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「わたしを離さないで」最終話。強者による弱者からの搾取という主題はどうなったか

2016年3月19日 09時00分

ライター情報:杉江松恋

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ついにドラマ「わたしを離さないで」が最終回を迎えた。
いろいろな考える「種」を与えてくれる作品だったと思う。カズオ・イシグロの原作小説『わたしを離さないで』のファンの方も最後まで興味深く観られたのではないか。少なくとも、あの作品をなぜ映像化したのか、というような疑問は湧かなかったはずである。

最終回ということで、以下に全話を通して思ったことを書きたい。ネタばらしをするつもりはないので、これから録画や公式サイトで視聴される方も読んでいただいて大丈夫です。ただ、絶対に予備知識なしに観たい、という方はご覧になった後でまた覗いてみてください。

嘘つきの心と、心の悲鳴と


保科恭子(原作におけるキャシー・H。綾瀬はるか・演)と土井友彦(原作におけるトミー。三浦春馬・演)が必死にしがみついていた「猶予」の可能性が否定され、友彦は堪えてきた感情をついに爆発させてしまう。自暴自棄になり、恭子を「介護人」から解任したいとまで言い出す。そして、陽光学苑(原作のヘールシャム)から持ち続けていた宝箱や、夢の象徴であったサッカーボールをゴミ袋に入れて捨てようとするのだ。かつて友彦は、酒井美和(原作におけるルース。水川あさみ・演)が同じような行動に出たとき、こっそり宝箱の中身を拾って戻してやったことがあった。その友彦が、過去の記憶につながるものをすべて捨て去ろうとするほどに、夢を否定された絶望は深かった。

前回のレビューで、原作の特徴を虚偽意識だと書いた。

ライター情報

杉江松恋

1968年生まれ。小説書評と東方Projectに命を賭けるフリーライター。あちこちに連載しています。

URL:Twitter:@from41tohomania

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