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一橋を出てニートになりました

元編集者。過労で退職→ニート→派遣の底辺人生コンボ経験から、主に労働問題について書いています。

「日本死ね」の『死ね』への批判と斗比主さんの記事に思う、切実さの伝わらなさ

貧困・労働 はてな村

「保育園落ちた日本死ね」の「死ね」への批判は「重箱の隅をつつく」批判

育休後、仕事に復帰したいのに保育園に入れない悩みを綴った「保育園落ちた日本死ね」について、文中の「死ね」という単語ばかりが批判されている。

――お母さんにもインタビューしてきましたけど、国会でも解決していない切羽詰まった状況です。だれに言っても解決できない。「日本死ね」といういい方でしか表現できなかったと、みんな分かるっておっしゃってますよ。
(平沢氏)例えばいじめの時、「あなた死ね」ということはよくあるんです。このなんとか死ね、っていうことに市民権を与えるのがいいのかということです。そういう表現を使うことはどうかなと。
――それくらいの思いということが共感を呼んでいるんです。
(平沢氏)それは分かっていますけど。「日本死ね」っていう表現はよくない。私たちは、保育の問題や待機児童を軽く見ているわけではありません。

平沢勝栄議員、番組でヤジ謝罪。でも「本当に女性が書いた文書ですか」【保育園落ちた日本死ね】

だが、この批判は「重箱の隅をつつく」批判である。
重箱を図にした。

重箱の隅をつつく批判の図

「保育園落ちた日本死ね」は、単純明快な一つの主張のみで構成されている。
「死ね」は、その主張を効果的に伝えるために選ばれた単語の一つである。

「保育園落ちた日本死ね」を重箱に例えると、「死ね」は重箱の中身ですらなく、重箱の素材にすぎない。
なぜなら、「日本死ね」は主張ではない。筆者は本当に日本に死んでほしいと思ったのではなく、「日本死ね」と言いたくなるほど苦しんでいただけなのだから。

食レポに例えれば、有名な駅弁の牛丼の食レポで、牛丼の味には全く触れずに「丼の色が変でした」と言っているようなもので、意味がない。

「保育園落ちた日本死ね!!!」が自己規制された文章なら話題になったか?

例えば、「保育園落ちた日本死ね!!!」が、「保育園落ちた」というタイトルで、下記のように始まったら、これほど話題になっただろうか。

何なの日本。
一億総活躍社会じゃないの?
昨日見事に保育園落ちました。
どうするの私活躍できません。…

主張の明快さにブクマはついたかもしれないが、2000超はいかなかったろう。

人は、文章を書く時に自己校正して、使う単語にも規制をかける。あえて「死ね」という、批判されるような単語は使わない。

この記事にはそれがない。
少なくとも私は、規制のないストレートな心情の発露と、自らを律することができないほど余裕を失くした切実感に胸を打たれた。

筆者は、「死ね」という言葉を使うほど、余裕がなかったのだ。
そこまで追い詰めたのが政治であることを分かってほしかった。

だが、せっかく国会で取り上げられるほど話題になったのに、当の政治家にはその切実さが伝わらない
あげく、余裕がないために生まれた「死ね」という言葉と「この筆者は本当に女性なのか」だけが取り上げられる。
そのことに、私は心底がっかりした。

斗比主さんの記事に思うこと

はてなの人気ブロガーである斗比主さんが、記事を書いた。

麻生財務相「消費税 予定どおり10%に」 NHKニュース

すごく根本的に、この人たちは未来の景気なんてどうでも良いのよ。死ぬまで十分な金はもう持ってるし、安倍さんは子供とかもいないし。

2016/03/17 19:21

上記のコメントに対する批判である。

筋悪だというのは、本人に子どもがいないことを理由に、だからダメだと言っちゃっても、本人としてはどうしようもないからです。
(中略)
ただ、本人がどうしようもないことでもって、その人を否定するのは、たとえ相手が政治家であっても、好ましいものではないと自分は考えています。

正論である。
本当に、本当にその通りだ。
昨夜この記事を読んだ私は反省し、「仰る通りです。批判の仕方は私も気をつけます」とブコメをしたほどだ。

だが、今朝起きて考えた。

批判されたコメントは、下記のニュースに対しての発言だ。
麻生財務相「消費税 予定どおり10%に」 NHKニュース

このニュースには、私も非常にがっかりした。
この期に及んでも、政治家はまだ財務省の方を向いているのかと。

コメントをした人も、私と同様に落胆したのではないか。

 消費税予定通り実施
→政治家は「なぜ」国民の方を向いてくれないのか、という落胆
→その理由は、本来は国民の味方であるべき政治家は、同時に特権階級(=金持ち)であるため、景気対策を切実に捉えられないのではないかという疑問
→「すごく根本的に、この人たちは未来の景気なんてどうでも良いのよ」というコメントにつながる

このような心理の流れがあるのではないか。
そして、斗比主さんが指摘した、このコメントにスターをつけた人々も、特に「安倍首相には子供がいないから」という部分に賛同した訳ではないと思う。
コメントは言葉足らずで配慮がないが、根底に流れる「政治家は未来の景気について真剣に考えていないのでは?」という疑問に賛同したのではないだろうか。

コメントしたご本人も、下記のように謝罪している。

「安倍首相はお金もあるし、子どももいないから未来の景気なんてどうでもいい」 - 斗比主閲子の姑日記

ごめんなさい。無配慮発言であること間違いないです。過去の栄光を確かにすることを重視していて、将来世代に対する方向でないことへの不満からでしたが、その理由として挙げることとして適切ではありませんでした。

2016/03/18 22:56

斗比主さんの主張は、100%正しい。
ただ、人気ブロガーであり、あれほどの才と分析力を誇る斗比主さんに、「なぜこの方がこのようなコメントをしたのか、その心理と背景」まで分析してもらえたら、さらに良かった。
(と思ったが、斗比主さんが今の政治に不満がなければそんなこと書く訳ない。だから、過ぎた期待である)

あと、批判相手がブロガーなら反論手段もあるし名指し批判もいいと思うが、この場合は一ブクマカなので、斗比主さんのはてなでの地位を考えれば、idまで晒すのはやり過ぎではと思った。

自らを反省

先日、この記事を書いた。

(数日たって改めて読み直すと、「この人ヤバい」と思えるメンヘラ全開かつ主張も未熟なこの記事を読んでくださり、賛否両論ブコメをくださった皆様、わざわざブクマページからスターをくださった皆様、本当にありがとうございます)

で、本題に戻ると、この記事の中で私は、安倍首相を呼び捨てにしていた。斗比主さんの記事を読んで修正した。

私は、派遣法を改悪した安倍首相が大嫌いだ。憎んでいると言ってもいい。その気持ちは、自らが派遣社員である者にしか理解してもらえないだろう。
もっとも、私が派遣になったのは、自分の体調を管理できず過労になるまで働いた「自己責任」であり、甘ちゃんな考えなのは百も承知している。
(注:自民党だけでなく、どの政党も嫌いです。もし非正規党ができて、クリーンな政治家が出るのなら応援します。あり得ないけど)

しかし、安倍氏を呼び捨てにしたままでは、「保育園落ちた日本死ね」が『死ね』という余裕のない表現ゆえに批判を受けるよう、私の主張も正しく伝わらない。

分かってほしいのは、言葉が乱れるほど、人々の心から余裕を奪う政治が行われているということなのだ。

だが、自己規制ができなかった表現は、同じ思いの者にはその切実さゆえに共感されるが、そうでない者にはその表現だけに注目され批判される。
だから私も、切実さはそのままに、誤解を生まない表現を目指していきたい。

(ちょっと疲れたので、次の更新は来週末以降になります)