天下人・秀吉を演じる小日向文世さん。
『真田丸』独自の秀吉像とは!?
心の中に黒く渦巻いている、ぞっとするような怖さを見せてほしい。それが『真田丸』の秀吉役への要望でした。
僕が勉強不足だったのでしょうけれど、どちらかといえば秀吉には明るいイメージしかなかったので、少し驚きました。でも史実では、淀との第一子・鶴松が秀吉の子ではないのではという落書きに怒り狂って門番を処刑したり、姉の子である秀次を切腹に追い込み、家族もろとも斬首したりと、常軌を逸した行動もとっているんですよね。どうしてそんなに、平気で人を殺(あや)めることができるようになってしまったのかと考えています。
お百姓から成り上がったことは自覚しているだろうし、信長を超えたという自負もある反面、馬鹿にされたくないという強い気持ちもあったのだと思います。なかなか想像しにくいのですが、秀吉は、心の底の“暗い部分”がより強いのかなという気もしています。
無邪気な部分は、表向きは屈託なくやろう、と思いながら演じています。反対に、心の底から湧き上がるような暗い怒りも、見ている人が引いてしまうくらいに。両者を明確に出していこうと思っています。
ですから、貫禄がないとか、軽すぎるとか、中にはそのように思われる方もいらっしゃると思うんですよ。そういうことを堺雅人くんに話すと「そんなに心配しながら演じているんですか?」って笑われるんですけれどね。今では「まあいいや」と開き直っています。
とはいえ、第15回「秀吉」の自分を見たとき、あまりにも無邪気に笑っているので、果たしてこれでいいのかと不安になりました。大河ドラマをはじめ、秀吉はこれまでに何度も描かれているので、視聴者の方々にはそれぞれのイメージがあると思います。
ですから、貫禄がないとか、軽すぎるとか、中にはそのように思われる方もいらっしゃると思うんですよ。そういうことを堺雅人くんに話すと「そんなに心配しながら演じているんですか?」って笑われるんですけれどね。今では「まあいいや」と開き直っています。
今回の大河ドラマ出演では、今までになくいい思いをさせてもらっています。秀吉は自由気ままだし、周囲は「ははーっ」って仕えてくれるし、着物は毎回きれいだし、何より寧(鈴木京香)と茶々(竹内結子)が目の前にいるんですから。
鈴木京香さんとの夫婦役は今回で3回目なのですが、この時代のふん装もとてもよく似合っています。京香さんの寧は、秀吉にはもったいないような、よくできた懐の深い素敵な女房です。
竹内結子さんは茶々を少女のころから演じていて、チラチラと気に入った馬廻(うままわり)衆に目くばせをする様子など、無邪気な少女を見事に表現されていました。のちに、この茶々を秀吉が必死に口説くシーンがあるのですが、そこで茶々の心が動く場面が、とてもきれいな映像でした。ここは秀吉の必死さに、茶々が唯一心を動かされた瞬間だったのかもしれません。
でも、その直前まで秀吉は、とても無邪気に振る舞っています。寧に膝枕をしてもらいながら茶々の口説き方を尋ねたり、抱きついたりと好き放題。ちょっと僕の想像以上の描かれ方をしているのでびっくりしたんですけれど、こんなふうに秀吉を演じられるなんてって、正直すごく楽しんでいます。
あんな素敵な寧がいて、おまけに茶々を自分のものにするんだから、世の男たちが羨ましがるでしょうね。いただいている脚本の中で、秀吉に尊敬の念を抱く部分はあまりありませんが(笑)、自分の欲望に忠実に突っ走れる人を演じられるのは役者の醍醐味(だいごみ)です。僕自身は、そんなことできませんから!
堺雅人くんは、周囲が話を作っていくという状態の今、受けの芝居の真っ最中ですが、最後に描かれるであろう “真田丸での戦”に向かう過程を楽しんでいるような気がします。『真田丸』の秀吉は、信繁の視点から見たものなのでしょう。信繁は、秀吉に尊敬の念を抱いたかと思うと、女にだらしない面を見て、さらには平然と人を殺す姿を知ります。「大坂編の主役は秀吉」と言って堺くんが僕にプレッシャーをかけてきますが、物語の主軸は間違いなく信繁です。
これから秀吉に代わって家康が天下を取るわけですが、内野聖陽くんの芝居には、「今は自分を抑えて秀吉に合わせているものの、最終的には……」という家康の怖さ、得体のしれなさが時々出ています。
秀吉がどういう亡くなり方をするのか、まだ脚本ができていないのでわかりませんが、死に向かって壊れていく様を、包み隠さず出していきたいと思っています。天下を取り、すべてを手にいれた人でも、結局、一人で死んでいく。最終的には、言っていることと行動が伴わず、自身がわからなくなっている状態になるかもしれませんが、無常感みたいなものを出していければと。臨終のシーンにすべてを注ぎこむことができればいいなと思っています。