空襲・台風、震災…3度の災禍乗り越え
昭和9年完成の「銘」発見 JR山田線第34閉伊川橋りょう
東日本大震災の津波で被災した岩手県宮古市のJR山田線・第34閉伊(へい)川橋りょうで、1934(昭和9)年の完成年などを記した鉄製の銘が打ち付けられているのが見つかった。戦時中の「宮古空襲」と「アイオン台風」(48年)、今回の震災と、3度の災禍を乗り越えて鉄路の歴史を今に伝える。
復旧工事の関係者が見つけた銘は、縦20センチ、横30センチ。左下隅が欠け青いペンキがはげかかっていたが、「鉄道省」「活荷重KS10」「東京 石川島造船所製作」「昭和九年」と文字が判読できた。
津波で、橋りょう(全長245メートル)は全11基の橋桁のうち市街地側の左岸から数えて6基が流失、または落下した。銘は、被災を免れた「8号」の橋桁上流側に四隅をリベットで止めてあった。
戦時中に3回あった宮古空襲のうち45年8月10日、米艦上機の機銃掃射で左岸側の橋桁に計54カ所の銃弾痕が刻まれ、周辺に10発の爆弾が投下された。うち1発が、8号か10号のどちらかの橋桁に命中したと伝えられていた。調査した宮古空襲研究家の伊藤幸男さん(79)=同市近内=は「8号に銘が残っていたことから爆弾が落ちたのは10号だったのは間違いない」と話した。
また、旧国鉄山田線宮古−盛岡間が全通したのは34年11月で、翌年11月には山田まで延伸。釜石まで開業したのは39年9月だった。「昭和九年」の銘は既にそのころ、鉄路が釜石方面に向かって延びていたことを物語る。JR東日本東北工事事務所三陸復興工事区の瀧内義男区長は「東北の鉄橋で昭和1桁の銘が見つかるのは珍しい」と感慨深げだった。【鬼山親芳】