「欲望を捨てる青春」という言葉を聞いて、大学を卒業したばかりで広報分野に就職した人と交わした話が思い出された。記者は「最近の大学生たちが最も望んでいることは何か」と尋ねた。「就職」や「恋愛」といった答えが返ってくると思ったのだが、そうではなかった。「望んでいることは特にない。自分も友人たちも、『ぜひともこれをやりたい』、あるいは『絶対にああなりたい』といったものがない。就職難の中、どこか(の企業)に入れるだけでも幸いで、それ以上は何も望まない」というわけだ。
韓国よりも長い間景気が低迷した日本では、数年前から「さとり世代」という言葉が流行している。成功や物質的な豊かさなど、世俗的な面に全く関心がない若者たちを指す言葉だ。就きたい職業もなく、やりたいこともないという韓国の若者たちも、最近は「達観世代」と呼ばれる。
欲や執着を捨てられない老いは醜いが、欲を持つこともなく、何かをひたすら求めることも放棄した若者たちには違和感を覚える。手に入れられないことを知りながらも、未練を断ち切れずに突っ走り、そのために傷つくこともあるというのが、若さの本質ではないのか。アイルランドの劇作家ジョージ・バーナード・ショーが「青春は若いやつらにはもったいない」と発言したのも、まさにそのような背景があるからかもしれない。だが、欲を捨てた最近の若者たちを見ていても、そのようなことを言えるだろうかと、ふと気になった。