国家と個人の関係を見つめ、世のために働くことで自分自身も充実する生き方を示した福澤諭吉の言葉は、全く色あせないばかりか、今の時代にこそ響く。時代情勢を的確に見極め、今すべきことを客観的に判断する力がつく一冊。
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1. 人権の平等
「天は人の上に人を造らず、人の下に人を造らず」と言われている。つまり、天が人を生み出すに当たっては、人はみな同じ権理(権利)を持ち、生まれによる身分の上下はなく、万物の霊長たる人としての身体と心を働かせて、この世界のいろいろなものを利用し、衣食住の必要を満たし、自由自在に、また互いに人の邪魔をしないで、それぞれが安楽にこの世をすごしていけるようにしてくれているということだ(P.9)。
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しかし、この人間の世界を見渡してみると、賢い人も愚かな人もいる。貧しい人も、金持ちもいる。また、社会的地位の高い人も、低い人もいる。こうした雲泥の差と呼ぶべき違いは、どうしてできるのだろうか。その理由ははっきりしている。『実語教』という本の中に、「人は学ばなければ、智はない。智のないものは愚かな人である」と書かれている。つまり、賢い人と愚かな人との違いは、学ぶか学ばないかによってできるものなのだ(P.9-10)。
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2. 役に立つ学問とは何か
一生懸命にやるべきは、普通の生活に役に立つ実学である。(中略)それぞれの学問では事実を押さえて、物事の性質を客観的に見極め、物事の道理をつかまえて、いま現在必要な目的を達成すべきである。こういった学問は、人間にとって当たり前の実学であり、身分の上下なく、みなが身につけるべきものである。この心得があった上で、士農工商それぞれの自分の責務を尽くしていくというのが大事だ。そのようにしてこそ、それぞれの家業を営んで、個人的に独立し、家も独立し、国家も独立することができるだろう(P.11-12)。
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3. 自由とはわがままのことではない、そして恐れず行動せよ
学問をするには、なすべきことを知ることが大事である。人が生まれたときは、何にも繋がれず縛られず、一人前の男は男、女は女として、自由であるけれども、ただ自由とだけ言って「分限(義務)」を知らなければ、わがまま放題になってしまう。その分限とは、天の道理に基づいて人の情にさからわず、他人の害となることをしないで、自分個人の自由を獲得するということだ(P.13)。
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一人の人間も、一つの国も、天の与えた道理というものに基づいて、もともと縛られず自由なものであるから、そうした一国の自由を妨げようとするものがあったら、世界のすべての国を敵にしても恐れることはないし、個人の自由を妨げようとするものがあれば、政府の官僚に対しても、遠慮することはない。ましてや近頃は四民平等の基本もできたことなので、みな安心して、ただ天の道理にしたがって思う存分に行動するのがよい(P.17)。
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著者紹介
福澤 諭吉(ふくざわ ゆきち、1835年1月10日 - 1901年2月3日)は、日本の武士、蘭学者、著述家、啓蒙思想家、教育者。慶應義塾の創設者であり、専修学校(後の専修大学)、商法講習所(後の一橋大学)、神戸商業講習所(後の神戸商業高校)、土筆ヶ岡養生園(後の北里研究所)、伝染病研究所(現在の東京大学医科学研究所)の創設にも尽力した。
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