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バイトで出会いはあるのか分析

アルバイトでお金を稼ぐのは当たり前。人と人がどのように仲良くなるのか、恋愛に発展するのかを分析していきたいと思います。

仕事(バイト)と恋に効く、おすすめする漫画

バイトや恋に効きそうなおすすめ漫画

アルバイトは遠隔地で行うことも多い。バス、電車などで移動するときはぜひ、漫画をお供にしてください。
マンガには人間関係を円滑にする会話術、笑いが詰まっています。
そして、男女の心の機微がわかれば恋愛にもプラスになります。バイトで出会いを望んでいる皆さま、ぜひ漫画をお供に。
でも、どんな漫画が良いかわからない皆さま。
おすすめのマンガを選んでみました。
メジャー作品からマニアックまでいろいろ揃ってます。

職場の先輩との会話に使いやすいようにってことで、昔の作品を多めに入れております。あと、女性に人気がある作品も入れていますので、女性との会話に使いやすい作品も多いかと思います。

月刊少女野崎くんはお仕事物マンガとして最高

月刊少女野崎くんという漫画が面白い。夏の間はアニメも放送していました。

昨今にしては珍しくと言っては失礼ですが、深夜アニメにも関わらず、子供でも気兼ねなく見ることが出来る内容となっています。

簡単に言えば、男子高校生兼少女漫画家である野崎くんと、彼を取り巻く愉快な仲間たちによるコメディです。

学園コメディでもあり、お仕事コメディでもあります。

日常にありそうな出来事だけど、よく考えたらこんなことないよなと思わせることがたくさんあり、でもなんだか納得してしまったり、ゲラゲラ笑えるという、素敵な作品です。

私の母親も読んでいます。

子供から大人まで楽しめるというのは、まさにこのことだなと感じています。

私が一番好きなのは、野崎くんの友達で、かつ野崎くんの少女マ漫画のヒロインのモデルでもある、みこりんこと御子柴実琴くんです。

彼は男ですが、本当にヒロインみたいなんです。

野崎くんのことが好きな千代ちゃんというヒロインがいるのですが、彼女にも負けていないと私は思っています。

みこりんは見た目ちょっと派手なイケメンですが、極度の人見知りです。

自分も見た目が派手なくせに、見た目が派手な女の子は苦手みたいです。

そんなみこりんですが、実は二次元の女の子をこよなく愛していて、美少女フィギュアも集めていますし、二次元の女の子たちと恋愛するゲームもやっています。

見た目と中身とのギャップが凄まじいですが、男女問わず人気があります。

二次元の趣味を持っていると知っているのは本当に近しい人たちだけですが。

彼はヒロインのモデルでありながら、野崎くんのアシスタントもやっています。

お花を描くのが得意です。

みこりん可愛すぎですね。

千代ちゃんもひょんなことからアシスタントの仲間入りをするのですが、他にも、演劇部の部長さんも忙しいはずなのにアシスタントをやっています。

演劇部メインの話も、なかなか面白いです。

耽美な世界観「天使禁猟区」

有機天使アレクシエルの末裔である主人公無道刹那が妹の紗羅と禁断の恋に落ちてしまい、ひょんなことから救世使として天界や地獄で悪魔達と手を結んだアレクシエルの双子の姉弟である無機天使ロシエルに立ち向かう・・・というお話。


幻想的で耽美な描写、個性的な登場人物、複雑だけども非常に深いストーリー・・・

壮大な昼メロという見方も出来るわけであるが、しかしこの漫画の登場人物に感情移入出来る奴がいたらその人は色んな意味で大物だろう。
一応主人公と妹との禁断の愛とかも重要なタームとしてあるわけだし様々な人物同士の複雑に絡み合った人間模様などがこのマンガの見所なんだけども、なんだかそれらの全てが作りものめいている。
嘘臭いという意味ではなくって愛欲とかそういうのを含めて生々しさが無いといった方がいいのか、何か芸術的なものを見せられてる気分になる。

なんか美しすぎるのである。
死とか裏切りとか嫉妬とか、目ん玉いくつもあるバケモノとか、腐っていく肉体とかいうものすら。身近にあったら勘弁して欲しいようなものが、この漫画の中では美しく見えてしまう。
で、この何でも美しく描かれてしまう、というとこに私はなんか怖さを感じた。

こんな他のジャンルではグロとしか受け止められないようなものが少女漫画では美として描かれ、読者(少女)達に愛好される。
どんなものでも美醜を軸に見てしまう、というのはある時期の女の子にはありがちな性質なのかもしれないけど、この漫画を読むとその軸というのがどんなにブレやすく不安定なものであるかが分かる。
そこを踏まえてこの漫画を見てみれば余計にその不気味さが際立つ。

巷で流行ってるヤンデレとかいうのが少女のキャラクターにマッチする理由が分かる。
ヤンデレなんてわざわざ言わなくたって、少女っていうのはもうそれだけでヤバいもんを孕んでいるのである。

きっとこの作者が描いたものならなんだって美しくなるに違いない。
描かれる何もかもが美しい。そんな作品でした。

ジェットコースター的な展開「デストロ246」

これはとにかく面白い。アルバイトへ向かう途中にこれを読み始めると、仕事中気になって、仕事に集中できないくらいだ(ダメ絶対)。
「ヨルムンガンド」の高橋慶太郎の作品ですが、やはり雰囲気はかなり違いますね。

また、元になった短編シリーズ「Ordinaly ±」とも、絵や設定は違っています。

 

好みにもよると思いますが、絵は短編の頃が丁寧で、主人公である伊万里も「女子高生らしい可愛らしさ」で描かれています。(「狙われた学年」の原田知世的な感じですかね)

これが「デストロ246」では、かなりの吊り目に描かれていて、それでもあの世界観、置かれている状況にはマッチするあたりは流石なのですが。


そもそも、「デストロ246」は、

女子高生ヤクザと、女子高生の殺し屋が抗争を繰り広げる漫画です。

ものすごい率で殺し屋が登場しますので、それは普通の顔では居られません。

言ってみれば、「凶悪な力」がいくつも、いくつも登場して、それらが激しくぶつかり合っているワケで、登場人物の顔はそれは険しくなるでしょう。

ストーリーも、どちらへ転がっていくのか「判らない」、いわゆる「ジェットコースター・ムービー」的な緊張感に溢れています。

「ヨルムンガンド」は、謎の計画を軸にした、奇妙に静かな感じの作品でした。

無論、武器商人と少年兵が主人公な為に、激しい戦闘が常に描かれますが・・・。
武器に生かされながらも、武器を憎む
という、二人の主人公の矛盾した心情が、あの「雰囲気」の根源だったのだと思います。

しかし、「デストロ246」の世界は、主人公もその敵も殺し屋です。

そこへ、「殺し屋の殺し屋」や、「何をしたいのか良く解らない凄腕の殺し屋」「CIAに雇われている殺し屋の少女」といった、
どっちへ動くか判らない

暴走気味のキャラクターが、好き放題を繰り広げますから「熱い」展開になるのは間違い無いのですが。
主人公、的場伊万里は、洗脳により群を抜く殺人技術を身につけてはいるが、殺人には消極的。

同様な境遇らしいCIAの少女「紅雪」は、残忍だが幼児性が強く、どう出るか毎回、不明。

殺人者として育てられた藍、翠の「狂犬」コンビは、使命に忠実な上に、制御する立場の雇い主を失っている。

そして、女子高生ヤクザ、万両苺は頭が切れる。利益にならない無駄な戦闘は避けるタイプ。

ようやく登場した一連の事件の元凶は、「派手な事がしたい」とトボけた事を言っていて、所属組織を裏切りそうな気配もアリアリ。

 

こうなると、もう・・・・先の展開は誰にも「見えない」と言って良いでしょう。

この「先」が、絶対に気になる!と思わせるタイプの漫画です。

恋愛のゴールとしての「赤ちゃんと僕」

主人公の拓也は小学五年生。お母さんが亡くなって、弟の(まだ幼児の)実とお父さんと三人で暮らしている。そんな拓也君と家族を取り巻く愛と感動のショートストーリー。

可愛い男の子やらかっこいい男の子、ステキな男性らのあれやこれやが盛り沢山。

おまけにオモチャ(感動)もついてくる。

女性にとってのお子様ランチ的作品、それが「赤ちゃんと僕」。

 

小中学生でこれを読んで感動しましたっていうのには罪は無いし、当時は感動したなあと読み返す大人がいてもしょうがないと思うけど、今まっさらな状態でこれ読んで感動しました!っていう大人はちょっとヤバいかもとも思わんでもない。

その感動にもこの作品にも、「これはフィクションです」って付けたくなるというか。

この漫画で感動したって目ウルウルさせてる人はきっと人1人の命は地球より重いと固く信じてるに違いない。

 

「子供と老人と動物出しときゃ間違いない」という言葉があるけど、全部本当に出てくるもんなあ。

この漫画の感動は結局そういうそれを生み出すための経験則や準備万端な装置が生み出しているものに過ぎない。

感動の完全武装。

「赤ちゃんと僕」というステキな世界観の中でステキなキャラクター達によって織り成される閉鎖完結型の感動ってとこだ。

 

あと、この「赤ちゃんと僕」世界のイケメン・美少年愛好主義は徹底してるな。ある意味「人間は顔」という現実を教えてくれてるのかもしれない。

そういえば男性作家の描く漫画の中の学校には美少女が沢山いて、それを一山いくらみたいな男の子達が高嶺の花のように崇めたりするけれども、赤ちゃんと僕の世界ではそれと全く逆。

並以下の女の子達が主人公達美少年を徹底的に愛でまくる。

男性と女性ってよく対比させられるけれど、そんなに真逆な事って少ない。同じ人間なんだから当たり前なんだが、ここまで好対照なことって珍しい。

 

結局この漫画の本当の価値は感動なんかじゃなくて、冒頭にあげた可愛い男の子達のあれこれというとこにあると思う。感動は単なるオマケのオモチャだ。

職人的な野球人、京浜アスレチック

架空のパ・リーグの弱小球団「京浜アスレチックス」に入団した毒島大広の活躍とともに、同球団の躍進を描いた野球漫画。連載をされた1996年から1998年とほぼ同じ1996年から1997年のパ・リーグを舞台にしています。当時は本当にスポットライトが当たらなかったパ・リーグを描き、野球好きにしかわからないような小ネタも多く飛び出します。

 

不良だった毒島は、名スカウト木暮に目をかけられアスレチックスに入団をすることに。非凡な才能、とくにストレートの速さを見せつけますがコントロールが定まらず苦戦が続きます。そこでこの球団のマスコットキャラクター「チックくん」が毒島を指導することに。チックくんの中身はわからないまま、しかし的確な指導を続け毒島は躍進をしていきます。

 

毒島入団の一年目は二軍でのプレーが多かったですが、二軍監督の三木監督が一軍の監督代行となり、チームも調子を上げていきます。二年目、三木監督はマスコットキャラクターのチックくんを投手コーチにすることを条件に一軍監督に就任します。

 

そのままチームの投手コーチにも就任したチックくんはチームメイトからの信頼も得ていきます。同時にユニークに描かれたチームの個性派メンバーが活躍し、優勝争いをするまでに。熾烈な優勝争いの結果とチックくんの正体は…。

 

こういった作品を盛り上げる球団の選手たち。毒島のライバルとして登場する清水投手は正統派ですが、サイドスローが売りの斉木、言うことを聞かないベテラン・黒木、ナックルボーラーのウェイク国吉、若手捕手・佐世保、守備範囲が異常に広い三条、そして元暴走族のリーダー・本上など、主人公に頼り過ぎないストーリーを展開していきます。他球団の選手は、ライバルとして登場する人物は一部架空の人物ですが、それ以外は完全に実名で登場し、その描き方(とくに動き)がそっくりなので、それだけでも見ていて笑えます。

 

細かいルールに関わることはあまり出てこないので、野球をすごく知っていなくても楽しめる作品です。


ちょっと知的な自分を演出できる「ヘタリア」


「国際政治(アメリカ・ヨーロッパ)は複雑怪奇」と発言した首相が昔いた。これはこの難しい国際政治を各国を擬人化して描いたギャグマンガ。

擬人化というのはあんまり好きな表現ではないんだけど、何かを理解するのに非常に有効な手段だったりするわけである。

私はこれを読むまでイギリスとフランスの間に因縁があるということすら知らなかった人間である。すごく恥ずかしい事を言ってるのかもしれないがそれすらも分からない。

そんな人間でも国家や歴史に興味を持てるようになるんだから、単純に面白いというだけではなくて色々と意味のある作品だと思う。
擬人化すると何が分かりやすいってやっぱり互いの相関関係、キャラクター同士の掛け合いの中で関係性がもろに現れる。

 

例えばさっき言ったような「イギリスからみたフランス」というような見方の存在とかが擬人化するともっと身近になる。

ある人にとっては「いい人」である人物が別の人にとっては「嫌な人」だったりすることは珍しくないが、そういうのが国家間でもありえるということが分かりやすいのである。

日本で歴史の授業を受けて分かるのは対日本としてのイギリスやら中国やらの姿が殆どだし、日本でただ暮らすだけならそれ以上の事を知る必要もあまりない。

そういうのを自覚せずに国家間の問題などに触れようとすると色々と厄介な事になる気がする。

他にも読んでいて新鮮な発見の沢山ある作品だった。

今際の国のアリスの心理戦が凄い

これもバイトに遅れる案件。
主人公有栖良平=通称アリスは、学校でも家庭でも居場所がなく、人生を投げてしまっている落ちこぼれ高校生です。そんなアリスを友人として助けてくれるカルベとチョータはアリスの理解者でもありました。

どこか知らないところへ行きたいとゆう願望を持つ三人は、ある日夜空に上がる大きな花火を目撃します。

気が付くとアリス達は見知らぬ荒れ果てた街で目を覚ましたのでした。ここがどこなのか分からないアリス達。今際の国と呼ばれるこの場所で生きるためには、滞在チケットと呼ばれるチケットを手に入れる必要がありました。チケットを手に入れるためには命を懸けたゲームに参加し生き残る必要があり、アリス達は途中で出会ったシブキとゆう女性と一緒に生き残りをかけたゲームへと参加を決意するのでした。

ゲームを何とかクリアし生き残るアリス達。しかしアリスに厳しい現実が付きつけられます。新たに参加したゲームで生き残れるのはただ一人。

友人を殺せないアリスは自らゲームを放棄しようとしますが、カルベやチョータたちはそれを許さず自らを犠牲にしてアリス一人を生き残らせます。自暴自棄になりもう自らの存在意義すら分からなくなったアリスが出会ったのはウサギと呼ばれる女子高生でした。

ウサギの助けもあり、生きる意味を見出していくアリス。今際の国が何なのか、ここから抜け出す方法は無いのかをアリスは活きる目的としていきます。

ビーチと呼ばれる場所で今際の国の真実を知ったアリスは、げぇむを主催している絵札の主たちとの生き残りをかけたゲームへ参加していきます。クローバーのキングを自称するキューマとの心理戦の末、ゲームに勝ったアリス。

しかし主催者であるキューマ自身も、今際の国へ飛ばされてきた一般人だとゆことがわかり、アリスは絶望するのでした。はたして今際の国の真実は、アリスは脱出できるのか?とゆうのがおおまかなあらすじです。

非常に細かい心理描写や駆け引きが描かれていて、人間の裏の部分の描写も凄いの一言です。現在、かなる核心部分へ話が進んでいるようなので、これからアリス達がどうなっていくのかが非常に楽しみな作品です。

年上のバイト仲間と文字通り世代をまたいだ交流ができる「キン肉マン二世」

仕事に意外と役立つ漫画といえば「キン肉マン二世」。

なぜなら、今の親世代なら知っている人は多いと思う「キン肉マン」の続編ということで、職場で幅広い層のバイト仲間などと話をすることができます。

そのキン肉マンの息子が主人公の漫画です。

 

主人公の名前はキン肉万太郎といって、周りの人からは「キン肉マン タロウ」として呼び間違えられることが多くあります。
また、キン肉マンと同じくマスクを被っているのですが、マスクから前髪が飛び出ているという奇抜な顔つきが特徴です。

そしてこのキン肉万太郎も普段は父のキン肉マンと同じダラダラとだらしないキャラクターでもあります。また、父キン肉マンが世界を救った英雄であるということを全く信じていない息子でもあります。
それは父であるキン肉マンが息子の万太郎の前では、ほとんど怒ることなくむしろだらしない姿を見せてしまっていたからです。

そんな頼りない父を小さいころから見ていた万太郎からしたら、父が英雄という事実は全く信じられないものでした。

しかし、ある日を境に自分が地球を悪者から守っていかなければならなくなります。そうした時、父の偉大さ、強さを徐々に感じていくとともに自分がその英雄の息子であるということへの重圧を感じるようになっていきます。父は偉大で強く、世界も守ったのに自分は何もできないダメ息子だと感じ始めます。

一度は心が折れそうになる万太郎ですが、偉大な父からのアドバイスや周りの人からの助言によって父の偉大さだけでなく、父を支え共に戦ったロビンマスクなどのレジェンドたちの絆を感じ立ち上がっていきます。偉大な父を持つと、その父を超えられるのかどうか不安に思うこともあると思います。

小さいころは頼りになる父だったのが、大きくなると越えられない大きな壁となって立ちふさがることもあると思います。そうした大きな壁にぶつかった時、もがき悩みながら最後には立ち上がって前を向いていく姿はとても感動します。

また、主人公が悩んでいる時に、近くで支えたり見守っている友人や親の姿はとても温かく素晴らしい人間関係が描かれています。

上司に気に入られそうなマンガ「坊ちゃんの時代」

「坊ちゃんの時代」は文芸評論家の関川夏央が原作を書き、谷口ジローが作画した5冊の連作マンガです。以下に書くように5作はそれぞれ主人公が違いますが、大きな流れで言うと夏目漱石がキーパーソンになっています。

5作のあらすじは以下の通りです。

1 「坊ちゃんの時代」

夏目漱石が「坊ちゃん」を書きはじめる前後の物語。「坊ちゃんは決して痛快な青春文学ではなく、圧倒的に変化する明治初期において、文明開化から取り残される<江戸文化>の悲しみを描いた作品である」という関川の分析に基づいて、夏目漱石とその周辺に集まる学生や侠客などが織りなす事件をつづったもの。

2 秋の舞姫

これは漱石ではなく、同時代の並び称される文豪・森鴎外の、小説「舞姫」として知られた、ドイツでの恋愛事件をベースにしたもの。鴎外のドイツでの美少女・エリスとの恋愛、鴎外からの一方的な別れ、エリスが日本に来てからの事件、などを中心に、明治の「公人」として職務を果たさなければならなかった鴎外の心象について物語っています。

3 かの蒼空に

これは一転して、明治中期の石川啄木を中心にした物語。啄木は一般に知られているような感傷的な詩人ではなく、借金を常にし、享楽的な生活を送りつつ、その合間に呼吸のように短歌を詠んで行った、という設定の物語。

4 明治流星雨

天皇の暗殺、明治政府の転覆を企てたとする「大逆事件」について、その主要人物である、幸徳秋水と菅野須賀子を中心に描いたもの。5作の中では1番暗いです。

5 不機嫌亭漱石

ここで主人公は漱石に戻り、漱石が滞在先の三島で瀕死に陥った「三島の大患」について語っています。明治はすでに後期に入っており、文明開化の明るさもなくなり、強くなる軍部、強くなる政府の暗い秋穂との中、変わっていく時代について語られています。

私は関川夏央の文明観が好きですし、またその詳細なリサーチからくる、明治期のディテールも読んでいて非常に面白く、さらにはそれを作画した谷口ジローの筆力も圧巻で、これについては何度も再読しています。明治の知られていない横顔を知りたい人にはぜひお勧めしたい漫画です。

名作スラムダンクは幅広いバイト仲間との会話に最適

これも昔の名作だから、仕事場のいろいろな人と話が合わせられる作品。

30代以上の人に、スラムダンクが嫌いな人はいないでしょう。


二十年近く前の漫画なのに、いまだに名作として語り継がれているくらいで、それもうなづけるすばらしい作品です。

特に私が好きなのは三井寿のエピソードの数々なのですが、それだけにもしこの漫画に三井寿が登場することがなければ、私自身ここまで思い入れることができたかどうか疑問だというくらい本当に思い入れの強いキャラクターとなっています。

バスケで全国制覇を夢見ていながらも一度挫折を味わい、そうしてまたバスケ部に戻ってきて、今度こそはこのメンバーで全国制覇をという三井の熱い思いは、何度この漫画を読んでも涙してしまいます。人間臭いキャラクターというのか、迷いや不安、そして後悔の念を持ちながらも頑張っていく三井の姿に、私は共感を覚えると共にかなり感情移入してしまい、バスケの試合シーンでは三井にボールが渡るたびに心から応援し、三井が得点をあげると本気で喜ぶといった有様でした。それほどこの三井に惹かれたということなのでしょうが、それにしてもここまで魅力あるキャラを描くことのできる作者の力量には脱帽です。

そしてスラムダンクといえば全国大会での対山王工業戦です。主人公桜木花道率いる湘北軍団が、格上の山王工業に立ち向かっていく日の前日の本当にまともに戦うことができるのか、まだ挑戦するには早かったんじゃないかといった迷いや不安、そして試合当日にはその不安を乗り越え、格上の王者山王工業に立ち向かう姿には心が震えたものです。

またその対山王工業戦の試合描写のすばらしさったらありませんでした。まさに手に汗握る戦いというのか、まるで漫画を読んでいるはずの私自身が試合会場にいるのではないかという錯覚さえ覚えるほどで、あまりの臨場感にはずっと心がハラハラしっぱなしだったのを今でもよく覚えています。それほど最後の戦いは熱いものだったのです。
スラムダンクの良さはやっぱりキャラクターにあると思います。みんなそれぞれの個性があり、自分はこのタイプだなと感情移入ができるのです。そして、みんなに見せ場があったこと。これが今となっても語り継がれている大きな要因でしょう。また、それぞれに名言があるのも高いポイントです。安西先生の「諦めたらそこで試合終了だよ」というフレーズはスラムダンクを読んだことがない人でも知っているはずです。それぐらい、多くの方が使っているフレーズになりました。


当時バスケットマンガは絶対に成功しないと言われていた中ですべてをひっくり返したのがこのスラムダンクです。

マンガだけでなくアニメ化や劇場版も作られるほどの大作です。そんなスラムダンクを、読んだことがない人がいればそれは間違いなく損をしています。スポーツとしての感動もあり、人間関係での感動もあり 、何より人生において教科書となるようなことを教えてくれるマンガです。

ぜひともみんなにオススメしたいと思います。一度、読むことを検討してみてください。

オーケストラの漫画「マエストロ」

何気なくブックオフで「マエストロ」というタイトルの漫画を見かけ、つい購入してしまいました。

昔、週刊アクションで連載されていて、現在は完結している漫画です。

このマエストロとは、マスター、マイスター(職人、名人)のイタリア語読みで、偉大な芸術家に対する尊称であり、一般的にはオーケストラの指揮者の事を指す場合に使われます。

 

…そんなウンチクはいいとして、簡単にストーリーを言えばオーケストラのお話。

解散したオーケストラが、とある指揮者によって再結成され、そして再びコンサートを開くという話が団員の元に届きます。

このオーケストラを招集した指揮者・天道は全く無名の老指揮者。

なので、団員達も最初は小馬鹿にしていたのですが、次第に天道に惹きこまれていく…という物語です。

その際の団員達と天道、そして主人公である中央交響楽団の元コンサートマスター香坂との様々な人間劇を描いた作品です。

 

オーケストラにとって指揮者とは、私は現場監督のようなものだと思います。

ではその監督がいなければ工事が進まないか?というと決してそのような事はありません。

が、全体を統括する監督が居れば工事もさらにスムーズに進むわけです。

指揮者が居れば単に都合がいいからだ、と指揮者の小林研一郎氏は著書の中で言っています。

 

といっても私は指揮の事など無知なので分かりません。

クラシック曲というのは、音を始めとして強弱やテンポや曲想等々も楽譜によって全て指定されている言わば再現する芸術なのです。

つまり誰がやっても似たような同じ曲になるわけです。

あからさまに下手な演奏というのならともかく、仮にもプロの演奏家、指揮者ならば十分な質の高い演奏になるわけです。

 

私はクラシック曲は好きで時折聞いたりはしていますが、正直、名演と駄演と何が違うのか分かりません。

一般大衆の芸術観などだいたいあはそのようなものだろうと思います。

 

読んでいて最初はあまり面白くはなかったのですが、途中から一気に引き込まれていきました。

あまり期待していなかったのですが、いい意味で裏切られたので面白く、購入して良かったと思います。

 

それはそうとこの漫画が来年、天道役に西田敏行、香坂役に松坂桃季で実写化の映画になるそうです。

一体どのようなになるのか今から非常に楽しみです。

鋼の錬金術師

主人公であるエルリック兄弟が錬金術で「人間を生き返させる」という禁忌を犯してしまいます。その代償によって失った身体を取り戻すために旅に出ます。

色々な苦難を乗り越えていくファンタジー漫画です。

 

主な登場人物はエドワードエルリック、アルフォンスエルリックの兄弟。

その他に軍人で錬金術師でもあるロイ・マスタング大佐と部下達。

不死身の身体を持つ今作の敵方である、お父様と呼ばれるホムンクルスと、その子供達です。

 

鋼の錬金術師は、読んでいて本当に少年漫画なの?と思う程重たいテーマが掲げられていると思います。現実世界では人間を生き返させる事など出来ませんが、今作の中では錬金術を使えば可能ではあるのです。しかし禁忌事項、代償を支払う行為です。

それについては、現実でも身近な人が亡くなったら「生き返ってほしい」と思う人は毎日沢山いるでしょう。しかし不可能です。今作はファンタジー漫画でありながら現実世界に沿った内容だなと感じるものがありました。

女性作者という事で敬遠される事もあるとは思うのですが、私自身この作品を読んでから女性作者なのだと気付きました。少年漫画である事に違和感はありません。

そして、作中に出てくる登場人物が魅力的なキャラばかりです。

漫画を読んでいると主人公目線になりがちですが、その魅力的な登場人物によって色々な視点から読む事が出来ます。

一つの作品を読んでいるのですが、2~3個の物語を読んでいるかのような錯覚が起きます。

顔の書き分けも素晴らしいのは、この作者ならではだなと感じます。書き分けが出来ていると色々な登場人物に安着も湧くのだなと感じた作品は初めてでした。

色々な人に読んでほしいと思う理由としては、やはり30巻未満で完結しているという点も大きいです。

もちろん長く連載されていても面白い漫画は沢山ありますが、27巻という近年にしては少ない巻数で違和感なくまとめられているのは読んでみようかな?という気持ちにもさせてくれるのではないでしょうか。

ファンタジー漫画が苦手な方もいるとは思いますが、誰にでも読んでほしい、絶対誰でも面白いと思えると感じるくらい素晴らしい作品です。

『アオハライド』で感じた恋と郷愁

吉岡双葉は高校一年生。中学時代に他の女子生徒たちから、かわい子ぶっていると誤解されてシカトされたため、高校ではあえて女子力のないがさつな性格を演じることで女友達となんとかうまくやってきている。


双葉は男子も苦手だが、中一の時に同じ学年にいた田中くんだけにはなぜか好意を持っていた。下校途中に雨宿りした神社の社に偶然、田中くんも雨宿りをしていて、ぎこちない会話を交わす。目に入った夏祭りのポスターを見て、お祭りに行くか尋ねた双葉に、翌日田中くんは時間と場所を囁く。しかし、当日、田中くんは現れなかった・・・。

 

学校の廊下で田中くんに似ている男子生徒とすれ違った双葉は後を追うが、背も高くどこか感じが違っている。クラスメイトから呼びかけられた男子生徒の苗字は、田中ではなく馬渕だった。田中くんでなかったことに、がっかりする双葉。しかし、帰宅途中にその男子生徒が、思い出の神社に入っていくのを見て、再び後を追う。

男子生徒はやはり田中くんで、夏祭りの日、両親の離婚問題で行くことができなくなり、間もなく引っ越しをし、苗字も馬渕に替わっていたのだった。

田中くんとの再会によって、双葉の新しい高校生活が始まる・・・。

 

<感想>

タイトルの『アオハライド』は、「青春」を「アオハル」と読ませ、それに「乗る」の意味の「ライド」を合わせた、作者の造語。

そのタイトル通りに、双葉を中心とする高校生たちの青春を生き生きと描いていて、いまどき、こうした高校生たちがいるのか、と思うシーンもない訳ではないが、コミックも好調で、アニメ化、映画化もされるところをみると、実際の高校生たちも実はこうした生活や、人とのふれあい、友情といったものを求めているのでないか、と感じる。

 

五十代の私にとっては、どこかなつかしいような、実際には自分には怒らなかったけれど、どこかで憧れていた高校生活を提示してくれて、郷愁のようなものを感じながら読んだ。

 

双葉たちの高校生活には、スマホもネットはもちろん、携帯電話やメールでさえ遠慮がちに登場してくるだけで、デジタル時代とは離れたアナログの世界が展開している。

決してデジタル製品を否定するわけでも、昔は良かったと言うつもりもないが、簡単にはつながることができない分、人と人とのつながりに肌の温かみがあり、それは各人の心に濃密に残り続けていく。

 

中学生の娘に読ませたところ、すっかりお気に入りとなって次巻以降も早く読みたいと言っている。親子間のギャップを埋めてくれる作品にもなるのかもしれない。

『ベルサイユのばら』の魅力は恋と仕事の両立

『ベルサイユのばら』はフランス革命時代を描いた少女漫画で、宝塚歌劇が舞台化したことで有名になりました。

これは革命という自分の仕事と恋の両立に悩む女性の話って観点から読むと面白いです。

貴族の名家に生まれ、男性として育てられた少女が主人公です。オスカルと名づけられた少女は、乳母の子であるアンドレとまるで双子のように仲良く育ちました。

男性として成長した彼女は、王宮で近衛兵としてマリー・アントワネットに仕えます。

しかし政情はどんどん不穏になっていきます。

貧富の差が大きくなり、民衆の不満が高まるにつれ、オスカルは自分の仕事に疑問を抱いて近衛隊をやめてしまいます。

そしてついに革命が起きたとき、オスカルは貴族の身分をかなぐり捨て、民衆のために戦い、死んでいくのでした。

 

 

主な登場人物は4人です。

主人公のオスカルは男装の麗人であり、身体的にも精神的にも凛々しいヒロインです。しかしやはり女性なので恋をします。アントワネットの恋人フェルゼン伯爵に片思いを寄せますが、最後にはアンドレと結ばれます。

 

アンドレはオスカルの幼馴染ではありますが、庶民で、オスカルの影のような存在です。常にオスカルの一番の理解者であり、常にそばにいて、命がけで守ってくれる人です。オスカルとは身分が違うのですが最後には愛を勝ち取ります。

 

マリー・アントワネットは、外国から嫁いできた利発な王妃です。浪費により国を傾けたとして民衆の恨みを買っています。

フェルゼン伯爵はそんな王妃に愛を捧げますが、それは許されざる愛でした。フェルゼンは自分の存在が王妃を窮地に立たせていると気づき、身を引きます。

革命が起こり、王妃が囚われると、フェルゼンは自分の命を顧みず、王妃を救うために奔走するのでした。

 

この漫画の魅力は、フランス革命という歴史的大事件と、登場人物たちの人生を見事に沿わせ、ドラマチックな物語となっている点です。

フランス革命のクライマックス、バスティーユ攻撃が、この漫画のハイライトでもあります。

 

ただ美しい、おもしろい、というだけではなく、すべてをかなぐり捨て命をかけて信念を貫くオスカルの言葉には心を打たれます。

現実にはそんなふうに生きることは難しく、年を取ればとるほど信念をもつことは難しくなるものです。

民衆を救ったフランス革命のヒーローではなく、命をかけて信念を貫いたヒロインとして、私はオスカルに憧れを抱きます。

柔道なのに爽やかな恋と青春の物語、帯をギュッとね!

スポーツ漫画は私は結構苦手で詳しいルールが分からないような興味のないスポーツを題材とした漫画などは、いくら面白いといわれていても読むのを敬遠してしまうことがあります。ですがその題材となったスポーツ自体に対して興味がなかったのにすごく感動を覚えたスポーツ漫画が私にはあります。

それは「帯をギュッとね!」という柔道を題材とした作品です。それまでの柔道漫画といえば熱血で汗臭く男臭いものだといったイメージが私にはあったのですが、そのイメージを見事に覆してくれました。高校の柔道部を舞台とした漫画なのですが、男の柔道を題材としながらもとても爽やかで清々しい印象なのです。

また高校生という青春真っ只中の淡い恋なども絡んできて、とにかく最初から最後まで楽しく読める作品でした。

そして随所に笑いどころがあるのも、この作品の魅力の一つです。特に主人公率いる柔道部の一人杉清修というキャラクターが好きで、普段はおちゃらけていながらも閉める時は閉めるというところに憧れたものです。そしてこの杉が女子柔道部員の一人海老名桜子に片思いをしているのですが、その杉の姿がまたキュンと来るのです。好きな女の子はいじめたくなるといった感じで、ついついちょっかいをかけるそのいじましい姿には青春しているなと微笑ましくなった私でした。

もちろん杉以外の柔道部員たちもそれぞれ個性があり魅力的で、キャラの描き分けもうまいなと思います。そんな魅力ある高校柔道部員たちが他校の柔道部と戦っていくという王道スポーツ物語です。柔道描写も柔道のルールに詳しくなく、また柔道そのものにあまり興味のない私でも面白く読むことができ、ルールに詳しくなくてもすんなり作品世界にのめり込むことができました。

笑いあり感動あり、そして恋愛要素ありと面白い要素をたくさん詰め込んだ贅沢な漫画で、スポーツ漫画の中では私の一番好きな作品となっており、もう何度も読み返しています。

ドラゴンボールはバイトへの意欲を掻き立てる

ドラゴンボールシリーズは世界的にも人気のあるマンガです。私はこのマンガを長く読んでいるので詳しく分かります。また、ドラゴンボールのストーリーは非常に長いのも特徴になります。そういった要素を全て含めて作品の魅力に繋がっています。

ドラゴンボールは孫悟空を主人公にして展開していく物語です。そこに様々な仲間が加わることで冒険が進んでいきます。作者の特徴としては善と悪の対立を書くことが得意なので、ドラゴンボールシリーズもそういった内容になっています。特にドラゴンボールの代表的な悪役はピッコロやフリーザなどです。こういった悪役もマンガを非常に面白くしているので好きです。

悪役が非常に強いというのもドラゴンボールシリーズの面白い部分です。また、そういった強大な悪が登場すると孫悟空も強くなるのがいつものパターンです。その度に孫悟空と仲間たちは修行をして悪を倒します。また、場合によってスーパーサイヤ人のような特別な力を得て敵を倒すこともあります。これは孫悟空が持っている特殊な能力です。

ドラゴンボールシリーズは最初はドラゴンボールというアイテムを集めるマンガでしたが、内容が進むと宇宙人との戦闘のストーリーになります。また、最初の頃のギャグ風の内容もシリアスになるので、私は少年の時に熱中して読んだ記憶があります。そして、人間が成長していく過程を見て感動しました。孫悟空たちの活躍や勇気は本当に美しいと思います。仲間がやられたりすると感情的になる主人公も大好きです。

ドラゴンボールシリーズは自分にとって大きな意味を持っているマンガです。この一連のマンガは何巻も出されていますが、どれもクオリティが高いので失敗したことはないです。ドラゴンボールシリーズは勇気や仲間との絆をテーマにしているので、特に子供の頃に読むのがお勧めになります。私は孫悟空やクリリンが一途に戦う姿を見て、自分も何かを頑張ろうという気持ちが沸き上がってきました。

癒しの恋の物語「flat」

無気力でマイペース、他人の言動に興味ない高校生・平介(彼を動かすのはお菓子のみ)と、純粋で寡黙、忍耐力と平介への想いはヘビー級の幼児・秋くんのお話。

 

ある日秋は親の都合で平介家に預けられる。といっても保育園の迎えと晩御飯の世話で、夜には両親が迎えに来るという流れ。

お利口な秋に手がかからないと思いマイペースを貫く平介。だが接していく内に秋もいろいろな事に我慢をして過ごしている事に気づく。

こんなところから二人がお互いに、少しずつ変わっていく。

 

世の中いい人が好かれて、悪い人が嫌われるかというと決してそんな事は無いわけである。

逆に「いい人だから」という理由でフラれたりすることもある。そういうのは大抵別の理由の為の口実だったりすることもあるが、実際にいい人であるという事が敬遠される理由になることは十分あり得る事である。

 

そういう理屈で考えるとなんだか分からないということを面白おかしく思ってみるという空気がこの漫画全体に漂っている。この漫画に漂う癒しの空気みたいのはその辺に源があると思う。

そう、世の中は難しく考えてもどうしようもないような事ばっかりだ。

 

でもこの漫画の登場人物達はみんなそれを知りながら、かつ、自分達の経験に基づいてそれなりに考えて行動している。

理想の世界ではないかと思う。

世の中ちゃんと考えて行動している人は結構いると思うが、この「世の中理屈なんて大した力はない」という視点に欠けていないだろうか。


ドリームアイランドというアプリをやっていて思ったことであるが、みんなお互いの金や客を奪い取る事に一生懸命申し訳ないという気持ちを示そうとする。でもそういうのは理屈に拘りすぎだ。

なんでもどこでも理屈を持ち込めばいいというものではないと思う。疲れるだろう。


そういうことを考えれば、この漫画がなぜ癒されるかというのがよく分かる。とりあえずこれも名作だと思う。

今、疲れているという人にはぜひ読んでもらいたい一作である。

「僕だけがいない街」の切なさが胸を打つ

まだ完結していないけれど、「僕だけがいない街」(三部けい)が面白い。

主人公の藤沼悟は、「再上映(リバイバル)」という不思議な能力を持っていて、悲惨な事故などが起こると、そのちょっと前の時間に戻り、「やり直し」をすることができる。

たとえば冒頭、運転手が意識を失ったために起こったトラック事故。その数分前に戻った悟は、事故そのものを防ぐことはできなかったけれど、男子小学生に渡る場所を変えるように指示することで、子供の命を救った。

最初は、こういう事件の積み重ねを描く一話完結型なのかと思ったけれど、このお話は、もっと構造がでかかかった!

悟は1巻の終わりで、母が何者かに殺されたことがきっかけとなって、なんと一気に18年も時をさかのぼり、小学生時代を「リバイバル」することになってしまう。

そこで明らかになった悟の過去が、現在での母の死に結びついているのだ。

悟のクラスには、雛月加代という少女がいて、母に虐待を受けているらしい。その加代は、子供ばかりを狙う連続殺人の最初の犠牲者だった。

事件が起こる前に戻った悟は、加代を痛ましい運命から救うことができるか?……というお話。

どうです、ワクワクドキドキするでしょ? 私も先がとても楽しみなんですが、不満もあります。

まず、キャラの顔が好感度低い。善人でも、目が宇宙人グレイみたいに吊り上ってる。悟のお母さんなんて、最初の登場シーンでは、絶対に問題ある親だと思ったもの。

それと、不自然な点が多い。たとえば、児童が犠牲になる拉致・殺人事件が起こっているのに、大人たちは子供に注意を促すのではなく、事件の報道を子供たちに見せないようにする。子供たちに精神的動揺を与えないためっていうんだけど、おかしいでしょ? 事件のことを知ってたら、2人目の子供は用心できたと思うよ? 子供の命より精神衛生の方が大事って、絶対変。

それに、特定のテレビ局(事件を報道しない約束)の放送だけを子供に見せるってのも、かなり無理でしょ。戦時中ならともかく、昭和63年ったら、テレビ局にそんな統制を強いたり、子供の見る番組を制限したり、できる時代じゃない。

担任の先生の対応も、小学校教師としてリアリティが無さすぎる。

これだけ文句をつけてなお、5巻が早く読みたくてウズウズするのは、作者が稀代のストーリーテラーだからだと思う。少々欠点があっても、面白い物語には、読み手を強引に引きずりこむ力がある。

ほんとに、次はいつ読めるんだ……。

気持ちがあたたかくなるディアマイン

私の好きな漫画は高尾滋先生の「ディアマイン」という少女漫画です。

 

ジャンルが所謂ショタコンというものになってしまうかもしれませんが、読んでいるとそんな些細なこと忘れてしまう魅力がこの作品にはあります。

 

父親を亡くし母親と二人、裕福ではないながらも楽しく生活していた咲十子の元に、いきなり母親の一億円の借金の話やそれを肩代わりしてくれた初めて知る許嫁の存在があらわれます。

 

そしてその許嫁がまだ10歳の天才少年だという事実や、急に始まった大きなお屋敷での同棲生活など咲十子を混乱させますが、風茉の実直さや不器用な愛情表現に次第に心惹かれていき、咲十子は年齢の差を超えてやがて風茉を一人の異性として意識するようになります。

 

風茉の従兄妹で財閥が認める許嫁一美や、風茉と一美に仕える双子の秘書、まわりの個性豊かなキャラクターたちに囲まれ、二人は年齢の差や貧富の差からよる親戚一同の酷い扱い、様々な試練を乗り越え愛情を育んでいきます。

 

単行本4巻と短い話ですが、よくまとまっているせいかお話に物足りなさは感じません。

二人の物語をもっと見ていたいという気持ちはもちろんありますが、それはそれだけ二人の関係が素晴らしいものだからだと私は思います。

 

10歳にして財閥の総帥という超エリート天才少年との恋の話ですが、そこに読者はあまりシンデレラストーリーを感じないと思います。

 

それは咲十子がお金にあまり魅力を感じない、慎ましい生活でも幸せを感じることができる前向きな性格性格だからかもしれません。

読んでいるうちに咲十子の優しさや鈍感さ、風茉の不器用ながらも一途な愛情の方が魅力的に感じてしまうのだと思います。

 

風茉と咲十子の恋愛だけではなく、それぞれのキャラクターが抱える恋愛事情や切ない気持ちなど、二人の恋愛以外にも魅力が満載の4冊になっています。

 

あっという間に読み終わってしまう作品ですが、この漫画の事が頭からすぐに離れることはなく、しばらくは物語に浸ること間違い無しの作品です。

「きのう何食べた?」

バイトといえば食にかかわることも多い。そうしたバイトをする人に是非お勧めしたいマンガ。
「40代ゲイカップルが主役の漫画」と言われて一体どれだけの人間が読みたいと思うことだろう。

けど、これが「40代ゲイカップルの人生」になるとちょっと興味が湧く人は増えるんじゃなかろうか。

普通の人の生活でさえ覗いてみたらとても面白そうなのに。

なんかすごい下世話な話ではあるけど、でもその面白さとこの漫画の面白さはかなり共通している気がする。

絵柄が淡白だし、全体的に情緒のある漫画なんだけども。

 

 

この漫画を読んでて私が最近特に感じるのは、ゲイとそうでない人が共存するにあたって価値観の違いというのが何より重くのしかかってくるんだろうなということ。

当たり前の事を言ってるのかもしれないけど、でもゲイの価値感が自分とどう違うのかなんて、あえて知ろうとしなければよく知らないまま。

で、そのままなら「人の趣味は人それぞれ」なんて鷹揚に構えてもいられるだろうけど。

でもこの漫画を読めば、そこに出てくる比較的リアル指向なゲイキャラを通して、そういう具体的な価値観の違いというのがゲイでない人にも色々知らされることになる。

それは当然、必ずしもいいことばっかじゃない。

 

だって、30代オッサンの小悪魔キャラのワガママがまかり通ったりする世界って少なくとも私は素直にキモチワルイと思ったもの。

また見た目が同じ日本人なもんだから、余計に理解出来なさが際立つ。

理解出来ない、という事を理解するというのも価値観の違いを知るということかもしれないが。

 

この作者の「愛がなくても喰ってゆけます。」という別の漫画の中で、ゲイ漫画家の主人公が身近なゲイの知り合いに、「ゲイで飯を食っててごめんなさい」と謝罪するシーンがあったのを思い出す。

リアルなゲイの人生を、ゲイでもない人間がマジョリティの目につきやすい場所で精緻に描写するというのは、迷惑とまでは言わずとも大きなお世話ぐらいにはなるリスクが常に付きまとうはず。

職業訓練マンガ「銀の匙Silver Spoon」

この漫画は、農業っていう仕事に直結したことを学ぶ高校生の物語。
流石は荒川弘。

今日本の漫画界で漢(おとこ)を描かせたら日本一かもしれない。女性作家なんだけどね。

まあ、理想の女性像というのが男性にしか描けないのと似てるのかもしれない。そんなことはどうでもいいが、しかし漫画から学習なんてする気のない私も読んでいて身につまされるところが多い作品だった。それでいて面白いというのがすごい。

 

この漫画じゃ畜産という産業をそれ以上ともそれ以下とも描写しようとしていない。ただその世界に携わる人々の日常を描いているだけだ。

それでいて畜産の孕む問題とか人間が抱える葛藤がとてもわかりやすく、かつ説教臭くなることなく伝わってくるところに意味があると思う。

 

人間様の為に乳や肉を提供しなきゃいけない家畜に対して同情したりするのは傍から見てる人間にとっては自由だ。しかしそんな彼らを送り出す産業に携わる者達の感情や意思をまるで考えない人達が上から目線で可哀想だのどうだの言うというのは結構多いし、そういうのは前から鼻についていた。

人間が肉を食わなくなったってその内魚を食うようになるし、そのたびに人間の罪的なものを問うつもりか、とゲンナリしてくる。

地球上の全ての動物にそこまで責任を感じないといけないほど人間はエラいのか。

 

結局そういう現実を見ず、人間の食生活がどうのとか論じる人間というのはいつの間にか自分たちが人間より上の「神」の視点になってる事に気づくべきだと思う。

人間が神となって他者を裁くことがいかに傲慢か、知るべきだ。

 

豚は人間を対等に見る、という言葉が一番印象に残った。

そういう相手を世話しながら、いずれ食用として送り出さなければいけないわけだ。

私は豚肉は好きだし、よくしゃぶしゃぶにしたりもするが、畜産業の方々に対してはせめて美味しく頂いた、彼らが私の血肉になったということは伝えられたらいい、とそんな事まで考えてしまった。

 

食い物の話になるといつになく切羽詰ってくる自分がなんかなあ、とも思ったが。


エヴァンゲリオンにも影響を与えた妖怪ハンターシリーズは、漫画史に燦然と輝く大傑作

諸星大二郎の妖怪ハンターシリーズは、1974年に初連載が始まり、その後も掲載誌を変えながら、数年に一度の割合で、続いている稀有なシリーズです。作家諸星大二郎を知っている読者は、そう多くはありませんが、その圧倒的な知識を生かしたプロットと誰も真似できないタッチの絵は、読者に強烈な読後感を与えます。諸星大二郎の作品は、すでに古典として扱われており、何度となく、装丁を変えて発刊されています。これまで発表した漫画の中でも、彼のデビュー作である妖怪ハンターシリーズは愁眉の傑作で、発表から40年近くが過ぎても、今なお、形を変えてシリーズは、続いています。

主人公は、稗田 礼二郎といい、元K大考古学教授です。独自の学説を唱え、考古学会から異端とされ、追放されています。彼自身は、遺跡の発掘などフィールドワークが中心の活動を行っていますが、奇怪な事例などを研究テーマにしていたことからマスコミからは、妖怪ハンターと揶揄されています。そのためか、全国から彼の元に奇怪な事件に対する調査が舞い込みます。

基本的に読みきり形式で、その中でも「生命の木」は、漫画史上に残る最高傑作として名高く、映画化もされました。

東北の寒村で、殺人事件が発生し、その死体が忽然と消えてしまったということで、稗田礼次郎は、調査を開始します。その村は、隠れキリシタンの村でした。しかし、その村のはずれにも隠れキリシタンの村がありますが、土着文化と交じって独自の信仰を続け、もはや本来のキリスト教からかけ離れた独自の信仰を続けていたため、村との交流が隔絶していました。殺されたのは、そのはなれの村の善次という若者でした。

まず、このストーリー自体が、どの漫画家も考えたこともないプロットです。隠れキリシタンに題材を求め、殺人事件が発生し、そこに稗田礼次郎が絡んでくるというだけで、展開がまったく推測できません。

ところが、その善次が生き返ることから、話が急展開していきます。3日前に死んだ善次が生き返ったのですが、実は善次は磔にされていて、神父がキリストを冒涜するものだとして、磔を隠していたのです。そして、はなれの村のキリスト教の創世記では、あだんとえわはりんごを食べたため、知恵を授かったが寿命が与えられたが、じゅすへるはりんごを食べなかったため、知恵は授からなかったが、永遠の命を授けられたとされるものです。そのため、神は、一定期間が過ぎるとじゅすへるをいんへるのに落とし、きりんとが来るまで、苦しみぬくのだそうです。

ここで、初めて善次がキリストの再来であることに読者は気づき、衝撃を味わいます。

そして、諸星大二郎の描くいんへるのは、まさに地獄そのもので、死にたくともしねないじゅすへるが何万人何十万人が蠢いています。ここで復活した善次が、「おらといっしょにパライソさ行くだ。」という漫画史上に残る名言により、じゅすへるは地獄の苦しみから解放され、天に昇華していきます。

後には、十字架のような残像がしばらく残っていました。

エヴァンゲリオンの庵野監督やジブリの宮崎駿前監督も、この生命の木には相当影響を受けたと話しています。

妖怪ハンターシリーズは、何度読んでも新たな読後感が生じます。本当にすごいシリーズです。

ジョジョの奇妙な冒険

これは1980年代から週刊少年ジャンプに、また2000年代中期からウルトラジャンプに長期連載されている漫画のシリーズです。

これも、職場の先輩に愛される話題。

マンガ好きなら絶対に同僚といい関係が作れます。
それぞれのPartごとに主人公やストーリーの展開される国や世界が異なっていますが今回は一つのPartに絞らず、シリーズ全体の紹介をしたいと思います。

少年誌的な熱い仲間との交流や敵との戦いはあるものの、他のどの漫画と比べても同じようなものはない独特のタッチの絵と少し不気味さが混ざったその世界感に魅力があります。また少年誌にしては非常にメッセージ性の強い言葉や強く前面に押し出されすぎてはいないものの「生命とは何か」「血筋とは何か」といったある種哲学的な問いも内包されていて、様々な視点から楽しむことのできる作品です。

 

この漫画で出てくるそれぞれの登場人物には特殊能力が備わっており(Part3以降『スタンド』と名付けられています)、それを使って様々なストーリー上の障害を越えたり謎を解いたり、時には同じような能力を有する敵と直接対決します。

主人公たちの目的も当然それぞれのPartごとに違いますが、主人公は比較的読者が同一化し易いように設定されています。またちなみに主人公の名前はどれも「ジョジョ」となるように設定されているのがそれぞれのPartの共通点です。

主人公同士には何らかの繋がりや血縁関係がある場合もあります。また特殊能力にはいずれも洋楽ロックバンドの名前が与えられており、それもキャッチーではない独特の世界観を演出することに貢献しています。

 

子どもの頃私は、この作品を正直なところ少し渋めの正統派バトル漫画程度に感じていました。それから十数年歳をとってからもこの本の魅力はどこか頭の片隅に引っ掛かっていて、文庫版サイズで発売されたことをきっかけに全巻集めました。読み返してみると改めてこの独特の世界観に対する美を感じました。もちろん特殊能力バトルのトリッキーさや展開の予測不可能さも魅力の一つではあります。

しかしやはり根強いファンが支え続ける本作品の本当の魅力は言葉にすることが簡単なものではなく、絵画芸術のように実際に読んだ時にしか触れられないもののようにも感じます。

清純な少女性「天使な小生意気」


今まで読んだ中で一番印象に残っているのが天使な小生意気というマンガです。

このマンガの主人公は高校生の天使恵。名字はテンシではなくアマツカと読みます。

誰もが振り返るほどの絶世の美女、天使恵ですが、実は彼女には男だった時の記憶がありました。

小学生の時に魔法によって女にされてしまい、それ以来男に戻るためあの魔法使いをずっと探し続けてきたのです。

私がこのマンガに惹かれる理由は、ストーリーはもちろんですが絵の美しさにもありました。

長い髪の美しさ、戦う時の美しい身のこなしが見事に表現されているのです。


そして主人公天使恵の芯の強い性格、内面からにじみ出る魅力にどんどん惹かれていきました。そして、時折見せる主人公の少女の清純さ純真さが胸を打ちます。

男勝りな性格で周りから自然と距離を置かれていた天使恵ですが、そんな彼女を変えて行ったのが親友である美木とゲンゾーの存在です。

天使恵により美木の存在が埋没してしまっていますが、美木がいたからこそ天使恵の魅力が引き立ったのだと思います。

実は美木も恵が女にされた時に一緒にいて、男から女になった瞬間を目撃しているんです。

しかし魔法によって家族や友人の記憶が消されていて、元は男だったと言っても美木以外誰も信じてくれません。

美木は恵を助けるために一緒に魔法使いを探すのですが、でも内心では男に戻ってほしくない、このまま一緒にいたいという複雑な気持ちも持ち合わせていたんです。

美木が恵に男に戻ってほしくないと思う気持ちには理由があるのですが、ネタバレになってしまうので詳しくは書けません。

天使な小生意気の中で一番好きなシーンが、美木が許嫁と無理やり結婚させられそうになった時、それを止めるために恵が美木の祖父に一撃を喰らわせるところです。

実は美木の両親は火災で亡くなっていて、まるで美木が不幸から生まれた子供のように言うのが気に入らなかったのでしょう。

手の平で叩いたあとの美木が生まれただろ、というセリフは今でも心に残っています。

たくさんの敵が出てくるのですが、戦うシーンに迫力がありそれぞれのキャラクターもしっかりとしていて、たまに出てくる小ネタも笑えます。

点数をつけるなら100点満点ですね。

全20巻、最後まで飽きずに読むことができますよ。

ロトの紋章シリーズに与えられた影響

ロトの紋章シリーズは比較的連載が長いマンガです。自分はこのシリーズの単行本を集めていた記憶があります。また、ロトの紋章シリーズは人気の高いドラゴンクエストの世界を描いたマンガです。ドラゴンクエストのファンにはたまらない要素がいくつも登場します。

ロトの紋章シリーズは基本的にはドラゴンクエスト3の続編のようなストーリーです。勇者が大魔王ゾーマを倒して平和になった世界において、再び邪悪な存在が復活することで物語が始まります。新しい大魔王は人間の世界を恐怖に陥れようとしますが、そこにかつての勇者の子孫であるアルスが登場します。主人公のアルスは成長の過程で様々な仲間と出会い、次第に立派な戦士として進化していきます。そして、宿敵であるジャガンや竜王などと激しい戦いを繰り広げていくのです。アルスの仲間は戦士のキラやアステアといったメンバーで、徐々に協力して幾つもの壁を越えていきます。時には自らの命をかけて戦う姿はまさに冒険ファンタジーマンガの王道です。

私はドラゴンクエストというゲームが好きなのでこのマンガを買いました。そして、当然のようにロトの紋章シリーズは大事な作品になりました。登場人物が細かく書かれているので自分には魅力的だったのです。また、ドラゴンクエストに通じる技やアイテムの登場も私を興奮させる要素でした。敵もバラモスや竜王などのファンが知っている相手が多いです。ドラゴンクエストのファンならロトの紋章を呼んでおいて損はないのです。

ロトの紋章シリーズは徐々に作者の絵が上手くなっていくので、その世界観に浸って読むことができます。背景も細かくて壮大なファンタジーの世界を再現していると思います。そして、その中で活躍するアルスたちの姿が鮮明に描かれています。これは冒険マンガなので様々な困難もあります。時には仲間が傷つくこともあるのですが、その壁を乗り越えていく主人公が素晴らしいです。ドラゴンクエストシリーズをマンガにしたらこういった形が理想だと感じます。

時代を超えた医師のお仕事「JIN―仁」

現代の脳外科医が江戸時代にタイムスリップしてしまい、過去の世界に現代の医療技術や知識を持ち込む事で神の腕と崇められる、というのが一見したストーリー。

 

この漫画はそんな非凡な南方の苦労にとても感情移入しやすく出来ている。

優れた医療技術を披露したとしても、過去の世界の人達は当然その当時の社会における価値観や知識に基づいて生きているので簡単に理解を得られない。

彼らの知識の未発達や誤りを、未来から来た主人公も読者も当然知っているわけだが「未来から来たから知っている」なんていう言い訳が通るはずがなく、だから読者は南方と同じようにもどかしさを持って物語の中の人々に対することになる。

 

もどかしいわけだが、南方と江戸時代の人々のそういうある種の異文化コミュニケーションこそがこの漫画の最大の見所。

江戸時代の人々がその当時の知識に基づいて生きているのは当たり前で、むしろ乏しい知識で精いっぱい世の中を支えようという気概は現代人を凌ぐものではないかとさえ感じさせる。物いっぱい知ってるからって人としての能力のどうこうというのは知れないということがとてもよく分かる。

 

知識を実践し、結果を見せることで江戸時代の人々は当時の彼らなりの感性で理解しようとし、時には現代人の南方には思いもよらない方法で応用してみせたりする。

そういう本来はありえない現代人と江戸時代人の知識と心の交流が、実に巧妙に描かれている。

 

あと最後に個人的にこの漫画の医療漫画として好きなところは、主人公である医者の周りでバンバン人が病気になっても全く不自然ではないところだ。江戸時代だもの。

現代を舞台にした医療ものだと現場が病院ならまだしもそうでない場合でもびっくりするくらい主人公の周りが病気になる。お前が病原菌かよってくらい。そりゃ医療漫画なんだから病人が出て来なきゃ話にならないのは分かるが。

そういうマヌケに陥らないという点でもこの漫画の設定は秀逸。

これを読めばコミュニケーション力向上で、職場の人気者『聖おにいさん』

中村光『聖おにいさん』は『セイントおにいさん」と読みます。

聖は「聖人」の「聖」。

主人公はなんと、イエス・キリストとブッダなのです。

 

言わずとしれた神の子イエスと目覚めた人ブッダ。

キリスト教と仏教の二大聖人が休暇をもらい、地上へバカンスを過ごしにやってきた、という設定です。

2人はなぜか東京の立川にアパートを借り、普通の人として生活を始めます。

それがびっくりするほど庶民的な暮らしなのです。

銀行に振り込まれる生活費が2人合わせて月に26万円、きりつめなくては生活がやっていけないというごく普通の現代の若者です。

なのに聖人ですから、イエスが笑えば奇跡が起こってしまいますし、ブッダが徳の高いことを考えると後光が照らしてしまいます。

彼らは聖人であることがバレないようにと注意しながら、アパートの大家さんに叱られたり、ファミレスの店員さんい気を遣ったりしながらほのぼのとした暮らしを続けます。

 

ごく普通の日常の中に聖人がまぎれこんだら、という設定がとにかく面白く、その発想に感心してしまいます。

それにあイエスもブッダも本当に愛すべき聖人なのです。

 

イエスは「いえっさ」というハンドルネームでブログを開設したり、オンラインゲームにはまったり、現代の若者らしい軽さをそなえています。

テンションが高く、子供のように無邪気で甘えたなところがあり、なにかというと父親が天地創造をした神であることを持ち出します。大天使たちもそんなイエスが心配でたまらず、つい過保護に甘やかしています。

 

ブッダは「諸行無常」と唱える人ですから、クールでいつも平常心をこころがけています。数々の苦行をこなしてきた人なので我慢強く、暑さ寒さも平気です。

しっかり者のブッダは家計を預かっていて、スーパーの激安セールに走ったりします。

 

宗教はデリケートな問題を抱えていることが多く、扱いが難しいものだと思います。なのに漫画にして笑とばしてしまうとは、いかにも日本らしいと感じました。

日本人は宗教アレルギーがあるといわれていますが、イエスもブッダも愛すべきキャラクターに描かれているので、この漫画によって宗教学に興味をもった人も多いのではないでしょうか。

 

漫画の中には、聖書の文句や、仏教でよく知られているエピソードが散りばめられています。コネタを見つけてほくそ笑むのも『聖おにいさん』の楽しみのひとつです。

作者の熱い思いがストレートに伝わってくる漫画うしおととら

藤田和日郎さん原作の漫画「うしおととら」という作品は最高。

職場の先輩が子供のころに絶対読んでいる作品です。二人のメインヒロインのどっち派だ、みたいな話題で人間関係も円滑になります。

全三十巻以上にもなる長編大作ですが、無駄なエピソードや引き伸ばしといったものが何一つなく、見事にラストまで描ききっています。そしてラストに向かっての盛り上がり方といったらすばらしいの一言です。漫画でここまで感動できるとは正直読み始めた時は思わなかったのですが、話が進むにつれ惹きこまれていき、様々な伏線が上手につながり本当にラストは圧巻で鳥肌が立ったほどです。漫画でもすばらしい作品は映像などにも負けない迫力があるのだと改めて実感しました。

そしてこの漫画のエピソードで私が好きなのは、とらという妖怪がまだ人間だった頃の過去の話です。なぜ妖怪にならなければならなかったのか、どうして白面という邪悪なる巨大な敵と戦う運命にあるのかなどが分かってくるのですが、どこまでも悲しく切なくこのとらにすごく感情移入してしまいました。

他にも切ないエピソードはたくさんあり、そのどれもが感動を覚えます。

そうしていよいよラストで最後の敵白面に立ち向かうのですが、そのときにはそれまでに登場したいろんな人たちと一緒に手を取り協力し合いながら戦うのです。決して一人では倒せない存在、でも主人公を含めそれまでに主人公が出会った人間や妖怪たちと協力し合って、白面に立ち向かいます。

バトル漫画にはみんなで協力し合いながら倒す話はあると思いますが、そんな様々な漫画の中でもうしおととらは群を抜いて感動する内容になっていると私は感じます。一人ではちっぽけな存在ですが、手を取り合えば巨大なものにでも立ち向かえるということを改めて教わった漫画です。

そんな中でも主人公の父親のかっこいいことといったらありませんでした。

絵とストーリーから作者の熱い思いが読み手である私たちにストレートに伝わってくるステキな作品です。そのため私は落ち込んだ時などにはつい読みたくなるのでした。

萩尾望都『11人いる!』

宇宙大学の入学試験で10人で1組になって宇宙船でサバイバル、のはずがなぜか11人いる!でもみんなで協力してサバイバルしちゃうぞ、という話です。手塚治をちょっと髣髴とさせる感じのSFです。最後の最後に誰が11人目かわかるのですが、これが実によくできていて、一度目は「ひゃー、こいつかよ!」とびっくりするんだけどあとでしみじみ読み返すとちゃんと伏線張ってあるんですねー。他にも語り手の男の子の生い立ちの秘密とかいろいろ盛りだくさんで複雑なプロットが、たった120ページに詰め込まれて全く無理なく流れてくんだから、すごいです。

 

登場人物がまた魅力的です。いろんな星から受験生が集まってるという設定なので、体の中でクロレラ飼ってたりとか全身ウロコとか岩石人間とかめちゃくちゃな奴がいっぱいいるんですが、全然無理なく読めちゃうからすごいです。語り手は割と地球人に近い感じの男の子なんですけど、これにやたらと絡んでくるフロルというキャラが異常にかわいい。雌雄未分化=性別がまだ無い(本人は男になりたい)、ってことになってるけど、どうみても女の子です。それもものすごい美形。

 

ついでに、全体的にこの作品は同じ作者のほかの作品とくらべても絵が異常にきれいです。これも70年代の作品のはずなんだけど、古い感じもまったくしないし。「トーマの心臓」や「ポーの一族」にくらべて軽くて読みやすく万人受けする感じかも。男の子にもお勧めできます。

 

国内外問わず、現在名作と呼ばれている様々な作品に影響を及ぼしている話なのではないでしょうか。

宇宙船という密室内で、ひとつ、またひとつと生まれる問題にハラハラしながら、それが折り重なることによって最後まで勢いにのって終息に至る。たくさんの知識が無ければ描けない作品だと思います。

名作、名士の力を思い知らされました。

 

同単行本に収録されている続編の「東の地平西の永遠」は本編ほど面白くはない。っていってもまあ面白いんだけど、本編が異常なので。

寄生獣

寄生獣は1980年代に連載されていた漫画です。現在アニメ化や実写映画化の予定もあるようです。


この漫画は地球に寄生生物が飛来するシーンから始まります。人間を始め寄生された生物は脳や意識を完全に乗っ取られクリーチャー化し、同種の生き物を食べるようになります。寄生生物にもある程度の知能はありますので、寄生後は自分が寄生生物であることを積極的に隠しています。

そのため周りは寄生された人が、他人を殺して食べる恐ろしい生き物だとは簡単には気づくことができません。最初は少なかった寄生生物の数も徐々に増え始め、人間もその存在を認知し始めたころ、人間社会でも誰が人間で誰が寄生生物なのかという疑心暗鬼の念が渦巻き始めます。


主人公は冒頭で寄生生物に寄生されるのですが、この時の寄生が不完全であったため、脳を乗っ取られることはありませんでした。そのため一つの体に人間の脳と寄生生物の脳の二つが同居する珍しい生物となってしまいます。主人公はこの事情を周りに隠しているものの、徐々に人間と寄生生物の間の戦いに巻き込まれ始めます。

そして自分がいったい何なのか、命はなんなのかということを考え始めます。読者も自然と主人公に同一化しながらその成長ととも一緒に悩み考えることに引きこまれていきます。読み終えた時に私はそのような生命の根源にまつわる問いを与えられたように感じました。

寄生獣混じったため主人公が理解不可能な存在に見えてくるヒロインの揺れる恋心も魅力的。


私はこの漫画が2000年代に完全版の大判コミックスとして再版された時に一気に集めて読破しました。完全版は全8巻ですので、比較的お金もかからず集めやすいと思います。私は小さい頃に定食屋や美容室にあったこの本の表紙を見ては非常に興味をひかれました。

平安の少女漫画『とりかえ・ばや』

 さいとうちほ先生の漫画『とりかえ・ばや』について話そうと思います。私がこの漫画を読もうと思ったそもそものきっかけは、大学で専攻しているのが平安文学だったことと、ちょうどこの漫画の原作でもある『とりかへばや物語』について研究していたからです。

 漫画化される前から『とりかへばや物語』って少女漫画みたいだなと思っていたので、さいとうちほ先生によって漫画化されたと知ったときは「ああ、やっぱり」と思いました。

 漫画の設定は、平安時代の貴族社会が舞台で、同じ家で同じころに生まれた異母姉妹が主人公です。姉「沙羅双樹」は、男勝りな性格で幼いころから男の子として育った姫君です。弟の「睡蓮」は女らしくて内向的な性格で幼いころから女の子として育った若君です。

 この二人が大人になってからもお互いに性を入れ替えたままで生活しているので、本当は姫君である沙羅双樹は若君として宮中に出仕して男として堂々と働いているし、本当は若君(男君)である睡蓮は紆余曲折を経て宮中で女東宮のお世話をする仕事をしているんです。これだけ見てみても、無理がある設定のような気がしてハラハラするんですが、お互いに顔がそっくりなのである程度問題なくやっていけているのがすごいと思いました。

 ただ、やはり性を入れ替えて暮らしていくのにも限界があります。沙羅双樹は男として生きているわけですから、家の後継ぎとして結婚しなければならず、従姉妹の「四の姫」と結婚します。ここからが本当にいつばれてしまうのかとドキドキしてしまうところなのですが、幸い四の姫には全く気付かれずに相思相愛の夫婦として生活していました。ところが、沙羅双樹の同僚で友人の石蕗は以前から四の姫に求愛していて、とうとう姫に石蕗の子までできてしまいます。そして悪いことに、石蕗は沙羅双樹のことも愛するようになり、ついに性別までばれてしまい、沙羅双樹はこの石蕗の子を身ごもってしまうのです。

 今現在5巻まで出ていて、内容もここまでですが、これまで原作にほぼ忠実に描かれていてすんなり漫画の内容に入っていけました。現代では女の子が男装して学校に通うだとか、よく見る設定ですが、平安時代にも現代と同じような設定の物語があったんだ、ということが原作を知らない人たちにも広く知られるきっかけになったのは嬉しいです。また、古典の物語はとっつきにくくて読みにくい人でも、漫画なら現代の言葉でわかりやすいですし、また絵で当時の文化や服装、調度品など確認できるというのも漫画で読んでよかったなと思うことでした。

烈火の炎

これは1990年代中ごろから2000年代前半まで少年サンデーで連載された正統派少年漫画です。私は当時わざわざサンデーを購読し始めるほど毎週この漫画を読むのが楽しみでした。単行本は全33巻で完結しており、現在文庫サイズでも発売されています。

 

主人公の『烈火』は腕から炎を出すことのできる高校生です。癒しの力を持つことによって様々な敵から狙われることになった同級生の『柳』を守るために戦います。この漫画には『魔導具』と呼ばれる特殊能力を発動させる道具が存在し、それぞれのキャラクターは自在に各自の持つ魔導具を使いこなして戦います。主人公の敵だけではなく、烈火の仲間もストーリーの展開と同時に様々な魔導具を得て成長していきます。また主人公の持つ炎を出す能力の秘密もストーリーの展開とともに徐々に明らかにされていきます。

 

この漫画の一番の魅力は特殊能力によるバトルにあるといえるでしょう。それぞれの魔導具の持つ能力はそれぞれ異なっているので、戦いも自然とトリッキーなものにならざるを得ません。作品に引き込まれる中で私達読者も自然と、どのようにその道具を使えば相手に勝てるのだろうか、何が相手の弱点なのだろうかと、考えていきます。その流れはどこか推理小説とも繋がる魅力を感じます。展開の予測不可能さだけではなく、展開が理解できた時にも十分に楽しめるほど、読者を楽しませる工夫が随所にちりばめられています。

 

またこの漫画の魅力は正統派少年漫画には欠かせない、仲間との友情や恋愛、そして主人公たちの成長にもあるといえるでしょう。最初主人公たちの仲間は少なく、徐々に戦いを通して敵が仲間になっていきます。またその絆も戦いを通して強められていきます。気づけば読者もいつのまにかそこに参加しているかのような錯覚を抱くほど作品に引き込まれ、私は最終話を読み終えた時思わずキャラクターへの愛とそのお別れのさびしさで少し胸が詰まりそうになってしまいました。少し古い作品ではありますが、今でもお勧めの漫画を聞かれたら必ず出す一冊です。

銀河伝説ウィード

「銀河伝説ウィード」という犬が主人公の漫画です。
この作品は基本的に犬たちの目線で、仲間同士で助け合ったり犬同士の縄張り争いなどを描いた作品です。この作品は昔の「銀河ー流れ星銀」の続編で前作の主人公の銀の息子のウィードが主人公になります。

この作品では以前活躍してた銀たちが年老いた状態で出てきます。年老いていても昔の英雄である銀やジョン、赤目たちは普通の犬たちを相手にしても以前敵なしといった状態でした。

そうした状況の中でも以前として銀達を倒して縄張りを横取りし、天下を取ろうとする悪い奴はいました。銀は基本的には争いは好まず、話し合いを基本としていました。

悪い奴でも話し合うことが大事という信念は曲げなかったのです。そうした銀の優しさを逆手にとって銀、ジョン、赤目の三頭だけをおびき出し、多量の部下で首を取ろうとする相手が出てきました。

そうした相手を前にしても、話し合いを基本にしていた銀ですが、戦わざるを得なくなり、ジョン、赤目とともに戦うことになります。戦うといっても赤目は銀たちの仲間への伝令で動き、ジョンが銀をフォローするといった状況でした。

そしてジョンは銀を守るために敵を引き寄せて戦い、相手のボスに傷を負わされます。その傷が致命傷となるもののジョンは最後まで戦うことをやめず、瀕死の状態とは思えない姿を見せます。そうした姿は相手を怯ませるほどでした。そうした状態でも戦おうとするジョンには、銀を助けようとする思いと自分よりも銀の方が仲間を良い方向に導く事ができるという思いがあったのです。

昔は銀とジョンはライバル同士でぶつかることが多かったのに、自分の命よりも銀の命を必死に守ろうとする姿は涙が流れます。

銀と息子のウィードの親子愛もとても温かく描かれていますし、犬達の物語ですが人間のような色々な感情が伝わってくる作品です。

仲間同士の絆が熱く描かれているからこそ、そうした仲間との別れなどは心打つものがあります。最高の作品です。

 幼馴染との恋『極黒のブリュンヒルデ』

<あらすじ>

高校二年生の村上良太は、成績は常にトップで、将来NASAで働くことを希望している。

良太には幼馴染のクロネコと呼んでいた少女を事故で亡くした過去があった。星が好きだったクロネコへの淡い恋心と悔恨から、ただ一人の天文部員となって星を観ていた。

 

ある日、良太のクラスにクロネコにうり二つの黒羽寧子という転校生がやってきた。どこか謎めいた寧子に良太は心を魅かれる。

その日、突然天文台を訪れた寧子は、良太は今夜死ぬので帰宅しないように忠告して姿を消す。気にかかりながら帰宅した良太は土砂災害に遭い、あやうく命を落としかけるが、どこからか現れた寧子の異常な力によって助かることができた。寧子は自分を「魔法使い」であると言い、クロネコとは別人であると告げて帰っていく。

 

寧子の家を訪ねた良太は、そこに寝たきりになった少女・佳奈を見つけ、佳奈の予知によって助けられたことを知る。さらに寧子たちは、ある組織から追われて捕まれば殺されること、毎日「鎮死剤」と呼ぶ薬を飲まないと生きられないことを知らされる。

 

全ての鎮死剤を焼失した寧子たちを救うため、インターネットを自在に駆使する力を持つカズミと協力して良太は製薬工場に忍び入ることを計画するが、そこには組織の刺客が寧子を待っていた。

 

<感想>

「魔法使い」というファンタジックなイメージの言葉とは裏腹に、知らぬ間に改造をされ、常に生命の危険と隣り合わせの生活を強いられる寧子たち。その悲しい運命を知り、全力で奔走する良太。

良太と寧子たちは、時に反発しながらも力を合わせて過酷な状況を切り開いていく。良太のある種、献身的な活躍にハラハラし、寧子たちの悲しい運命に涙を誘われながら読んだ。

 

良太は何も能力を持たない人間でありながらヒーローである。通常のヒーローは、特殊能力によって危地を脱していくが、この作品は能力をもたないヒーローが、能力を持つヒロインたちと協力しながら闘っていくストーリー構成になっているのも面白い。

 

謎の組織の存在や、わずかずつしか明らかにされていかない寧子たち魔法使いの秘密など、読むものを先へ先へと駆り立てていくスピード感と、独自の世界観、大きな構成力に作者の漫画家としての大きな力を感じた。

禁断の恋「西洋骨董洋菓子店 」

ストーリー全体を通して見れば、主人公の一人であるケーキ屋のオーナーが幼少時に経験した誘拐事件が主軸になっていて、落ちるべきオチに向かってジグザグに落ちていくといった感じの内容。

女子が好きなマンガで、相手との距離が縮められる作品です。


よしながふみの漫画の面白いところはほとんど例外なく同性愛の要素が組み込まれていて、なおかつ「これ別にホモいらねーじゃん」とは思わせないところだと思う。

 

ホモであることを単なる個性として人間関係を描いてるからかもしれない。

単純なことのようで、なかなかそういう漫画は少ない。


ホモに惹かれてホモについて描いている人というと、殆どのBL作家はそうなってしまうしよしながふみもそのうちの一人ということになるが、その多くの作家にとっての同性愛というのは極論すれば寄生虫博物館の寄生虫と似ている。

分厚いガラス一枚隔てたところで不可思議珍妙なものを愛でている感じとでも言うか。

ちょっと意地悪い表現ではあるけれど、客観的に見てそういう一面はある。

でもよしながふみにとってはホモの人は自分と対等な人間で、間を隔てているガラスも極めて薄いものなんだろうと思う。

そういう意味ではこの人の描く漫画が寄生虫について描いた寄生虫漫画にならないというのは逆に自然な事なのかもしれない。

ホモが好きなのでホモが出てくるけど、それはあくまで一キャラの持つ個性でしかない。

そもそも小野のキャラが濃いのはホモであるせいだけではない気もするけど。

 

そういう堅苦しい話は抜きにしてもこの漫画は読んでて楽しい。

主軸である誘拐事件のミステリー部分もさることながらスタイリッシュで美味しそうなケーキ屋の描写もほんわかするし、相変わらずキャラの心理描写は丁寧だ。

 

私の好きなシーンは女子アナの結婚式で、花婿と花嫁がキスをしているのを見た橘と同僚の女子アナが二人して「いいなぁ~」と羨ましがるところ。

二人とも実力があって努力もしてるのになかなか自分達の望む幸せにたどりつけていない。

そんな2人が素直に羨望たっぷりに噛み締めるように言う「いいなぁ~」が私にとっての「いいなぁ~」だ。

これもまた単純なようでいて、なかなか高度な精神活動だと思う。