今まで当たり前に思っていたことが自分を苦しめていた?
みなさんはこのような思いを持って日々生きてはいないでしょうか?
・人に嫌われないように生きていく。
・上司には嫌われないように言われたことは素直に聞く
・過去の自分が未来の自分をつくる
・将来の夢、目標を描いていないといけない
・自分が変われば相手の気持ちも変わる
・あの人から認められたい
・みんなから見られている
この本を読む前までのぼくは、このようなことをいつも心のどこかで思っていました。
「人には嫌われたくないから、自分のことは置いておいて常に相手に気を使って嫌われないようにしよう。」
まぁ、意識レベルで常に思っている訳ではないですけど、人と接する際にはこのようなことを無意識のうちに考えて行動していた気がします。
でもこの本を読んで今まで抱いていたこういう考え方を改めさせられました。
岸見一郎さん・古賀史健さん著 「嫌われる勇気」。
この本、久しぶりに強い衝撃を受けた本でした。
目次
- 第一夜 トラウマを否定せよ
- 第二夜 すべての悩みは対人関係
- 第三夜 他者の課題を切り捨てる
- 第四夜 世界の中心はどこにあるのか
- 第五夜 「いま、ここ」を真剣に生きる
本の紹介
この本は「心理学の三大巨頭」の一人アルフレッド・アドラーの心理学について書かれております。
自分自身にコンプレックスを抱えた“青年”とアドラー心理学を専門としている“哲人”という二人の登場人物のやり取りを通じて、アドラー心理学の考え方をわかりやすく教えてくれる構成となっています。
以下、ぼくが本を読んで感じたことを書いていきたいと思います。
まぁあんまり事細かに書くとマズイので各章ごとに強く印象に残った部分を紹介していきます。
第一夜 トラウマを否定せよ
青年の友人に何年も家に引きこもっている友人Aがいました。Aは今の自分を変えたいと思っているが、いざ外に出ようとすると不安な気持ちになり、家を出ることが出できません。
青年が思うに彼が引きこもっている理由は「過去」にトラウマなりの何かしらの「原因」があると考えていました。
当然誰だってそう思うだろうし、ぼくもそう思っていました。
原因と結果、何らかの過去があり現在がある。
そう考えるのが普通です。
しかし哲人は、アドラー心理学はこの考え方を否定しています。
ご友人は「不安だから、外に出られない」のではありません。順番は逆で「外に出たくないから、不安という感情を作り出している」と考えるのです。
つまり、ご友人は「外に出ない」という目的が先にあって、その目的を達成する手段として、不安や恐怖といった感情をこしらえているのです。
この考え方には強い衝撃を受けました。
つまりアドラー心理学では、人は何らかの目的を達成するために過去のトラウマや嫌だった思いを利用すると考えるようです。
確かにそういう考え方もできます。
また、アドラーはこのようにも言っています。
いかなる経験も、それ自体では成功の原因でも失敗の原因でもない。われわれは自分の経験によるショック(いわゆるトラウマ)に苦しむのではなく、経験の中から目的にかなうものを見つけ出す。自分の経験によって決定されるのではなく、経験に与える意味によって自らを決定するのである。
過去のトラウマが自分自身に影響を与えるわけではなく、過去のトラウマに対して自分自身が「どのような意味を与えるか」によって、自らの人生が決まっていくという考え方…。
こんな考え方、今までしたことがありませんでした。
仮に友人Aが過去に両親から虐待を受けていたことが原因で引きこもっているとします。
その場合アドラー心理学では、友人Aは「外に出ない」という目的を達成するために過去のトラウマを利用して「ぼくは過去に両親から受けた虐待が原因で外に出ることが出来ないんだ。」という論理を構築していることになります。
まぁ現実問題として、両親から受けた虐待のダメージというのは少なからずあると思うので、全ての引きこもりの人にこの考え方が当てはまるとは言いきれないかもしれません。
しかし、アドラー心理学では過去のトラウマは否定するということです。
第二夜 すべての悩みは対人関係
人間の悩みは、すべて対人関係の悩みである。
人は日々いろんなことで悩んでいます。悩みのない人はこの世にいないはずです。
そんな悩みの原因を突き詰めていくと、その原因には対人関係が絡んでいる場合がほとんどと言うか全てだという結論に行き着くことになると思います。
また人間が抱く「劣等感」について、アドラー心理学では以下の様な考え方を示しています。
われわれを苦しめる劣等感は「客観的な事実」ではなく、「主観的な解釈」
健全な劣等感とは、他者との比較のなかで生まれるのではなく、「理想の自分」との比較から生まれるもの
対人関係の軸に「競争」があると、人は対人関係の悩みから逃れられず、不幸から逃れることができません。
「理想の自分」と「今の自分」を比較して生まれる「劣等感」であれば健全だけど、「他者」との比較のなかで生まれる「劣等感」は、対人関係の軸に「競争」があるため、将来に渡り「対人関係の悩み」から逃れることができない。
確かにそう思います。
- あの友達のほうが自分より年収が高い
- 会社の同僚はもう結婚もして子どもいる
- あの人はカッコよくて羨ましい…
こういうのって明らかに「他者」との比較ですよね。
こういう思いを抱えていると友達や同僚の幸せを心から祝福することができない寂しい人間になってしまいます。
人生は「競争」ではありません。
第三夜 他者の課題を切り捨てる
アドラー心理学では、他者からの承認を求めることを否定します。
「は??人って他者に認められたり、褒められたりしたいから行動するんじゃないの?」
ってずっと思っていたので、この文章には驚きました。
われわれは他者の期待を満たすために生きているのではない。むしろ他者の期待など、満たす必要はない。他者からの評価ばかりを気にしていると、最終的には他者の人生を生きることになります。
今の自分はまさにこれに当てはまります。他人から嫌われないように、他人からの期待に必死に答えようと頑張っています。
でもそうやって頑張れば頑張るほど、ぼくは「他者の人生」を生きているってことになるんですね。。
課題の分離
われわれは「これは誰の課題なのか?」という視点から、自分の課題と他者の課題とを分離していく必要があるのです。つまり他者の課題には踏み込まない。
あらゆる対人関係のトラブルは、他者の課題に土足で踏み込むこと、あるいは自分の課題に土足で踏み込まれることによって引き起こされます。
例えば仕事において、上司からこんなこと言われたとします。
「キミは全然ダメだ。俺達が若い頃はもっと〇〇だったぞ!!」
こういうことを言われた場合、素直な人であればあるほど、上司の意見に・考え方に忠実に従う為に努力すると思います。
でもアドラー心理学ではこういう場合に「課題の分離」という考え方をします。
つまり上司の意見というのは、あくまで「上司の課題」なのであって「自分の課題」ではないんです。
「自分の課題」じゃないんだから、「上司の課題」を自分が頭を抱えて悩むのはおかしいという事です。だって「上司の課題」は上司しか解決することが出来ないし。。
そこを履き違えて「上司の課題」を「自分の課題」だと誤認識し、自分が必死になって頑張っても無意味だということです。
もちろん「仕事は頑張らなくても良い」ってことではありません。
「他者の課題」を解決するため、嫌われることを避けるために「他者の人生」を歩んでいては本来歩むべき「自分の人生」を歩むことは出来ません。
「課題の分離」をしっかり行うことで対人関係で悩んでいた自分の心がかなり癒されるはずです。
またアドラーは次のようにも述べています。
自らの生について、あなたにできるのは「自分の信じる最善の道を選ぶこと」、それだけです。また、その選択について他者がどのような評価を下すのか。これは他者の課題であって、あなたにはどうにも出来ない話です。
他者の課題には介入せず、自分の課題には誰ひとりとして介入させない。
課題の分離は、対人関係の最終目標ではありません。むしろ入り口なのです。
僕自身はまだまだ「他者の視線」が気になっています。
つまりそれはまだ僕自身、「他者からの承認」を求めていることになります。
「他者からの承認」を得ようとしているぼくはまだ「他者の課題」に介入し「他者の人生」を歩んでいます。これではダメなのです。
他者の期待を満たすように生きること、そして自分の人生を他人任せにすること。これは、自分に嘘をつき、周囲の人々に対しても嘘をつき続ける生き方なのです。
自由とは他者から嫌われることである。
他者の評価を気にかけず、他者から嫌われることを怖れず、承認されないかもしれないというコストを支払わないかぎり、自分の生き方を貫くことは出来ない。つまり自由にはなれない。
「他者の顔色」をうかがって生きていては本当の自由を手にすることはできないし、そういう生き方は自分自身に対してウソをついた生き方ということになる。
他者から「嫌われる勇気」を持たなければ、本当の自由を手にすることは出来ない。
もちろん積極的に人から嫌われるような行動をするなんてことは論外ですが、他者から嫌われることを避けていては自分の思っていることをやりぬくことなど不可能だということをアドラーは言っています。
第四夜 世界の中心はどこにあるのか
他者からの承認欲求にとらわれている人は、他者を見ているようでいて、実際には自分のことしか見ていません。他者への関心を失い、「わたし」にしか関心がない。すなわち、自己中心的なのです。
「他者からどう見られているか」ばかりを気にかける生き方こそ、「わたし」にしか関心を持たない自己中心的なライフスタイルなのです。
確かに一見すると「他者から認めれられたい」って思う気持ちは、他人のことを強く意識して生きているような感じを受けますが、裏を返すと結局それって「自分」のことしか考えてない、自己中心的な生き方ってことになりますね。
もしもあなたが誰かひとりとでも縦の関係を築いているとしたら、あなたは自分でも気づかないうちに、あらゆる対人関係を「縦」でとらえているのです。
年長者に対しても意識の上で対等であること、そして主張すべきは堂々と主張することが大切
ぼくは学生時代、運動部に所属していたので上下関係が絶対でした。
特に先輩に対しては「押忍」とか「はい」という意思表示しか出来なかったので、社会人となった今でも年上の人と接する際、自分の思っていることを伝えることがどうも苦手です。
その原因を考えてみると、やはり僕自身、対人関係を「縦」で捉えていたような気がします。
もちろん年長者に対しては敬意を払う必要はありますが、同じ人間であることに変わりはないので、思ったことはしっかり伝えることが大事だと感じました。
第五夜 「いま、ここ」を真剣に生きる
人生は連続する刹那であり、過去の未来も存在しません。過去にどんなことがあったかなど、あなたの「いま、ここ」にはなんの関係もないし、未来がどうであるかなど「いま、ここ」で考える問題ではない。
人生における最大の嘘、それは「いま、ここ」を生きないことです。
計画的な人生など、それが必要か不必要かという以前に、不可能なのだ。
この本を読んでみて僕自身、アドラー心理学を100%支持しているかといったらそういうわけでもありません。
人生計画も多少は必要なのではないかと僕自身思っています。
ただあまりに未来のことや人生計画について考えるあまり、「いま、ここ」を必死に生きていないと感じることはあります。
人間、いくら未来のことを詳細に考えても、結局今の自分にできることって「今を必死に生きる」ってことだけなんですよね。
「今を必死に生きる」ということをしていなければ、当然描いた未来が訪れることはありません。
「いま、ここ」、つまり「連続する刹那」を必死に生きることで人生は輝いていくのだと思います。
一般的な人生の意味はない。人生の意味は、あなたが自分自身に与えるものだ。
「他者に貢献するのだ」という導きの星さえ見失わなければ、迷うことはないし、なにをしてもいい。
この世に生まれてきた人であれば、誰しも一度は 「ぼくがこの世に生まれてきた意味ってなんだろう?」って考えたことはあるんじゃないでしょうか?
この疑問に対してアドラーは「一般的な人生に意味はなく、自分自身が人生に意味を与えることはできる」と説明しています。
またその際、「他者に貢献するのだ」という導きの星さえ見失わなければ、その星を目指して一歩一歩、歩んでいけばそれで良いとも言っています。
- 奥さんと子どもを守るために僕の人生はある
- 未だ解明されていない病気を治すための薬を作ることが僕の人生そのもの
- 旅こそが人生
いわゆる「全ての人間」に当てはまる「人生の意味」というのはないけれど、人それぞれの「人生の意味」は必ずあるはずだということです。
世界とは、他の誰かが変えてくれるものではなく、ただ「わたし」によってしか変わりえない。
この言葉も強く印象に残りました。
どんなに他者からの強い働きかけがあったとしても、結局「自分」を変えることができるのは「自分」しかいない。自分の心のドアは内側から開けることしか出来ないということですね。
まとめ
ダラダラと書いてしまいました。。
ただこの本、ここ数年というか今まで読んだ本のなかで一番強い衝撃を受けた本かもしれません。
「7つの習慣」や「道は開ける」といった自己啓発系の書籍が好きで今まで色々読んできましたが、それらと比較してもこの本はかなり自分自身の考え方に影響を与えてくれた本でした。
特に「他者の課題を分離する」、「人生は連続する刹那」という考え方に強い衝撃を受けました。
人生と対人関係は切っても切り離せないものです。もし現在、対人関係に悩んでいる方であれば是非読んで見てください。
今回、紹介させて頂いたこと以外にも素晴らしいことがこの本には書かれています。
大変勉強になりました。
よく読まれてます♬
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