ヤクルト・山田哲人(右)を指導する広岡達朗氏 =2013年2月、沖縄・浦添市民球場(撮影・川口良介)【拡大】
プロ野球のゆゆしき事態に、ついに球界のご意見番・広岡達朗氏の堪忍袋の緒が切れた。新著『巨人への遺言』(幻冬舎)を緊急出版し、プロ野球が生き残る道を探り、ぬるま湯体質の球団に改革の断行を迫る。84歳の重鎮の言葉は“繰り言”ではない。このままではファンからも「三下り半」を突きつけられても仕方がない。球界の見識はどこへ消えたのか?
■転落の根は西武時代に
「第4の男」まで登場した巨人を舞台にした野球賭博、球界の元スーパースター・清原和博被告の覚醒剤の所持と使用、ロッテの外国人、ナバーロの実弾1発の所持…。耳を疑うような球界スキャンダルが続く中、広岡はそれでも「性善説」に立って物申す。
「野球人に本来、悪いやつはいないと思っている。ただし、野球バカが過ぎる分、社会常識に欠ける者が多い。監督やコーチが一般常識をしっかり教えればいいが、それができていない。清原がこうなったのも西武、巨人時代の指導と教育に問題があった」
球団の体質に甘さはなかったのか-。清原が西武に入団したときの監督は森祗晶である。前年、広岡からバトンが託された。ところが「名将」で知られた森の頭の中に、やりたい放題の未成年スターの教育のことまでなかったようだ。コーチたちも清原の扱いに手を焼き、だんまりを決め込んだといわれる。
一方、広岡はヤクルト、西武の監督時代、選手の生活習慣の改善や食事制限、キャンプ中のマージャン・ゴルフの禁止、ユニホーム姿でのたばこを止めさせるなど、泣く子も黙る「管理主義」を徹底させた。
「僕が監督をしていたら、清原を厳しく教育したよ」
清原の巨人時代の興味深いエピソードが同書の中で再現される。〈西武の看板スターで29歳になった清原を巨人首脳陣がコントロールするのは大変だったろう。清原をもてあましたコーチ陣は長嶋茂雄監督に「一時、2軍に落とすなどして、巨人軍の野球をしっかり教え込んだ方がいいのではないか」と提案したが、監督は「三顧の礼を尽くして来ていただいた大変な選手に、そんなことはできません」と拒否したという〉