3年前の冬。夕暮れ時、広島を代表する繁華街・流川エリアの通称・仏壇通りそばにある「ビールスタンド重富(しげとみ)」に若いカップルが現れた。
酒屋の一角で立ち飲みができる、いわゆる角打ちスタイル。レトロな冷蔵庫の上に大きさの異なるビールサーバーが2つ。店内の客たちは、全員が生ビールを飲んでいる。ビールは、クラフトでもプレミアムでもない、普通のアサヒ樽詰生だ。
「おかえりなさい」と、落ち着いた物腰で迎える白衣のマスターに、彼氏であろう男は、誰も聞いたことがないような注文をした。
「あの、実は、ぼくは生ビールが大好きなんです。それなのに彼女は、ビールが大嫌いで飲めないんです。でも、今日、彼女が、あなたの大好きなビールで乾杯したいって言ってくれて。それで、思い切って来たんです」
狭い店内に静かな動揺が広がった。ビールが大嫌いな客がビールを飲みに来たのだ。驚いた客同士が顔を見合わせている。
男の注文をかみ締めるように聞いていたマスターは、目を閉じて少し考えた後、男に淡々とした口調で伝えた。
「7分ほどお待ちいただきますが、よろしいですか?」
「はい!待ちます」と、男は答えた。
そして、およそ7分後、若いカップルの前に現れたのは、次の写真のようなビールだったという。
左が、ビール大好きな彼氏のための一杯。右が、ビール大嫌いな彼女のための一杯。
カップルは、それぞれのビールを手に取り、「乾杯~」と声をあげた。
グラスがぶつかりあう音がカチーンと響き渡る。
ビール大好きな彼氏が迷わず飲み始める。
「こんなパンチのある生ビール、初めてだよ」と、声をあげる彼氏。
その隣で、ビール大嫌いな彼女は、おそるおそるグラスに口をつけている。
他の客が固唾を飲んで見守る中、彼女のグラスの底が少しずつ上がり、彼女の喉が小さく鳴るのが聞こえた。
4分の1ほど飲み、グラスを置く彼女が、彼氏に向かって言った。
「このビールおいしい! あなたが好きなビールを一緒に飲めてうれしい!」
笑顔の彼女に彼氏が、さらに笑顔を重ねた。
「ぼくも君とビールで乾杯できてうれしいよ!」
そんなビールスタンド重富は、男女の絆(きずな)が深まり、出会いの生まれる酒場である。
ある日、1人の男性と1人の女性が別々に来店した。混み合っている折、マスターは2人に相席を依頼した。
そして時が流れ、2人は一緒にビールスタンド重富にやって来て、こう言った。
「今日は記念日なんです。どうしてもここで乾杯したくて」
マスターが不思議な顔をしていると、2人はこう続けた。
「実は今日、入籍しました」
さらにその1年後、「赤ちゃんが誕生した」と、報告に来た。
広島のビールスタンド重富。
奇跡を生むビールの秘密は、どこにあるのか?
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