自慢じゃないが、いや少し自慢だが、僕は人から相談を受けることが多い。昨日、友人から急に連絡が入った。大した用件でもないので逆にピンときた。最近大変な仕事をしていると聞いていたので何かあったなと。
「久々に慶と話したいわ。」
「仕事抜けようか?」
よくよく聞くと、そいつは今日午後休を取っていた。特に用事はなかったらしいが、上司が外出だったので急遽適当な理由を付けて休みを取ったらしい。会社の近くに来てもらって喫茶店に入ることにした。
そいつは今会社としても重要な仕事を任されている。この三連休も出勤が決まったらしい。上司の目の前の席で、いつも帰りづらい思いをしている。飲み物を買って席に着くと、そいつはほっとしたような表情をした。
はたから見ても目元に疲れが見えた。僕もこういう時期があったのでなんとなくわかった。「自分も大変だが、上司はもっと大変だ。」そう自分に言い聞かせて頑張ってしまっているのだろう。
かっこよく生きて行こうとしてもダメだ。
ひとしきり近況を聞いた上で、僕は「嫌われる勇気」について少し話すことにした。気にはなっていたが、まだ読んだことはないらしい。
幸せに生きていくには、人の評価を気にせずに自分がやりたいことをやる勇気が必要になる。人の評判は大事だが、人の気持ちをコントロールすることはできない。自分の課題なのか、相手の課題なのか、それを分離して考える必要がある。
よくわからないような顔をしていたので、自分の経験を話した。僕も同じように上司とうまく行かずに苦しんだ時期がある。それでもいい評価がもらえるならと思って理不尽なことを言われても我慢して聞き逃した。だが、評価を気にすれば気にするほど我慢することが多くなり、次第に顔に出るようになった。嫌な感情は相手に伝わるもので、上司とギクシャクするようになる。そして、頑張った結果とは思えない評価をもらった。
人は考えないようにしようと考えるほど、そのことが頭から離れなくなってしまう生き物だ。逆に一つのことにとらわれたら、どんどんそれは離れていってしまうものらしい。
かっこよく生きて行こうとしてもダメだ。
詳しくは書けないが、僕は彼と似た状況に追い込まれたことがある。上司を超えて上層部と直接やり取りするような重い仕事。それまで好きだった先輩が、昇進して自分の上司になって人が変わって見えたこと。会社の方針を左右する、誰も決断をしたがらない仕事。肯定がなくて否定しか生まれない会議。手を動かすのは自分一人。みんな口だけ。だけど、任されたのがうれしくて、なんとかしたいという思い。
その上司が仕事を頼んで来ないのなら、それは頼む仕事がないということだ。勝手に心配して遅くまで残る必要はない。自信がないなら帰っていいか聞いてみればいい。そうすれば、明確に「課題の分離」ができる。でも、本当は「嫌われる勇気」をもって勝手に帰ればいい。休みたければ休めばいい。
年配の同僚の手が空いているなら、気にせずに仕事を振る必要がある。そんなことをしたら嫌われるのは当然だ。そこは仕方ないと諦める必要がある。頼み方は気をつける必要があるが、誰もお前を攻めはしないだろう。
僕も心苦しいが、自分に日々言い聞かせるようにしている。そうすれば段々苦しまないでできるように慣れてくる。
ものすごく深くうなずいてくれて、納得してくれたようだった。
だが、もう一つ伝えたいことがあった。
最後は自分で状況を判断し、自分で決める必要がある。
僕は上司との関係で悩んだときに、上司のせいにしてしまった。酒を飲んでは愚痴が止まらなくなり、周りからも上司が悪いと賛同を得られることの方が多かった。
彼の目の色が変わった。上司が悪いのではなく、自分が悪いのかと食ってかかりそうな目だ。もちろんその上司が悪い。部下をこんなに苦しめて、上司が悪いに決まっている。だが、人のせいにしてしまうと、状況を打破するするにはその人を変える必要が出てくる。
僕は人を変えられる自信はない。周りの人の賛同を得て、外堀から埋めていこうとしたこともある。結果は周りが一人ずつ手を挙げて異動していなくなっただけだった。
上司が悪い。みんなそう言うが、本人はその通りに受け取ってはいけない。人のせいにしてはいけない。みんな自分がかわいい。僕は結婚してようやくわかったが、自分がかわいいのは家族のためでもある。家族を守るためには自分を守らなくてはいけない。
それに、同じ環境、同じ状況、同じ悩みを経験したことのある人などない。仕事に正解なんてない。だから、周りが勝手に判断を下すことはできない。今回は親しい僕だからズケズケ言っているだけだ。たまたま似たような経験をしたことがあるから、なんとかしたいと思ってズケズケ言っている。それでも、正しいことを言えている自信はない。
最後は自分で状況を判断し、自分で決める必要がある。
彼は納得したような、少し言いたいことがあるような、そんな顔をしていた。
そして、僕はある言葉を伝えた。
お前はすごい。
別に元気付けようとしたわけではない。
「お前はすごい。」
会社でも重要な仕事を任され、評論家気取りの口だけの面々の口撃に耐え、なんとか仕事を完遂しようとしている。いやいやと恐縮する必要はない。どうかそのままこの言葉を受け取ってほしい。
「お前はすごい。」
これは僕が一番苦しんだ時期に一番聞きたかった言葉だ。僕はプライドが高く、人に泣き言が言えなかった。お酒の勢いで愚痴ってもなだめられるだけだった。
「お前はすごい。」
僕も環境が変わって初めて気づいたが、前の仕事についていろんな噂が伝わっていて、あいつはすごいと一目置かれているところがある。思っているだけではなく、直接そう聞いたと言われたこともある。昔の僕なら、今のお前と同じように恐縮したような素振りを見せただろう。馬鹿にする意味で言っているんじゃないかと勘繰ったかもしれない。だが、今は素直に受け取ることができるようになった。
「お前はすごい。」
そんな伝聞を伝え聞いて救われる思いだったが、できれば大変な時期にその言葉を聞きたかった。当時はどこにも救いがないと思い込んでしまっていた。
彼はこそばゆいような笑みを浮かべながらも、仕方ないといった感じで受け入れてくれたようだった。
でも、もう一つ伝えたいことがあった。
みんな同じだ。同じようにもがき苦しんでいるんだ。
それは、みんな同じだということだ。さっきと真逆のことを言っているようだがそうじゃない。
彼はまた眉をひそめるような表情をした。
お前は本当にすごい。本当にすごいが、誰がやっても同じように苦しんだだろう。程度の差はあるかもしれない。苦しみの種類は違うかもしれない。だが、みんな上司との関係には苦しむものだ。
僕は極度のあがり症だ。だが、必死にこらえるからか、みんなそうは見えないと言う。これがずっと信じられなかった。自分の両手は汗ばみ、ひざが遊んでいることが自分ではよくわかっていたからだ。
だが、「恐怖突入」という言葉を知った。みんな人前に立てば程度の差はあれ、両手は汗ばむし、ひざは遊んでしまうのだ。自分のことはよくわかるが、人のことはよく見ないとわからないだけだ。逆に言うと、誰も自分のことをそこまでよく見ていない。自分が自意識過剰なだけだ。恐れずに突入した方が楽になる。
それからは手のひらが汗ばんでも焦らず、ひざが笑ったら立ち位置を変えて誤魔化し、噛んだら素直に伝えるようにした。
「どうも緊張しているようですね。」
誰も笑い者にするのではなく、ただ笑ってくれる。
もっと頑張らないといけないとは思わなくていい。みんな失敗する。自分のせいにしてはいけない。そう伝えたかった。
みんな同じだ。同じようにもがき苦しんでいるんだ。
ここで森田療法の「あるがまま」について話そうと思ったが、さすがに話が重くなりそうだったのでやめにした。
人のせいにはしてはいけないが、自分のせいにもしてはいけない。
人のせいにすると変えられなくなる。だが、自分のせいにすると苦しくなる。
だが、これは矛盾しない。誰のせいにもしないのだ。誰のせいでもなく、みんな同じように葛藤しながら生きていくんだ。
ここで一旦話がまとまった気がしたが、もう一つ伝える必要があった。
心を変えるには身体から。
自分を変えようとしても、嫌な感情や性格は自分でもコントロールすることは難しいだろう。不可能にも思える。だが、それは感情を直接変えようとしているからだ。感情を変えたいなら思考から変えていく必要がある。負の思考や考え方を変えようとすることも大変難しいだろう。だが、それは頭だけで解決しようとするからだ。思考を変えたいなら行動から変える必要がある。ここは腹落ちしてほしい。
行動を変えるにもコツがいる。
「あなたは毎朝起きたら最初に何をするだろうか。」
まず、顔を洗いに行くだろうか。もしくは、カーテンを開けて日の光を浴びようとするだろうか。それとも、二度寝してしまうだろうか。そこに、あなたの意志は入っているだろうか。
行動は習慣からできている。行動を変えるには毎日の習慣を変えていく必要がある。大きく変える必要はない。少しずつ身体を慣らしながら変えていく必要がある。そういう意味では、行動は身体からできているとも言える。
僕は地獄を味わってから身体の健康に気をつけるようになった。そのためにも毎日の習慣を変えようとした。今は毎朝3分ラジオ体操をして、10分の瞑想を行い、子供の顔を見る時間を充分持つようにしている。
何度も言うが、変化は少しずつでいい。続けることの方が重要だ。習慣と身体が変われば、行動が変わってくる。行動が変われば思考が変わってくる。思考が変われば感情が変わってくる。
男は30歳を過ぎると自律神経が乱れて疲れやすくなる。そうすると、身体を動かすのが億劫になってくる。若い時と同じだとは思うな。少しずつでいい。
行動を変えるのはコツがいる。思考を変えるのはなかなか難しい。感情を変えるのは不可能だ。
心を変えるには身体から。
そうしていくことで、健康的な思考が身に付き、感情をコントロールできるようになり、人に嫌われる勇気を持てるようになり、人のせいにせずに自分で決断できるようになり、自分が好きになれる。
僕はお酒に溺れてしまった。嫌な感情を押し殺すためにお酒を飲んだ。負の思考を強制停止するためにお酒を飲んだ。そして、それが習慣化され、依存症になり、身体を蝕み、思考は停止し、感情が崩壊した。
彼にはそうはなってほしくなかった。なんとかうまく伝えようと、自分の陥った思考を伝えた。
会社に行きたくない。
「明日も仕事か、行きたくないな。」
「そう言えば、今日の晩ご飯はなんだろう。」
「晩ご飯を食べたら風呂に入って寝よう。」
「起きたらまた仕事か、行きたくないな。」
こんな具合だ。サザエさんを見ると会社に行きたくないと勝手に頭が考えてしまうのと同じだ。
それを防ぐ方法として「瞑想」をすすめた。だが、例に漏れず彼も少し疑心暗鬼なようだった。それ以上は勧めずに、「考えない練習」という本を紹介するに留めた。
隣駅まで歩いた。
三連休も仕事の彼が、金曜日にようやく取れた午後休に、僕に連絡してくれた。僕はなんとか彼に報いたかった。そこで、別れる前に隣駅まで一駅歩こうと提案した。大事な時間だからこそ、有効に使う必要がある。今彼に必要なのは、頭の思考が収まるまでボケーっとできる時間だと思った。そのきっかけにでもなればと思った。
上司より早く帰ってはいけないと思考停止しているのかもしれない。現状を上司のせいにして思考停止しているかもしれない。上司の方が大変だと思考停止しているかもしれない。我慢するしかないと思考停止しているかもしれない。思考停止していても、解決していない感情は心の中でくすぶり続けるだけだ。唐突に再炎上することになる。無駄な時間を無理やりでも持って、くすぶった感情を少しずつ整理することを勧めた。
彼はまだなんとか眠れているらしい。お酒もほとんど飲まない。僕なんかより何倍も人当たりがよく、要領もいいやつだ。ほっと安心して、それ以上の言及は避けて一緒に歩いた。取り越し苦労かもしれないが、不眠症になったら地獄の始まりだ。地獄に入ると自分で自分のことかわからなくなる。
「慶と話せてよかった。」
「またいつでも呼んでくれ。」
笑顔を見せようとするその目は心なしかうるんでいるように見えた。僕は彼の味方であることを心に誓った。
そして気づいた。僕が一番伝えたかったことは、僕は君の味方だということだ。何かあったらいつでも頼ってほしいということだ。そのことは伝えられた気がして、あとはどうてもよくなった。気づけば2時間以上が経っていた。
「僕は君の味方だ。またいつでも呼んでくれ。」
- 作者: スティーヴン・キング,Stephen King,山田順子
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