古い話に戻ってしまうのですが、先日、自分がよく覚えていない昔のことを書いてほしいと娘からリクエストがあったので、少しずつ思い出しながら、覚えていることだけを書いてみようかと思いました。
色々な理由で前夫との離婚を考え始めた当時、私は38歳でした。その時、私は専業主婦で収入を得ていなかったので、自分が働いて7歳と5歳のふたりの子供を育てていくということに自信が持てず、離婚を先延ばしにしていました。すると、友達から、まずは明日から親子三人で暮らせるアパートを探し、離婚に向けての第一歩を踏み出しなさいと強い口調で言われたのでした。
今ならネットで条件を入れれば、簡単に求める物件を探し出すことが出来ますけれども、その当時はまだパソコンの時代ではなかったので、私は不動産屋のウインドーに掲げられている物件をひとつひとつ見ていくしかありませんでした。
そして、いざ不動産屋さんのドアを開け、貼り出されている物件について尋ねると、表に掲げた物件は、客寄せのための物件で、実際にはもうなくなっていたりするのでした。仕方がないので、自分の条件を言って探してもらうことにすると、不動産屋さんからこういう返事が返ってきました。
「え?母子家庭?じゃあ、ダメだ。母子家庭にはアパートを貸せません」
「なんでですか?」
「母子家庭の母親は、子供が熱出したりすると、部屋に置き去りにして仕事に行ったりするんですよ。そんな時に、火事とかね、何かあったら困るんですよ。だから、一般的に不動産屋は母子家庭には貸さないんですよ。嘘だと思うなら、他行って聞いてごらんなさい」
言われた通りに他の不動産屋をあたってみると、条件に見合わない物件を並べて体よく断られ、世の中は母子家庭に風当たりがきついことがわかり、かなりショックでした。
それならばと自分の実家のすぐそばで大地主をやっている友達に電話し、所有しているアパートの部屋に空きがないかを聞いてもらいました。すると、親切にもすぐに不動産屋さんに電話してくれて、一部屋空いているからすぐに管理している不動産屋さんに行くように言われました。友達が不動産屋さんに口入れしてくれたお陰で、敷金と礼金をすぐに入れてくれたなら貸しましょうと言ってくれたのは、本当にありがたかったです。
やっと借りられたそのお部屋は、4階建ての建物の3階にあり、6畳と4畳半の二部屋に狭い廊下のような台所とお風呂とトイレ、2Kというタイプのお部屋でした。ただ、すぐ隣の建物の影になり窓のあるベランダは、ほとんど陽が当たらなかったことと、洗濯機は外にあるベランダに置かなくてはならないことはちょっと残念でした。
しかし、そんなことで嘆いてなんかいられませんでした。何故なら、やることがいっぱいだったからです。離婚についての具体的な話し合い、離婚と子供の親権の手続き、引越のための荷物の片付けと整理、学校への連絡、そして何よりも職探しです。
前夫の収入がなかったので、1年間自分の貯金を切り崩して生活していたので蓄えはほとんどなかった上、アパートの契約で親に借金もしてしまったので、とにかく一日も早く働かなくては、という気持ちでした。
友達は言ってくれました。
「とにかく、前に進むこと!前に進みさえすれば、あなたならきっと子供ふたりを育てて生きていける!大丈夫!」と。
その言葉どおり、私はアパートを借りて一歩踏み出したその日から、私の母子家庭生活はとりあえず前に進み始めた気がしました。先のことが不安でしかたがない時は、まず具体的に一歩踏み出す勇気が必要なんだということを私は学んだのでした。