かつて山田昌弘氏が著書において女性の『上昇婚志向』として定義した現象は、 「社会的地位、生活環境の変動を目的として、経済力の高い婚姻相手を制定する」というものです。 現在の日本女性の行動傾向は、果たしてそれに当てはまっているでしょうか。
「年収300万円ボーダー」の妥当性
「男性差別」の象徴としてよく言われるものの一つに、 「男性は年収300万円が結婚の分岐点となる」という話があります。
年収300万円未満で9.6%、年収300万円~400万円で26.5% この数字を、出産・育児の現実性という観点で検証してみます。
子供を20年間養育するのに必要な費用ですが、 生活費と教育費を合わせると、実に、約3,000万(大学まで公立校の場合)という試算があります。両親が育児に携わる間、就労できなくなる分の損害を計上しなくとも、ざっくりと一年で150万円の出費です。
平均24年度の男女平均年収のデータによれば、見るならば、20代前半男性の平均年収が260万円、女性が224万円。現在、社会人の生活費平均が月18万円という話があるので、とりあえずこれを前提にしてみます。年間216万円。 男女それぞれの生活費を取り合えず200万円で計算して、ここに150万円を加えると、年間に必要な生活費は550万円となります。これがおそらく、出産後もいまの社会人一般の「中流」クラスの生活を維持するのに必要な金額です(ものすごい概算ですが)。
現在、8割強の女性は「結婚後もキャリアを継続したい」と望んでおり、現実に、7割は再就職しているわけですが、女性側の平均年収は20代後半の297万円で上がり止まります。加えて、少なくとも子供が小学生に入るまでの6年程度は、男親・女親どちらかの収入が大きく減ることになる。産休・幾休中の手当てが5~7割とのことなので、概算5~7割でしょうか。
既に各所で考察されている事実ですが、女性の生涯年収は、出産・退職者の存在により、平均300万円前後で固定されます。
なお、バリュー層は上の統計にある通り、年収100万円以上、200万円以下の26.2%です。 400万円代を越える女性の割合は23%と非常に希少ですが、この層が平均年収を引き上げています。
上昇を望めない。それどころか出産、そして育児に従事する間の収入は減少する。 300万円という数字には、キャリア中断を回避して年収を維持した、所謂「バリキャリ女性」も含まれるため、出産して非正規就業者に移行した女性の収入は、現実にはもっと低い、ということは推測可能であり、実際、女性の年収のバリュー層は200万円以下であるわけです。
つまり、「男性は年収300万円で足切り」というのは、女性側の平均年収300万円と合算した場ですら、不平等でもなんでもなく、「片働きではまず出産は無理、共働きでも生活レベルを下げないと厳しい」ぎりぎりのボーダーラインです。そして、この層の女性が全体の7割。 年収300万円ボーダーを下回ると、貧困に陥らない「中流」生活の維持はほぼ不可能と推測され、しかも、ここまでの試算には、介護や子供の重度障害や傷病などの想定は含まれません。
「中流階級の男女が、生活レベルの低下をある程度まで受け入れつつ、結婚後もギリギリ生活を維持するのに必要な男性側の年収ボーダーが300万円」と判断しておよそ間違いないと見ます。
「希望年収500万円以上」を『上昇婚志向』と呼べるのか?
全国に結婚式場を展開するアニヴェルセルによる、結婚相手に求める年収についての意識調査。 http://www.anniversaire.co.jp/brand/pr/soken1/report19.html
女性のトップは500万円以上。「非現実的」と揶揄されがちな数字で、実際、20~30代の平均年収を大きく上回ります。 また、男性は女性の経済状況を考慮しない傾向が高く(上記調査からも読み取れますが、平成25年版厚生労働白書(図2-2-34)などでも実証されています)、これらの事実は、女性の「上昇婚志向」の根拠として持ち出されることが多いようです。
しかしここで、角度を変えてみましょう。
「男性年収300万円、女性収入300万円以下」が、現実的な婚姻成立のボーダーラインとなっている、というのが先の考察でした。 さて、男性の収入が500万円、女性の収入が統計におけるバリュー層であったケースを想定します。世帯収入は800万円です。育児・出産の機会リスクにより、実際はこれより低くなると見込まれます。
最終的な世帯年収として800万円前後が見込める(見込めなくもない)、というのは、最低4000万円、最多で6000万円は掛かるとされる、私立学校への進学が可能となるラインです。家計に余裕があれば、傷病リスクへの対応も容易になり、また、非認可の保育施設など、各種サービスの使用も選択肢に入ってくる。
前述の「男性年収300万円以上、世帯年収200万円以上」が「共働きの維持と生活レベルの低下」によって補填可能なボーダーラインだとすれば、「500万円以上」という数字は、配偶者にほぼそのまま育児分の経済負担と、キャリア中断や育児への従事による損害を被せる、リスクをできる限り除外した場合、むしろ現実に即した数字なのです。
先ほども出したデータですが、年収400万円以上の女性は2割程度です。
国税庁 平成26年 民間給与実態統計調査結果より
それも含めて考えると、「(希望は)500万円以上」ゾーンは、現状の生活レベルの維持を求める層であり、ここが4割弱と言えます。 加えて、「300万円以上」ゾーンに、「結婚・出産のリスクが生活に反映されても構わない」あるいは「自分のキャリアの範囲内で補填可能である」と考える女性が、合わせて3割程度は存在している。ここまでで過半数です。 これはあくまで結婚前の調査なので、不景気の現在、実際の結婚行動においては、より柔軟な判断が行われている可能性も見込まれます。
かつて、「結婚の社会学」において『上昇婚志向』として定義されたのは、「生活環境の変化のために婚姻を利用する」女性の行動傾向でした。 しかし、現在の一連のデータから読み取れるのは、過半数の女性は、結婚・出産後も生活を維持できる範囲の異性との結婚を望んでいるに過ぎない、という事実です。この傾向を「上昇婚志向」と呼ぶのは、果たして適切でしょうか?
とはいえ
現在、男性の年間平均給与のボリュームゾーンは400万円~500万円であり、
年収300万円以下の男性が全体の24%。
年収500万円以下で総数の72.7%です。下記参照。足しました。
しかも、年収300万円以下の男性は年々増えている。
国税庁「民間給与実態統計調査」年収ガイドより
そもそも、現在の出産・育児への支援が不十分な社会条件下にあって、 『子供を持つことが贅沢』に等しいのだ、ということは一応書いておきます。 現在の日本社会においては、出産においてキャリア中断される女性の収入は低く、 一方で、出産・育児のコストは年々上がっているわけです。 現実的な判断を行った場合に男性が求められるハードル、というのがそもそも高い。
男性が(現実的視点から)「配偶者の経済状況を問わない」と言いきるには、 年収500万円、ないし600万円は必要です。 にも関わらず、先のアニヴェルセルの調査では、半数の男性が「好きになったら収入は関係ない」と回答しています。
男性の低収入化も進む現在、男性側が結婚相手の選定に際し、「経済状況を考慮していない」状況が むしろ不自然である、と指摘せざるを得ません。
余談:高収入女性の、結婚における選択肢
Twitter論壇でよく見るこのあたりの話
についても、軽く触れておきます。 この手の話でよく見る主張は、「女性には上昇婚の傾向があるから、低収入男性を選ばない」というものです。 実際、まとめのコメントでも同種の主張が繰り返しなされています。
例えば女性の『上昇婚』を前提として扱った記事としてこのところ頻繁に見る、この記事ですが KYの雑記ログ - 男女平等、格差対策、少子化対策のトリレンマ ここでも、「医師、テニュア持ちの研究者、士業の女性でも自分より年収の高い男性としか結婚したがらず」と記述されています。 これもまた、「日本人女性は上昇婚志向が強い」論の、強い前提の一つです。
実際はどうなのか。
考察は、上記のまとめ内で行われているわけですが、
この場では一応、別の資料を引っ張り出してみます。
このあたりの記事を見るあたり(厳格なデータがあるわけではないですが)、 出産・育児を経てもキャリアを継続したい、男性と同じ勤務状況を維持したい女性の選択肢は
年収1000万円以上の、共同生活において家事育児労働のアウトソーシングが可能な男性
年収300万円代の、家事育児労働を委託できる男性
となるようです。所謂「主夫業」前提に、女性側の生活レベルをある程度まで下げる前提で分業(ある意味で『雇用』かもしれない)するか、双方の生活レベルや就業状況を維持したまま全てアウトソーシングするかで二極化するってことですね。 今回は本題ではないのと、ざっくりと飛ばしますが(論述については上の記事を読んで下さい)、各種家事育児労働のアウトソーシングのコストや所得税率、男女の職業意識なんかの各種要素を加味したとき、上記の記事は妥当というか「現実的にはこうなる」的な落としどころなのかなという気はします。
バリキャリ女性、「年収600万円以上の女性」は、全体の5.2%しか存在しません。
ちょっとがんばって500万円台を足しても、9.9%です。わぁ厳しい。
そして、所謂バリキャリ女性は男性ほど天井が高くない上、絶対数が少ないので、統計への影響は軽微と考えられます。 子持ちの家庭を持つ、という前提においては、「女性が男性を養う」という状況がまず成立しづらく、次に、その状況を成立させるための社会的条件が非常にタイトなのです。ずば抜けた経済力か、配偶者の理解と協力が求められてしまう。
つまり、バリキャリ女性のモデルでは、「キャリアの維持・継続」を前提に婚姻相手を選ぶ結果、相手の収入が二極化する。その片側に、超収入層の男性が配置される、ということになる。この傾向は、「現状維持」を求めた結果であるため、男女格差や、女性のキャリア継続の困難性を考慮せず、上昇婚と呼ぶには違和感があります。
なお、統計データではありませんが、高学歴女性と低収入男性の現実的な婚姻の例として、
「愛は技術」などの著者である川崎貴子さんと、ダンサーであるマサヒロさんの対談があります。
「相手が経営者じゃダメ! 横文字の職業の人を探せ!」とみんながみんな同じことを言うんです。 一つには、最初の結婚は経営者同士でライバルのようになってしまってうまくいかなくなったこと。もう一つは、横文字の職業の人なら、当時の私の「女社長」という肩書きに頓着しないだろうと。夫と出会う前にサラリーマンの男性とデートしたのですが、「無理です!」と10回ぐらい言われました(笑)。
繰り返しますが、高収入女性のマッチング相手として想定されるのは「生活リソースのアウトソーシングが可能になる、極端な年収・社会地位にある男性」か、「家庭内労働のサポートを委託できる低収入男性」であり、これは単純な「上昇婚志向」とは呼べない。こちらは低収入男性と婚姻関係を結んだケースの、具体的な一例です。
統計はありませんが、「バリキャリ女性は低収入男性と結婚しない」という仮説への「反証」とはなると思います。
「日本人女性の上昇婚志向」とは
結婚すると、キャリア中断により年収の固定を余儀なくされる平均年収前後の女性が『上昇』婚を行うには、 結婚相手の年収は、「生活レベルを落とさない」基準の500万円台より「かなり高い」必要があります。 しかし、実際のデータでは500万円台が上がり止まりで、700万円以上希望となるとガクっと下がります。 出産を経ても、極端な生活レベルの低下が起きない、が、日本人女性の過半数の求める「結婚相手の収入」条件だと言えます。
また、キャリア継続を目的とする年収の高い女性(=バリキャリ女性)の結婚相手についても、 極端な高収入と低収入の二パターンが指摘されますが、あくまで「キャリア継続と育児・出産の両立」という現実条件があり、 これも「社会的身分の上昇を目的として、経済力の高い相手を選ぶ」という定義には一致しません。
日本人女性の、結婚条件としての収入による男性の選定は、「社会的身分の上昇」よりも、 むしろ「育児出産の現実性」「現状維持」の観点から行われている可能性が高い、と仮説が立てられます。
故に、ハイパーガミー本来の定義(女性側の社会的地位の上昇・移動を含む婚姻行動)を考慮する場合、 収入に大きな男女格差が存在する現在の社会において、 女性が一定以上の年収男性を結婚相手として希望する統計的傾向が見られる事実を、 「上昇婚傾向」とは言い切るのは乱暴であり適さない、いう指摘はできるのではないでしょうか。
一部で「上昇婚傾向」と称される現象が 「女性全般の行動傾向」ではなく、単純な男女格差、出産・育児の機会コストの反映であり、 過半数以上の女性が、結婚・出産後の生活レベルの維持を求めて結婚相手を選んでおり、 結果として婚姻率が低下しているのであれば、 少子化傾向の対策としては、純粋に、それら各分野に対するアプローチが必要になるはずです。 実際、日本の完結出世児数は、1970年代の2.2人から現在の1.9人まで、 から0.3ポイント程度しか変化しておらず、「産める夫婦しか結婚していない」現実が見てとれます。
この前提を踏まえれば、 『男女平等が少子化を推し進める』『女性の上昇婚志向は少子化の原因である」や「女性の収入増は婚姻率をむしろ低下させうる」といった、因果関係を取り違えた提言は事実に即さない、と言えるのではないでしょうか。
女性の就業率上昇は少子化を促進する、は正か?
なお、上記引用したterrakei氏のpostへのレスポンスの更なる引用ですが、
「横ばい」と「上昇」が図でわかりにくいか。追加グラフ。
— レフ (@perfectspeIl) 2016年4月16日
出生率
79年(グラフ左端)1.77
05年1.26
12年(グラフ右端)1.41 pic.twitter.com/9NivQiWaq4
女性の就業状況が改善した2005年から、合計特殊出生率はむしろ上昇している、というデータがあります。
そして、以下の資料。
<結果(1)>
女性の労働力参加率の高さは、OECD諸国平均で、依然として低い出生率と結びついている。
<結果(2)>
仕事と家庭の両立度が高いと、出生率は増加する。
<結果(3)>
女性の労働力参加率増加の出生への負の影響は、仕事と家庭の両立度が高いほど減少し、両立度が十分高ければ効果は0になる。
<結果(4)>
1980年以前から女性の労働力参加率が既に高かったOECD諸国において、仕事と家庭の両立度は現在高いが、 一方、女性の労働力参加率が>1980年以降に増大した他の国における両立度は、現在も比較的低い。
この資料に基づくならば、仕事と家庭の両立度が0に近づくことで、
女性の社会進出の、出生率への影響は観測されなくなる。
現在少子化に苦しんでいる日本、韓国、イタリアなどは、結果(4)の後者に該当します。
このデータは、ここまでの考察を裏付けるように思います。
まとめ
日本人女性が「より高い社会的地位や、生活を求めて配偶者を選んでいる」というような統計上の事実はない。
少子化の原因は、単純な若者世代の収入減と、それに対して高すぎる出産・育児のコストであると想定される。
女性の社会進出が実現した社会では、出産・育児の機会コストの存在により、一時的に出生率が低下するが、
仕事と家庭の両立を可能にする社会福祉施策が十分となればコストは0に近づく。
- むしろ、女性の労働力参加率の上昇は出生率の増加に寄与しうるというデータがある。
以上を踏まえたとき、少子化をめぐる状況を、実質的には存在しないと言って過言でない『上昇婚志向』を前提に論じるのは、現実的ではない、ということで良いと考えます。
ふわふわした話ですが、以上です。