる前の白いトレパン(1970年頃以前です)を覚えておいでの方もおいででしょう。
さて、今回は、そんな体操服の変遷です。
いったいどんな格好で、体操をしていたのでしょう。
まずはこれ。大正10年犬山高女、初めての運動会です。
まったく普段の制服とかわりありません。たたし、履き物は日和下駄ではなく、ゴム草履。
これは大正15年。校庭で舞踏の練習。歌劇「ファウスト」なのだそうです。
やっぱり制服。えび茶袴に、二本線の犬山高女の制服で踊ります。
時代が昭和になり、犬山町立犬山高等女学校から、県立犬山高女になると、
白線二本がスカートから、なくなります。上の写真は昭和11年、卓球をしています。
やっぱり制服です。
さて、ここから、制服から少しずつ、体操服が分化します。
この後、戦争に突入します。厚生省は「モンペ普及運動」を展開し、もんぺは
空襲時の防空用に女性の着用が義務付けられ、半ば強制されました。
制服も変わらざるを得ない時代なのでした。
犬山高女生も勤労奉仕、学徒動員で、畑や工場に出かけます。
まぁ、動きやすい格好が奨励されたわけですから、一種の体操服ともいえます。
こんな格好で、勤労奉仕にいきました。
勤労作業で、木曽川の砂運びをしている犬山高女生。
なんとちょうちんブルマです。
全員同じ格好なので、これが体操服(作業服)なのでしょう。
昭和17年から20年まで戦時下でのユニフォーム。
左‥バレーボール。実は刺し子で作った手作りの制服でもありました。
右‥バスケットボール。これもセーラー服にモンペじゃあ・・・。
戦争が終わって、しばらくは体操服どころか、制服にまで事欠く有様です。
落ち着いてきたのは昭和30年代。
ちゃんとした体操服になります。
冬のマラソン。昭和39年です。白いトレーニングシャツに白いトレパン。頭には鉢巻き。
こちらは昭和38年の球技大会。男子は帽子をかぶります。
白い体操服、白い短パン。
右後方の色のついた長ズボンを履いているのは先生。
男子の夏の体操服の写真はあるのですが、女子のはなかなか見つかりません。
全国的には1960年代後半には女子はちょうちんブルマから、
紺の半ズボン型ショートパンツになったそうです。
ここまでくると、現代とあまり違和感がありません。昭和54年(1979年)の学習合宿の様子。
半袖のトレーニングシャツ(たぶんメリヤス)にジャージ。
冬の体操服といえばジャージが当たり前の時代になりました。
昭和55年(1980年)の体育大会。男子は白の短パン。女子はブルマ。
胸のゼッケンはクラスを表します。
昭和56年(1981年)。ゼッケンはお手製の組番になっています。
丸首じゃなくてV字なんですね。
昭和63年(1988年)女子は依然ブルマ。
これも昭和63年(1988年)
男子、白の短パンは三年生。1・2年生は学年色の短パンになりました。
平成5年(1993年)、平成になっても依然ブルマに学年色の短パン。
平成8年(1996年)、初めてハーフパンツ登場。
学年を追うことなく、三学年そろって、一気に変わりました。当然学年色。
男子もハーフパンツになりました。
注目は靴下。ルーズソックスはまだなのです。
平成9年(1997年)、襟付きの上着。腕にもちょっとしたデザイン。
完全にルーズソックス。
平成10年(1998年)、冬のジャージ。
平成12年(2000年)、ハーフパンツの長さも少し長くなり、膝ぐらいになります。
平成19年(2007年)、夏上着の胸のところにラインが入りました。
毎年少しずつ、デザインが変わります。
平成22年現在、夏上着が\2,800、ハーフパンツ\2,800、冬ジャージ上下\7,600円です。
オンネームです。
それにしても、スカートが短くなったのと、ハーフパンツになったのと、
ルーズソックスが流行するのが、ほぼ同時期なのです。
なんか関係あるのかなぁ。