友部正人詩集「バス停に立ち 宇宙船を待つ」
「バス停に立ち 宇宙船を待つ」 友部正人
もうだいぶ前のことになるが
ぼくはバス停に立って宇宙船を待っていた
どうしてそんなことをしたかというと
歌が行き詰っていたからだ
ぼくの歌に乗り物がなかった
どこにも行けないような気がしていた
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結局宇宙船は来なかったが
宇宙船を待っている感覚だけが残った
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そしてぼくは今ニューヨークにいて
その感覚に乗って生きている
バス停で待つ必要はなかったんだ
感覚は個人的な乗り物である
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時代は滑りやすくなっているから要注意
ぼくたちは真夜中のバス停で
雨が降るのを待っています
友部さんは歌を創る時のインスピレーションを「宇宙船」と呼んでいるのでしょうか。
詩の中で「結局宇宙船(インスピレーション)は来なかった」と言っています。
でも宇宙船を待っている感覚が残り、その「感覚に乗って生きている」とは自分自身が宇宙船になってしまったようなものだと思います。
自分自身が宇宙船であるならばバス停は自分のための目印のようなもので、待つ場所ではありません。
詩人は自身がインスピレーションそのものです。
唐突ですが、友部さんのいう「待っている感覚」は「祈り」のようだと思いました。
「祈ることはフィーリングである」という言葉を思い出したからです。
たとえば干ばつの時の雨乞いの祈りは「雨が降るように」と祈るのではなく
「雨に祈る」のだそうです。「雨が降ることを祈れば、決して雨は降らない」と。
充分に雨を感じることで、実際に雨が降ることになるそうです。
感じることが祈りならば、私たちは自分で意識せずにたくさん祈っています。
そして、その祈りは実現してしまいます(!)
自分が何を感じているかをもっと大事にしなくては、と思います。
私たちが願うことそのもののフィーリング、意識してそれを持つこと。
私たちはそれを選択できるはず。
時代は滑りやすくなっているから要注意
ぼくたちは真夜中のバス停で
雨が降るのを待っています
友部さんが紡ぐ言葉は、私にとってまさにインスピレーションです。
またもやわけのわからない文になってしまいました。
今夜は雨がよく降っています。
エンヤの Echoes In Rain をどうぞ。