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2016-02-20

画面の全てが女の心を映す〜『キャロル』(ネタバレあり)

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 トッド・ヘインズ監督の新作『キャロル』を見てきた。原作パトリシア・ハイスミスの『キャロルである。とにかくびっくりするくらいよくできている映画だ。

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 1952年ニューヨーク舞台に、ふたり女性の恋を描いた映画である離婚を控えた美しい中年女性キャロル(ケイト・ブランシェット)がデパートで働く写真家志望の若い娘テレーズ(ルーニー・マーラ)と出会い、恋に落ちる。ところがキャロルの夫であるハージ(カイル・チャンドラー)が独占欲を発揮し、キャロル性的指向ネタに娘リンディの親権を奪おうとしはじめる。キャロルは窮地に陥り、一度はテレーズと別れようとするが…

 まず、監督であるトッド・ヘインズのこだわりがすごい。全体的にどの画面も完璧に美しく50年代風で、かつ意味のあるものに見えるよう計算し尽くされており、たいしたことが起こらないような場面でも細部まで緻密なので観客は気が抜けず、はっきり言って見ていて疲れる。ヴィジュアルや話の展開じたいは『エデンより彼方に』に近いのだが、細かいところまで美しさを追求して主役たちの魅力を引き出す撮り方は『ベルベット・ゴールドマイン』にも近いかもしれない。

 しかしながらこういう美しさへのこだわりが単なるスタイルへの固執に終わっておらず、細かい描写を積み重ねていくことで観客がテレーズやキャロル心理にじわーっと入りこめるような工夫をしており、この描写の積み重ねによる登場人物心理への肉薄はちょっと見ていて気持ち悪くなるくらいである。この映画におけるブランシェットとマーラの演技が素晴らしいのは言うまでもないが、ちょっとした小道具撮影の仕方全てがこのふたりヒロインの心情を観客に伝えるように丁寧に設計されている。

 たとえばこの映画では窓や鏡など「映るもの」が何度も何度も使われており、なんらかの不安や期待がある時は車の窓などの曇ったガラス越しに登場人物撮影し、わざと見えづらくして顔の表情を強調するなどということをやっている(この「曇り」による煙幕を使って登場人物の表情を強調する手法煙草の煙の使い方にも見て取れる)。一方で、テレーズとキャロルが旅先でキスするとても重要な場面では、曇りがないはずの鏡に一点だけかわいい花みたいな模様があり、そこにテレーズとキャロルが映るという撮り方をしていて、ふたりの愛が「花開く」ことを暗示する一方で、平面が乱れることにより未来への不安もかきたてるという、かなり緻密な小道具を使った象徴表現をやっている。

 もうひとつ大事モチーフとして出てきているのが手である。心を伝えるものとしての手をかなり最初からしつこく撮っていて、ちょっと手が触れあったり手を握り合ったりする描写がかなり美しさや色気を醸し出している。一番面白いと思ったのはキャロルマニキュア表現で、テレーズとの一緒にいる時のキャロルは赤い華やかなマニキュア(この色のセンスも華美にならずにキレイな感じで絶妙)をしているのだが、夫のもとに戻らないといけなくなってからキャロルマニキュアをしておらず、ツメの手入れをきちんとしてないことが暗示されている。キャロルの生きるやる気の度合いが、ツメの手入れで表現されているのである。いろいろ芸が細かすぎる。

 内容的には、見た目はただのロマンス映画に見えるかもしれないが、実は大変画期的作品である同性愛を描いた時代モノは『ブロークバック・マウンテン』(いい映画だがあまりにも悲劇的な内容ではある)みたいに片方が死んだり別れたりする悲恋で終わることが多い。しかキャロルとテレーズはレズビアンであり、階級も年齢も違い、双方いろいろな人生トラブルを抱えているという社会的問題にもかかわらず、最後ふたり関係がやがて幸せに花開くことを予想させる場面で終わっている。このいわゆる「長調和音」(これはE・M・フォースターがゲイ恋愛を扱った『モーリス』についてよく言われる表現だが)を想起させる場面もとても細やかで、ふたりが結ばれたことをあからさまに抱擁や台詞で見せるのではなく、余韻だけでお客にわからせるとても繊細な手法を用いている。

 さらにこの映画男性に対してたいへん容赦なく、反逆的なフェミニズムミサンドリー(男性嫌悪)と言われることをものともせずに男性中心、異性愛中心の社会に刃向かう心意気に貫かれた映画である。この映画基本的男性がいなくても女性には素晴らしい満ち足りた人生があるということを、全く男性の介在なしに描いている。女性の性欲や快楽が、色っぽいがあまり扇情的ではないように上品にじっくり描かれている一方、男性性的欲望は一切充足されない。ベクデルテストはもちろんパスするし(そもそも男同士の会話があまりなかったりする)、出てくる男性はだいたいキャロルやテレーズの人生邪魔するウザい人か、せいぜい「悪気は無いけど傍観者」程度な感じであるキャロルの夫のハージは全く魅力がない悪役だ。この、男性のことを全く考えなくても充実して生きていける女性たちの物語であるというところが、白人男性ばっかりのアカデミー賞に嫌われた理由でないかという推測がいろんなところで出ているが、私もかなりこれには同意する。これだけ緻密によくできていてアカデミー賞作品賞ノミネートされないとは、性差別同性愛差別が働いていることを疑わざるを得ない。そりゃまあこういうじっくり人の心情に肉薄するみたいな映画はかえって気持ち悪いとか好きで無いという人がけっこういるのは理解できるし、私も恋愛映画としてならもうちょっとユーモアのあるもののほうが好みだが、ふだん映画を見ている人なら好みの問題とは別に映画としての出来が違うことくらいはわかるだろう。

 と、いうことで、美しく磨き上げられたヴィジュアルの下に強い主張をこめた作品である。一度見ただけでは全部つかめないくらいの緻密さに満ちているので見ていてかなり疲れるが、それでもすごくオススメだ。ぜひ、映画館の大画面で細部までのこだわりを確認していほしい。

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