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性暴力 「声なき声」を映画で伝える

“魂の殺人”とも言われる性暴力。身体だけでなく人としての尊厳も傷つけられる深刻な被害にもかかわらず、被害者は誰にも言うことができず、1人で悩み続けます。
今、その知られざる絶望と苦しみを描いた映画が、東京・新宿で公開されています(7月15日まで)。38歳の気鋭の監督が、緻密な取材を基に作り上げたこの映画。初対面の人どうしで感想を語り合う鑑賞会が開かれるなど、静かな反響を呼んでいます。
(科学文化部・信藤敦子記者)

性暴力の苦しみを追体験

映画「月光」。主人公のカオリは、ピアノ教室を営む平穏な日々を送っていました。しかし発表会の夜を境に、人生は一変します。薄暗い駐車場で、教え子の父親から自宅に送ると執ように誘われたカオリ。何度も断るものの、教え子の父親という関係もあり、断り切れずに車の助手席に乗ってしまいます。その結果、人けのない湖畔で性暴力の被害に遭うのです。
映画では、性暴力を受けたあとに直面する耐えがたい苦しみが、克明に描かれています。1つは「音」に対する過敏な反応。カオリは玄関のチャイムや電話の音が鳴ると、布団をかぶってやり過ごそうとします。自分の靴音にさえ恐怖を感じ、メトロノームの音を聞くこともできなくなってしまいます。
さらには、つらい記憶がよみがえる「フラッシュバック」。カオリは、バスの待合室で男性と目が合うだけでパニックになり、その場に立っていられなくなりました。PTSDによる身体反応の1つと考えられる状況です。
しかし、こうした苦しみをほかの人と共有することもできません。電話に出ない娘を心配して部屋を訪れた母親に対し、「具合悪くて・・」とごまかして、打ち明けることができませんでした。

被害は身近なところで

この映画では、被害者だけでなく、加害者の日常生活や感情も丁寧に描かれています。「性暴力は身近なところで起きている」というリアリティーを伝えるためです。
内閣府が行ったアンケート調査では、加害者の75%が、かつての交際相手や同僚、親族などの顔見知りだという結果も出ています。加害者は、こうした断れない関係性を利用して巧みに性暴力を繰り返し、被害が潜在化していくのです。
映画でも、性暴力に至った教え子の父親は、社会や家庭で抑圧した思いを抱えてはいるものの、写真店を経営する、どこにでもいそうな人物です。加害者更生に携わる専門家も、映画を見て、いわゆる一般的な加害者像だと指摘しています。
「普通の人」の独善的な行動によって、日常生活が壊れていく被害者。映画では、この理不尽な実態がつぶさに描かれています。

児童虐待から性暴力へ

この映画を撮ったのは、小澤雅人監督(38)。今回が3作目の長編です。若者のホームレスやギャンブル依存症など、一貫して社会から疎外された人々の思いを映画で伝えてきました。
小澤監督が今回、性暴力をテーマにしたのは、以前、児童虐待の取材をしたことがきっかけです。児童養護施設に行ったときに、身近な人から性暴力を受けたものの誰にも言えず苦しむ子どもたちを目の当たりにして、衝撃を受けたと言います。
「実際の認知件数よりも、ものすごい数の人がそういう被害に苦しんでいる。普通の人が分からない世界、知らない世界に光を当てたいと、この題材を選びました」

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手記に基づくリアルな描写

小澤監督は脚本を書くにあたり、50冊以上の性暴力関係の本を取り寄せ、実際の被害者などにも取材を重ねました。中でも、被害直後の心境をまとめた当事者の手記は、映画の重要なシーンに反映されています。手記に描かれていたのは、1人の人間が被害によって極限まで追い詰められる壮絶な状況でした。
「わたしの眼の中に突き刺さってきた眼、眼、眼!今も忘れられない」 人混みの中でつらい記憶がよみがえり、視線に堪えられなくなったときの描写です。カオリがバスの待合室でパニックになるシーンは、この記述を基に作られました。

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この手記を監督に託した女性が取材に応じてくれました。かつて知人から性暴力を受けた、写真家のにのみやさをりさん。監督と脚本についてやり取りを交わすなかで、熱心な姿勢に触れ、協力することを決めたと言います。
「描くんだったら、ちゃんと描いてほしいと思いました。この人なら、変にぼかしたり面白くしたりしないで、まっすぐに描いてくれるかなと。被害に遭った人がその直後から背負っていかなければいけないものの重さが伝わるんじゃないかと感じました」

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初対面の人たちが鑑賞会

性暴力被害に真正面から向き合ったこの作品。公開後、反響を呼び、鑑賞会も開かれるようになりました。一緒に映画を見たうえで、監督を交えて感想を語り合います。
「通りがかりの人ではなく、親しい人間が関わっていることがショックだった」
「いちばん近い存在の母親にも言えないものなんだなと感じた」
「加害者も普通の生活者で、身近にいるのだと知った。誰がいつ被害に遭ってもおかしくない」
6月26日は約20人が参加。ほとんどが初対面にもかかわらず、さまざまな意見が飛び交いました。

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鑑賞会を開いたのは、卜沢彩子さん(28)。かつて被害に遭った経験を基に、性被害に対する理解を広げる活動を続けています。被害者の苦しみを克明に描いたこの映画なら、より現実味をもって捉えてもらえると考え、インターネットを通じて参加を呼びかけました。「フィクションだからこそ、自分と対話できる機会になる」と話す卜沢さん。語りづらかった性被害を広く話せるきっかけになると感じています。

「被害は日常の延長線上に」

今回の取材を通して最も印象に残ったのは、卜沢さんが開いた鑑賞会に参加していた女性の、次のようなことばです。
「こういうことが日本で実際に起きていて、繰り返され続けているということを、みんな見たくないし知りたくない。被害が明るみにならず、誰も処罰されず、被害者は苦しみながら日常を何とか生きていかざるをえない現実が、この映画には、きちんと描かれている」
幼いころから数年にわたって父親から性的虐待を受けていたという女性の実感のこもったことばに、この映画が公開された意義を感じました。
小澤監督は「性被害は本当に僕らの日常の延長線上にあって、全然違う世界のことではない」と言い切ります。

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内閣府の調査によりますと、性暴力を受けたことがあると答えた女性のうち、警察に連絡や相談をした人は僅か4%、誰にも相談しなかったという人は70%にも上ります。
被害者の“声なき声”をすくい上げたこの映画が、多くの人の「気付きの一歩」となることを願わずにはいられません。
(映画「月光」は今後、名古屋・横浜などでも公開予定)

信藤敦子記者
科学文化部
信藤 敦子