さて、この表をよく見てみると、例えば左から2番目の縦の列で「235」と並んでいる音を見ると「ファ・ド・ラ♭」となっている。これは「ヘ短調」fマイナーの和音にほかなりません。さらにこの表には出ていない8段目を考えると「358」と並べても(8段目は1、2、4 と同様ドになりますから)「ファ・ラ♭・ド」マイナーの和音になっている。
つまり倍音概念を有理数に拡張すると短3和音は直ちに自然に導けることが構造的に理解できます。
さらにここでマイナーのコードを実現している「235」「358」という並びを見て気づくことはないでしょうか?
最初の2つを足すと3番目のものになっていますね。2+3=5 3+5=8 というふうに。これは数学(ファン)によく知られたフィボナッチ数列、つまり前2項を足してできる
1、1、2、3、5、8、13、21・・・
の一部に相当し、また前後の項の比は「黄金比」に収束することが知られている、面白い性質を持つ数列です。
ここでふと気づくわけですね、235および358というフィボナッチ的な分割は、直ちに弦の上で実現が可能です。つまり8の長さの弦を3:5に内分するように琴柱を立てれば1本の弦を用いて短3和音に相当する響きを構成することができる。
実際にやってみましょう。箱を店で買ってきて弦を張り、5:3に内分する点を測って琴柱を立ててみると
これを実際に鳴らしてみると・・・琴柱を高くしすぎ、また強くはじきすぎると、分割された2弦の響きだけが聞き取られますが、ぎりぎりの高さで低めの琴柱、またデリケートな弾き方をすると(2つの弦がカップリングして全体としての長い弦長でのモードも立って)・・・めでたく、たった1本の弦(モノ コード)から短三和音を再現することができます。
1本の弦を2:3に内分、あるいは3:5に内分する点に繊細に触れ、これをやさしく奏でると、私たちはマイナーの3和音、つまり短調の響きを耳にすることができます。
これに類する「多重モード」の共鳴が、自然と人工物の双方、世界のさまざまな場所で普通に成立することが容易に想起されるでしょう。つまり「短三和音」もまた極めて「自然」な響きであることが知れることになる。
ということで「ゲーテのジレンマ」に対して一定の傍証を与えることができました。すなわち「なぜ自然倍音列からは長3和音が導きにくいのに世界の民謡やダンスは少なく見積もっても半分は短調なの か?」という問題意識、問いかけに対して、、
「倍音概念を有理数に拡張すれば、弦の内分共鳴の考察から最も単純な2:3、3:5の内分比は元の弦長と合わせて短3和音を構成することが示される(筆者 2015)」
といった単純な結果を導くことができました。
きちんと教えれば小中学生にも理解できる内容と思いますし、実際今年8月の高校生向け研究室公開事業「東大の研究室を覗いてみよう」や来年1月の中学高校生向け科研成果アウトソース事業「ひらめき☆ときめきサイエンス」でも、こうした手製の結果をお話するつもりです。
実は今の話は単に1、2、3・・・という単純な整数だけでなく、様々な数比での内分を、琴柱の数を2本3本・・・と増やすことで、さらに複雑な話題に展開するもので、電子計算機(といってもエクセル程度のものでも十分)が使えれば、さらに込み入った問題をいろいろ検討することができます。
また、ここでは「スペクトルの次数を自然数から有理数に拡張」という考え方をお話しましたが、周波数という概念を実数から複素数に拡張すると「過渡現象」を取り扱う別のダイナミクスを作ることができる、といったもう少し込み入った仕事の話にもつながります。
が、いままで私が得てきた音楽の基本的なファクトの中でも「モノコードからの短三和音の導出」は一番シンプルで子供にも本質から理解可能で。たぶん死んだ後にも(私の名と無関係に)残っていくことは間違いなく、基礎的な仕事ができて嬉しく思っているものです。
上に記したように一連の流れで書くと自明のようですが「ここでちょっと見方を変えて」なんてあたりには実は数日とか数か月とかタイムラグがあります。
フィボナッチ数列で書けると思ったのはオックスフォードとロンドンの間の列車の中でしたが、そのまま一弦琴になると気づいたのはアムステルダムの路上で、といった具合で、当たり前のことになかなか気づきません。
でもこういうことを自分自身の手で確認できると、短三和音の響きを含む譜面を書いても、誰かの引き写しや真似ではなく自分自身の短三和音として確信をもって作曲できますし、演奏準備、練習のうえではこうした基礎的な知見は随所で役に立ちます。
ドイツや英国では基礎的な貢献と比較的評判のよい話で、ペーパーのほか来年はこうした内容で英語の本も出す予定でいます。
さて、このコラムのビューがどれくらい立つか分かりませんし、普通数式と楽譜が出てくると本は全く売れなくなりますが、見せかけだけ、とか、人まねだけ、とかいうのではなく、非常にシンプルな音楽の基礎でも、まだ手つかずに残っている問題はたくさんある。
それに適切な方法でアプローチすれば、自分自身の手で解明できる問題が、まだいくらでも残っていることを、手作業を含め大学のレッスンでは学生たちに見せ、聴かせるようにしているものです。
今回はゴールデンウィーク向けということで、珍しいことですがやや長尺で自前のお話を1つしてみました。