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2015年3月に親子による経営権の争奪で話題となった大塚家具。娘久美子氏に軍配があがった。あれから1年。

創業者である父勝久は、4月22日長男勝之氏とともに新会社「匠大塚」を開業した。 ホテルといった大型商業施設向けの家具を販売し、夏には個人向け業態も始める。

ベテランを中心に元大塚家具の社員も50人集まり、今後も増える見込み。再出発を果たした匠大塚の大塚勝久会長に現在の心境を聞いた。

(聞き手は西雄大)

親子による経営権争奪戦から1年が経った。2015年3月27日に開かれた大塚家具の株主総会で、自身の提案は否決された。当時の思いは。

大塚:株主総会の直前まで私が社長をやると疑っていなかった。総会当日も直前まで会長室にいたが、机の上や飲みかけのペットボトルもそのままにして出かけたほどだ。正しくやっている人が勝つと思ったし、株主さんは分かって頂けると思っていた。

 でも私は残るべきなのに残れなかった。これは私の責任。社員にも、お客さまにも、取引先にも、皆さんにご迷惑をかけてしまった。

 そうは言っても、やはり45年間やった会社なので、諦めるまでには悩んだ。やることはやりきったし、これだけやって支持されなかったんだから、もうやむを得ないと思えるようになった。これ以上やっても、自分の価値を落とすだけとも思った。

 大塚の株式を売るということは、やっぱり相当思い切らなければできなかった。自分で育てた会社だから思い入れがある。まだ9%ほど大塚家具の株を持っているが、今後全て処分することになるだろう。たくさん持っていても追い出されたのだから、もはや持っていてもしょうがない。

 新しい一歩は、女房の後押しがなかったらできなかった。女房に一番辛いをさせている。子供5人が4対1(勝久氏側には長男のみ)に分かれてしまった。そんな女房の後押しがなかったら、私もできなかっただろう。

匠大塚の大塚勝久会長。日本橋に加え、一般消費者向けには春日部市の西武百貨店跡に出店する。(写真撮影:北山宏一、以下同)

去年の株主総会前には「負けても創業者だから、来るなと言われても出勤する」と話していた。実際は。

大塚:いや行っていない。私の部屋は鍵をかけられ封鎖された。あれから会社には2回しか行っていない。1回あたり2時間ほどだ。私は総会後も普段と変わりなく出社するつもりだったが、先方の弁護士から電話があって「来ないで欲しい。1カ月休んでもらいたい」と言われた。そして5月20日に社用車も取り上げられてしまった。

 私物を出すにしてもすべて明細を書いて、判子を押さなければならなかった。薬一錠まで書かされた。仕事中心の人生だったので、パスポートも銀行印も会長室で保管していた。銀行印は2015年4月、パスポートは11月にようやく戻ってきた。ほかの荷物は宅配便で68箱の段ボールで送られてきた。年寄り2人の家なので、やっと整理が終わったばかりだ。

 会社は私の部屋を開けていないと言っているが、そんなことはない。部屋の中にあった資料のうち、インサイダー取引事件(2007年に自社株買いに関し、インサイダー取引の法令違反を指摘され、3044万円の課徴金納付命令)の資料が一切ない。私はいつか争おうと思っていた。久美子は不祥事があったから社長を変わらねければならないとも言っていたが、当時私は何もやっていない。

 このようになぜ親を悪者にできるのか分からない。私は久美子がやったと思っていない。誰がそうさせたんだろうと思うが、いまだに分からない。分かると辛いというのもある。

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