そんな多くのヒントを与えてくれるゲーテですが、こんな問いを残しています。
「最近交通手段が発達して世界の民族舞踊の多くを見聞きできるようになったが、そのうち少なく見積もっても半分はマイナー=短調だ」
「だが自然倍音列はメジャーは導けてもマイナーは導きにくい。どうして古代の人々は、導きにくいはずのマイナーで歌や踊りを作ることになったのだろう?」
分かりやす書けばこんなような疑問をゲーテは抱き、一定の解決を試み、あまりうまくいかずに終わります。彼の問いを整理してみましょう。
五線譜は苦手という方もあるでしょうが、話が早いのでこれを使います。自然倍音列というのは以下の図にあるようなもので、基本周波数の2倍、3倍、4 倍・・・と振動数が高くなっていく音の列を意味します。
これは「ド」の音を基音とするものですが、3番目4 番目5番目の音を見てみると「ソドミ」となっていて「ドミソ」の和音を展開した形と分かるでしょう。あるいは「456」だと「ドミソ」そのもの「568」なら「ミソド」「1234 568」と並べれば「ドドソドミソド」と朗々と響くメジャーの和音が得られます。
が、この自然倍音列の中から「マイナー」短調の響きを見つけ出そうとするとなかなか苦労します。例えば「679」と選ぶと「ソシ♭レ」となりト短調の和音を構成する音程が並びます。8番目のドの音の方がはるかに強く、こういう響きが自然倍音列の中で支配的なわけではない。
つまり、あまり自然に響かない音であるように見える「マイナー」短調の響きが、どうして世界中の民族音楽やダンスで斯くも多く用いられているのか?
音楽をひっくり返して考える
こういう問いを出され(正確には畏友・粂川麻里生慶応義塾大学独文科教授から出題してもらい)すぐに思いついたのは「反行形」という考え方です。
ニコロ・パガニーニというバイオリニスト=作曲家によく知られたカプリース(リンクでお聞きください)という作品があり、広くヒットしたため後年多くの作曲家がこの主題を用いて変奏曲を書いています。ちなみに元来のテーマはイ短調、マイナーの楽曲です。
フランツ・リストの超絶技巧練習曲6番はよく知られた例ですが、主題が比較的そのまま扱われ、どちらかと言うとパガニーニ作品のピアノ編曲と言うべきもので、技巧小品ではあるけれど作曲の観点からはさしたる労作は感じません。
翻って圧倒的な労作と言えるのはラフマニノフの最高傑作(と私自身思いますが生前の矢代秋雄氏もそう断言しています)の「パガニーニの主題による狂詩曲」(セルゲイ・ラフマニノフ自身のピアノによる自演があったのでリンクしておきます)で、とりわけ驚異的な変奏と言うべき(またよく知られた)第18変奏をここでは挙げねばなりません。
ちょうど楽譜のついているリンクがありましたのでつけておきましょう。
ロマンティックなショーピースとこの作品を誤解するのはまことに論外、厳しい教育を受けた人ほど驚嘆せずにはいられない奇跡的な仕事と思います。
何より、このテーマ「メジャー」になっているでしょう?