人生が変わるかどうかについて、なんだか賑わっているみたいだけど、正直どうでもいい。
だって、人生が変わった瞬間なんて、みんな同じはずないから。旅行で変わる人もいれば、家で寝ていて変わる人もいれば、本を読んで変わる人もいるだろう。
自分は東京で振られた時だった。
その時、ここにはいたくないと思い始め、実家に帰る思いを強くし、その後色々あったが、あのタイミングで帰ってきたからこそ今の会社で働き始め、今の妻と結婚し、かわいいかわいい娘がいるのだ。
自分の場合、そんなどうでもいい事がキッカケで人生が変わったと断言できる。あのまま東京にいる未来もあったはずだが、実家で起きた立ち退き要求事件とか、自分の失恋とか、マネージャー的なポジションをやらされる寸前だったとか、他の人から見れば「そんな事」と思うようなことが人生を変えてきたのだ。
人生を変えるのに、おそらく御大層なものは必要ない。ほんの少しのキッカケがあればいい。自分は、そう思う。
論が薄いとか厚いとかそれ以前に、そもそもみんな違っているはずのことを一緒くたにして語ってドヤ顔しようとするから、こういうことになるのだ。
勿論、そういう書き方をしたのは戦略的な意味合いもあるのだろう。そうすることで注目を集め、派生エントリを生み出していく。「プロブロガー」なのであれば、正しい手順を踏んだ普通の行為なのかもしれない。このエントリもその派生エントリの1つにすぎない。そういう意味では、乗っかってるし、乗せられたとも言える。
一時期、自分もそういう手法に足がはまりかけたことがあった。だが、それは怒りか呆れか反感しか生み出さないと思い知り、自覚的にそういう題材を選ぶのをやめた。
今日はきのこたけのこ戦争の話を書いたが、以前だったら「まだたけのこの里で消耗しているの?」とかなんとか書いてしまっていたかもしれない。
そういうのもまた生き方だ。
それを選ぶのかどうかもまた選択なのだ。
それが幸せなのかそうでないのかは、本人にしかわからないことだ。
どういう風に見えようとも、幸せであると本人が思えば、それは幸せなのである。