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<舛添知事辞職>14日夜、引き返し辞意

毎日新聞 6月16日(木)2時30分配信

 14日午後10時過ぎ。舛添要一知事は知事室を出て都庁第1庁舎2階の正面玄関前に付けたワゴンの公用車に乗り込んだ。車が動き出す様子はテレビで中継されていた。わずか2分後、公用車は玄関に戻り、舛添氏は再び知事室に向かった。

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 都議会の川井重勇(しげお)議長らに呼び戻されたとみられる。知事室で都議会自民党の重鎮、内田茂・都連幹事長を含め、舛添氏と「最後」の会談が始まった。

 「都政を大切にしたい」。舛添氏は、改めてそう繰り返した。これに対し内田氏は諭した。「『五輪後まで』という思いは実現させてあげたい。だが、党本部を含めた全体の合意が得られない」。都連幹部からの最後通告だった。ついに舛添氏は「辞めます」と明言し、午後11時前に都庁を後にした。

 舛添氏は13日にあった都議会総務委員会の集中審議で最後に発言を求めた。「不信任案が可決されれば辞職か都議会解散の選択を迫られ、選挙になる。リオデジャネイロ五輪・パラリンピックの時に重なり、2020年東京大会に極めてマイナスだ」。不信任案提出をリオ大会後まで猶予してほしいとの懇願だった。

 都連関係者によると、内田氏は、辞職についてリオ大会後までの猶予を求めた舛添氏を最後まで守ろうとしていた。舛添氏と内田氏は昨年の新国立競技場計画の白紙撤回を巡って関係が冷えたが、今回は連携を取りながら対応してきた。

 しかし、目前に参院選が迫っていた。舛添氏への世論の批判は高まるばかりで、矛先は知事与党の自民、公明にも向かい始めていた。公明は13日の集中審議で公然と辞職を求め、不信任案の提出も決めて自民側に同調を求めた。地方の自民県連にも、舛添氏の問題が参院選に及ぼす影響を懸念する声が出始めていた。

 ◇自民本部が圧力

 国会議員から都議会側に対し「世論が許さない」との圧力が高まっていった。これを受け都議会自民党も辞職やむなしとの結論に至ったという。「内田さんには本当によくやっていただいた。ただ、国の方(党本部)を抑えることができなかった」。都幹部は最終的な辞職の決断に、党内のパワーバランスが作用したことを明かした。

 舛添氏が示した辞職の意向は、控室で待つ自民都議らに伝えられた。安堵(あんど)の空気が広がる中、都議会自民党の宇田川聡史幹事長ら幹部は、不信任案の提出作業を進めた。「不信任案を出す形を取っておかないと、世論の批判が会派に向けられる」との思いがあった。

 「我々は一生懸命考えていた。最終日はまとめられるといいな」。内田氏は15日の本会議開会前、舛添氏の辞職願提出について感想を求められて語った。今回の問題に幕引きを図り、党内で生じた溝を埋められるとの思いがにじんだ。

最終更新:6月16日(木)9時41分

毎日新聞

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