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「読書感想文」の正しい意味

読書 ブログ

dabunmaker.hatenablog.com
いや、読書感想文って大事ですよ。
問題は、読書感想文という課題の意味が正確に理解されていないところにあると思う。



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読書

読書感想文の課題図書(対象)にハウトゥ本はない。
物語が多いですよね。

これは物語の構造で書かれている「主題が何か?」というリーディング(読解)能力を図るためにある。
ハウトゥ本は「読む」だけの本なので。

読書とは、文章読解。
文章読解ってのは「読む」だけじゃなく「読み解く」んですよ。
単に表面的なものを読むだけじゃない。

「文章読解」は「読む」ことより「解く」ことが大事なんだけれど、残念ながらその意義が無視されることも多い。
文章を「読む」ことは、言葉と文法を覚えればできる。
しかし文章を「解く」ことは教えるのも学ぶのも難しい。

物語を表面的な部分でしか見れないというのは仕方がないんですよ。

読み→感じ→考え→説く

読書というのは多くが途中で止まってしまいやすい。
「感動した―」は感想としては正しい。
けれど、そこから何を考え、あるいはなにが書かれているのか考えることが大事。
そのやり方を知らないままの行為を「文章を読む」ことだと考えてしまうことは不思議じゃない。

感想文

そして今度は「感想文」
ライティング〜つまりアウトプット

ですから今度は読み解いたものを主観を通してアウトプットできる形に整えなきゃならない。
そしてアウトプットする際に「長文を書く」体験を得ることになる。

読書 リーディング インプット
感想文 ライティング アウトプット

「読書感想文」は、この入と出があることで成立してる課題なんですよ。
そうでもなければ読んだものを考えて整理し主観を交え書き出すことなんてなかなかない。

さきほどの
読み→感じ→考え→説く
に当てはめると読書感想文は
読み→感じ
この段階のものを書きだすことを目的にしてる。
つまり「読んで感じたままをアウトプットしよう」という意味なんですよね。

後半の考え→説くは難しい、だからまず感じたままを書きだす練習をしましょう。
これが「読書感想文」という課題。
だから学年が上がっていけば、比重が考え→説くにシフトしていく。
 
 
読書感想文に意味があるかないかはわかりませんよ。
必要ない人生だってあるかもしれない。

教育の大半は費用対効果を考えた効率的で役立つコスパ重視のものばかりじゃない。
そういう思想ならちきりんのブログでも読むほうがいいでしょう。
d.hatena.ne.jp
ほんとちきりんはコスパコスパばかりだよねぇ……。
じゃあねー。
 
 

穴埋めとレンゾンデートル

そこに意味を持たせるために、「こう書けばOK」「こう書いて高評価をもらおう」なんて話が出てきています。要するに、テンプレがあります。

それはこんな本があることでも明らかでしょう。
 

必ず書ける あなうめ読書感想文
粟生 こずえ
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何ソレ?

提出された学校はそのテンプレに沿ってるかどうかチェックしてるだけなんでしょうか。本を読んでの感想なんてひとりひとり違うのが当たり前ですけども、違うとアウトなわけです。

※アフィ部分のみ引用者

これは以前にもTWITTERで話題になったんですが。
これですよね。

ツイ主の人もあまり理解してないですが。
小学校低学年に対して、穴埋め形式で教えることで文章の書き方を系統立てて学ぶという意味では意味がある。
自転車だって最初は補助輪を付けるようなもの。

何もない原稿用紙を与え、いきなり「文章を書け」というよりもある程度文章の構造ができた段階で覚えていけるんじゃないですかね。
ガイドラインがある分余程学びとしてはスムースな導入が期待できる。

楽だからダメ、だとは思わない。
何もない原稿用紙に「本を読んで感想を書け」なんて課題を与えるから読書感想文が嫌いな子供ができあがってしまう。
アウトプットは難しいんですよ。
ガイドライン付き感想文を中学生でもやってれば、さすがにヤバいですが。

togetter.com

文章読解の意味

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読書感想文のイラスト | 無料イラスト かわいいフリー素材集 いらすとや

今やネット社会になって文字によるコミュニケーション能力はある種必須になってきた。
だから国語教育でも、もっとインプット能力とアウトプット能力に関して捉え直す必要があるようにも思う。

子供たちの読書感想文を見せてもらうと、添削されているのを目の当たりにするんですが、それってどういうことなんですかね?

だって、本人は本人の感想文を書いているわけじゃないですか、思ったことを書いているんです。

それを添削って何様ですか?って思っちゃうんですよね。本人が感想書いてるんだからそれが書いた本人にとっては正解でしょう。

それはインプットとしての正解とアウトプットとしての正解は違うからですよ。
本人にとっては正解でも文章としては間違い。
だから添削を行う。
本人にとっての正解が絶対的な正解なら世の中から炎上はなくなる。
アウトプット能力が低いから「ボクの思ってることが伝わらないよー」「みんなの読解力が低いんだー!」という捉え方の管理人が引き起こす炎上案件ばかりが目に付く。

今やネットリテラシーが叫ばれるけれど、その根本は文字コミュニケーションにおけるリーディングとライティングにある。
文章をまともに読めない書けないのではリテラシー以前の問題。

たしかにこれまでの読書感想文という課題のやり方は、見直す必要があるかもしれない。
今のやり方では「読書感想文」という「本を読んで思ったことを書く」以上の意味を持たせられない。
読書して書きだすというのは、

読む→感じる→考える→解く→考えを整理→書きだす形に整え→書く

これだけの行為の集合体。
だからこそひとつひとつ学ばせる必要もあるんでしょうが……文系は軽視されがちですから。
でもだからといってリーディングとライティングの基礎となる教育は、無くしていいものではないと思うんですよね。

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