東京農工大大学院農学研究院教授・梶光一さん
写真:札幌大学地域共創学群教授・早矢仕有子さん
拡大札幌大学地域共創学群教授・早矢仕有子さん
世界自然遺産・知床で、地元の知床羅臼町観光協会などが、絶滅危惧種のシマフクロウを見せる取り組みをしている。小さな民宿の前を流れる川に設けられた池にヤマメを放し、夜、これを食べに来る姿を来訪者に見せているのだ。これに対し、環境省が「シマフクロウへ『餌づけ』を行う者には終了するように指導する」との指針を打ち出した。なぜ「餌づけ」は駄目なのか。
(聞き手・神村正史)
■野生の能力を失わせる 東京農工大大学院農学研究院教授・梶光一さん
野生動物とは一体何でしょうか。英語では「フリーレンジング・アニマル」ともいいます。自分の力で餌を捕り、すみかを見つけ、伴侶も見つけて、子どもを産み育てていく。そうやって自然環境で自立して生活できる動物のことです。
野生動物に人が餌を与えると、その動物は「そこに行けば餌がある」と学習し、自分で餌を探索する努力をしなくなります。厳しい自然環境で餌を探すよりも楽で確実な方がいいですから、それが長期にわたると、その子どもも親と同じようになっていきます。
その結果、人が与える餌なしでは生きられない「餌づけ個体群」ができあがる恐れがあります。餌づけの場から分散しなくなり、自分を狙う捕食者などの危険を回避する能力も低下しかねません。そのような動物は果たして「野生」でしょうか。野生動物に餌を与えることは、その動物が持つ貴い能力を失わせる行為なのです。餌づいたシマフクロウは、もう「野生」とは言えないでしょう。
ただ唯一、それが容認されるケースがあります。種を絶滅の危機から回避させるため、その第一段階でどうしても必要と考えられる時です。
知床半島は、野生動物が自分の力で生きることができる世界的にもまれな場所です。北海道に140羽ほどしかいないシマフクロウのほぼ半数が知床半島にいるといいます。知床は唯一、シマフクロウが人からの餌に依存しなくても生きていける場所なのです。そこに大きな価値があるのです。
70年代以降の知床の歴史を振り返ると、地元住民が協力し合いながら自然環境の復元や希少種保護、生物多様性維持といった「野生復元」に取り組んできたことが見えてきます。旧開拓地を乱開発から守ったナショナルトラスト運動に始まる原始の森の再生活動、斜里と羅臼の両町が知恵を絞っての世界自然遺産登録などです。
そのような流れの中、知床羅臼町観光協会も民宿の方も「来訪者にシマフクロウを見せて、知床のすばらしさを知ってもらいたい」という善意でやっていると思います。しかし「餌づけ」の問題に加え、外部からは希少動物を私物化してしまっているように見えているのです。
一過性の観光も重要かもしれません。しかし、シマフクロウは知床の野生の象徴の一つです。その価値を普遍的なものとして共有し、未来につなげていくことに、地域の持続的な利益があると思います。
*
かじ・こういち 東京都出身、北大農学部卒。学生時代はヒグマ研究グループに所属。現在は知床世界自然遺産地域科学委員会の委員とエゾシカ・陸域生態系ワーキンググループ座長を務めるほか、日本哺乳類学会理事長でもある。62歳。
■保護増殖、次の段階へ 札幌大学地域共創学群教授・早矢仕有子さん
30年以上続く国のシマフクロウ保護増殖事業が、新たな段階に入っています。
保護を始めたころは70羽ほどまで減っていたので、絶滅を回避する手段がとられました。食べ物がないのなら食べ物をやろうと給餌(きゅうじ)をし、営巣できる大木がないので森に巣箱をかけていきました。その努力が徐々に実り、現在は140羽ほどにまで回復しました。
これを受け、むやみにシマフクロウに手を貸すのをやめ、可能な限り自然に委ねていこうという方向へ進み始めたのです。環境省がこの時期に指針を示した理由の一つでもあります。
環境省はこの指針で、国の認める保護増殖事業以外の餌やりを「餌づけ」として、「終了するよう指導する」としましたが、同時に国の認める給餌についても「必要最小限の期間及び量に限る」としました。給餌の削減で繁殖成績が落ちることがあっても、個体群が急になくなることはないという段階に入ったのです。
今は限られた地域にしかいないシマフクロウですが、昔は全道にいました。次のステップは、遺伝的多様性を保ちながら分布域を復元していくことです。知床にはたくさんのつがいがいて繁殖していますから、非常に重要な拠点となります。
そこで「餌づけ」が問題になります。知床は川ごとにつがいがいるとても恵まれた場所です。保護事業では、巣箱の設置は行っていますが、過去に1度も餌を与えていません。食生活に関しては完全に自活でき、餌を与えてまで増やす必要のない場所なのです。
さらに、自然な状態にあるつがいは、繁殖に失敗したり成功したりして少しずつ子どもを増やしますが、「餌づけ」が行われている民宿前の川を縄張りにする個体は、餌に恵まれていることもあって繁殖成績がとても良く、子どもがどんどん生まれています。
特定の1河川の血縁ばかりが知床の代表になっていくのは、不自然な状態なのです。
世界自然遺産の知床では砂防ダムの改良や撤去が行われ、生息環境の改善が進んでいます。分布域を復元するには、それを全道に広げていかねばなりません。
環境省は「餌づけ」は駄目だとしましたが、「見せちゃいけない」とまでは言っていません。復元の先頭を走る知床でシマフクロウをどう見せたらいいのか。みんなで知恵を出し合って一緒に考えませんか。
*
はやし・ゆうこ 大阪府出身、北大農学部卒。学生時代は野鳥研究会に所属。大学院からシマフクロウの研究を続けている。現在、環境省のシマフクロウ保護増殖検討会の委員。日本鳥学会の副会長も務める。
■記者の視点
野生動物の餌づけの是非は、国や場所、対象動物によって大きく意見が分かれる。そんな中、知床羅臼町観光協会は朝日新聞の取材に、海外の例として「米国のイエローストン国立公園で、野生のオオカミの群れに餌を与えてビジターセンター前で見せている」と説明した。
しかし、同公園に確認したところ「そのような事実はない」との回答が寄せられた。それどころか同公園では、過去にクマが人を襲った反省などから、園内の野生動物には一切餌を与えていないという。観光協会側の事実誤認だったが、それを紙面に載せた朝日新聞も確認不足だった。
国の指針を受け、羅臼ではシマフクロウの餌づけをやめていくことになるだろう。ただ「見せること」自体は、そのやり方によっては、保護、啓発の効果を上げる可能性がある。そうなれば、分布域復元への良き理解者を増やすことにもつながっていくだろう。
だが、観光協会関係者の力だけでは難しい。だから、この問題に関心のある研究者にはアイデアを出して欲しい。そして、地元も彼らの言葉に耳を傾けてみてはいかがだろうか。
(神村正史)
《訂正しておわびします》3月10日付「シマフクロウ 『餌づけ中止を』 環境省が方針」の記事で、「(知床羅臼町)観光協会によると、野生生物を餌づけして見せる試みは米国のイエローストン国立公園にもある。特定のオオカミの群れを餌づけし、ビジターセンター前で来訪者に見せ、社会教育にいかしているという」とあるのは誤りでした。同公園内では野生動物に一切餌を与えていません。確認が不十分でした。
http://www.asahi.com/area/hokkaido/articles/MTW20160404011190001.html
ttp://archive.is/mONye
シマフクロウ 数値目標 道内4地域でつがい24以上 環境省 /北海道【毎日新聞2016年3月30日】
シマフクロウ給餌禁止めぐり羅臼町VS環境省【東スポWeb2016年3月20日】
餌付けされるシマフクロウ 野生動物の無事を願うことと自然保護は別問題 松田裕之【WEB RONZA - 朝日新聞社2016年3月15日】
シマフクロウ、4生息地「つがい24以上」 環境省が数値目標【どうしんウェブ2016年3月13日】(修正記事タイトル改変/既報関連ソースあり)
野生シマフクロウあえて公開 知床、観察と保護共存へ【朝日新聞デジタル2015年12月5日】
タグ:シマフクロウ