▲初代からPhotoshopを開発し続けているトーマス・ノール氏(右)と、ユーザー代表のフォトグラファー、レスリー・キー氏(左)
Adobe PhotoShopといえば、本誌読者もご存じ、ソフトウェアメーカーであるアドビシステムズの看板製品。登場以前は写真家や編集者の間でしか知られなかった「フォトレタッチ」という概念を広げたこのアプリは、1990年2月の1.0発売から25年以上の間、画像が関連する世界に様々な影響を与えた。
今回はPhotoshop 1.0のメイン開発者であり、現在でも開発を続けるAdobeフェローのトーマス・ノール(Thomas Knoll)氏、そしてユーザーの代表として、様々なアーティストの撮影を手がけるフォトグラファーであるレスリー・キー(Leslie Kee)氏に話を伺った。
Photoshopが当初よりハードの制限を超えた画像データを扱えた理由や、ともすれば問題となる「やりすぎ」な画像処理をどう防ぐか、さらに25年後のPhotoshopはどうなるか? など、興味深い意見も飛び出したインタビューとなった。
(※インタビューの収録は2015年5月23日。収録にはITジャーナリストの林信行氏にご協力いただいた)
Engadget:まずは簡単に、Kee氏とKnoll氏の経歴、そしてKee氏とPhotoshopの関わりに関してお伺いできますか。
Kee氏:私は現在フォトグラファーですが、Photoshopとの出会いはその前からです。レタッチャーとして画像処理に関わっていました。フォトグラファーとしての活動を開始したのは1998年です。2001年には、コスト削減やスピード向上、そしてクライアントや編集者との連携がスムーズに行く点に魅力を感じ、デジタルフォトに移行しました。
今回の機会をいただき、自分とPhotoshopとの関わりを考え直したところ、改めて重要であることがわかりました。自分の仕事において、7割程度の時間をPhotoshopに使っているのです。
例えばほぼ丸一日、20時間ほど撮影作業をし休んだあと、朝起きてコーヒーも呑まずにPhotoshopを起動。レタッチャーからデータを送ってもらい、それをチェックする......といった作業が習慣になっています。こういった生活を14年間ほど続けています。
また、作品を仕上げる行程で使うだけではなく、自分自身もInstagramやFacebookといったSNSにプライベートを含めて写真をアップしますが、そうした使い方を考慮すると、私にとってはもはや「コミュニケーションツール」と言ってもいい存在です。
(Knoll氏に)どうですか? あなたの開発したPhotoshopが、他の人の人生を変える存在になると思っていましたか?(笑)
Knoll氏:Photoshopを開発したきっかけですが、最初は個人的な楽しみからでした。当時はミシガン大学でコンピュータービジョンの博士課程を学んでいましたが、コンピューター上で様々な画像処理ができるという点が楽しかったのです。商用ソフトにできるのでは? と考えたのは、開発が進んで数か月してからのことです。
Engadget:最初に開発に使っていたMacintoshはどのモデルだったのですか?
Knoll氏:最初の半年ほどは、Macintosh Plusを開発に使っていました。ですから開発環境の画面はモノクロ(2値)だったのです。半年ほど後にMacintosh IIをレンタルで導入してカラーになり、カラー画像の動作確認ができました。
Engadget:時期的にはどのぐらいになるのでしょうか。
Knoll氏:Photoshop 1.0リリース(1990年)の1年半ほど前ですね。87年の秋から初期の開発を開始しましたが、1.0の中核となるコードを書いていたのは88年の頭から9月ぐらいです。メインのコーディングを終えた後、9月の後半に細かな機能を追加しました。アドビ側にプレゼンをしたのも9月中です。
バージョン1.0から「ハードの制限を超えたカラーや画素数が扱えた」理由とは?
▲MacBook Proでエミュレーターを介して表示したグレースケール環境のPhotoshop 1.0
Engadget:私が最初にPhotoshopを使ったのはMacintosh SEでだったのですが、最初に驚いたのは、カラー画像をモノクロで表示するディザリング機能が自動で動作し、また美しかった点です。これはどのように導入されたのでしょう?
Knoll氏:Photoshopは1.0から、表示しているディスプレイと内部データの処理を切り離して扱えるアーキテクチャーになっています。1.0開発時から、イメージデータは本来、24ビットフルカラーまでをサポートできるのがいいだろうと考えていました。そこで、フルカラーの画像をモノクロ表示のハードウェアでもなるべく綺麗に表示すべく、ディザリングを導入しています。
当時、他のペイントソフトはハードウェアにデータを合わせて作られていため、モノクロ画面のMac時代に作られたソフトは、扱えるデータもモノクロのみでした。Mac IIの時代にはハードウェア側に合わせてカラーが扱えるアプリも出ましたが、こちらも8ビットのインデックスカラーのみでした。
Engadget:しかし、肝心のMacが開発当初モノクロだけだったのに、どうして24ビットカラーを基本とする発想ができたのですか?
Knoll氏:幸運なことに当時の私は、大学でフルカラー画像をテストできる環境が使えたのです。このおかげで、色分解機能やR、G、Bのチャンネルごとのレベル調整機能といったカラー調整に関する機能や、カラーイメージのグレースケール変換、さらにディザリングを掛けてモノクロに変換する処理をチューニングできました。
その後、先ほど述べたようにMac IIを導入して、ここでカラー環境の動作を確認。きちんと動作したので、弟のJohn Knoll(ジョン・ノール。映画のVFX技術者であり、Photoshopの共同開発者)に送った......という経緯です。
Engadget:解像度に関してもお聞きしたい。当時のペイントツールは解像度が固定されているのが一般的だったため、ハードウェア側の解像度以上の画素数が扱えるというのは、画期的な発想だと思ったのですが。
Knoll氏:解像度に関しては、私が1.0の開発当時に印刷業界の事情を知っていたことが大きいです。印刷の現場ですと、重要なのはやはり解像度の高いデータです。1.0開発時点でさえ、印刷のデータは200dpiが当然といった状況でした。
技術的には、アプリ独自の仮想メモリを実装した点がポイントです。当時のMac本体はメモリ容量が小さかった(※編注:最大増設時でも8~16MB、標準では1~2MB)ため、そうしたデータは、本体メモリでは展開できない容量となります。そこでPhotoshopは開発中である88年の9月から、アプリ独自の仮想メモリを実装して対応したのです。
1.0の時点では、扱えるデータ容量は1枚あたり12MB、写真で例えると600万画素ぐらいが最大でした。さらに速度も、開くだけでも3分ぐらい、ダイアログ上での操作で30秒待たされるなど、非常に忍耐が必要でした。今でしたら600万画素のファイルであっても、開くのは0.5秒ですし、処理も大きな負荷と感じずにできるレベルでしょう。
1.0からPhotoshopは基本的に、ディスプレイの画素数やメモリよりも大きなピクセル数、多い色数をハードウェアの制限を受けずに編集できるように、という考え方で作っているわけです。
サンプル画像のモデル、Jenniferさんの秘密とは
(ここでKnoll氏がデモのために、エミュレーターを介してPhotoshop 1.0を起動する)
Engadget:1.0が起動しました。Keeさんは1.0を使ったことはありますか?
Kee氏:はい。当時パートタイムで入っていた会社の仕事で画像処理がありまして、データを送信する前の色調整をPhotoshopで行なっていたのです。当時は今と違い、使う時間はわずかですが。なので画面などには見覚えがありますね。
Knoll氏が開いたサンプルの画像データ『Jennifer In Paradise』(上写真の画像)は素晴しいと思います。当初からPhotoshopを使っていた人には、象徴的であり、すごく意味が深い画像ですよね。これは解像度などを高めて蘇らせては、と思います。当時を知らないユーザーにとっては逆に新鮮に映るのではないでしょうか。
(Knoll氏に)Jeniffer氏は当時から人気があったのですか?
Knoll氏:はい。実はJenifferは、Johnの奥さんなのです。そしてこの写真は、本人も凄く気に入っている写真だそうです。撮影はJohnなので、コピーライトはJohnが持っています(笑)。
Engadget:今の視点から見て、Photoshop 1.0のどんなところを誇りに思っていますか?
Knoll氏:もちろんすべてですが、挙げるならレベル調整機能ですね。当時は機能自体が珍しかった点に加え、ブラックポイントやホワイトポイントの設定なども可能でした。またプレビューが厳密に出せる点も誇りです。
先ほども述べたように、こうした色操作は内部で24ビットカラー処理になっているため、様々なディスプレイ環境で、またハードウェア側に依存しないで使えるという点にも自信があります。また当時としてはですが、レスポンスも高速になるよう気を使いました。今見ても、このあたりは当時としては健闘していると思います。
▲速度に関する解説では、あえてエミュレーターの速度を当時の最上位機『Macintosh II fx』程度に制限。これでもかなりスムーズだ
Knoll氏が語る、意外な「開発統括者のメリット」とは
Engadget:Keeさんが写真を本格的に撮影したのはどのぐらいでしょう?
Kee氏:本格的に撮影を開始したのは2002年からですね。当時高画質なデジタルカメラはRAW形式のみでしたが、そこから現在までずっと基本はRAWですね。
Knoll氏:RAW形式の話が出たので、私が思っているPhotoshopの開発統括者であることのメリットについてお話ししましょう。それは、自分が開発を担当するセクションを、自分の意思で決められることです(笑)。
現在ではPhotoshopの開発規模が凄く大きくなっているため、開発者だけでも40人ほどになっていますが、私も初期のデジタルカメラでRAWフォーマットの魅力を知ったため、2002年からはRAW用の入力部「Camera RAW」をずっと手がけています。
数えてみると13年になりますから、Photoshopの開発期間の半分以上、個人で開発している箇所はCamera RAW関連、ということになりますね(笑)。
Kee氏:Knoll氏へ聞きたいのですが、アプリ名は『Photoshop』以外に考えていたものはあるのでしょうか?
Knoll氏:一番初期の名前は、実は『Display』(ディスプレイ)でした。画像データを表示するためのソフトでしたから、まさにDisplayだったのです。その後いろいろと画像処理機能を加えていくうちに、名前が適切ではないな、という話になりました。
そこで『ImagePro』(イメージプロ)という名前が候補に挙がりました。実はパブリッシャーへのデモも一部はこの名称で行なっていたのですが、実は他社のソフトで既にImage-Proという名称が使われていたのです。次は『PhotoLab』(フォトラブ)という名称にしました。が、こちらもデモが終わった後に、Deluxe PhotoLabというアプリが出ると知りました。
実はPhotoshopという名前は友人の案なのです。見せている際に「名前が使えなくなりそうなんだ」と言ったところ、その友人から「ではPhotoshopというのはどうだろう」という意見が出ました。「それはいい。使わせてもらって良いか」と聞いたらOKが出たので、Photoshopとなったのです。
Adobeのほうでも発売前のマーケット調査で競合や名前に関する印象などを調べたのですが、競合もないし、名前も良いだろうということで、いまやお馴染みの名前になった、というわけです。
Photoshopという名称は、写真のレタッチや調整に関するワークフローを一通り包括したい、という意図があります。この観点からも、Photoshopというのはかなり良い名前になった、と思っています。
Kee氏とKnoll氏は「やりすぎ」なレタッチをどう考えるか
Engadget:現在のPhotoshopはグラフィックスソフトの中でも非常に多機能になっているわけですが、様々な処理ができるゆえ、作業していて気を付けないと、いわゆる「レタッチのやりすぎ」状態にも陥ってしまうことがあると思います。このあたりについて意見はありますか。
また、境界があるとしたらどのあたりなのでしょうか。
Kee氏:私はレタッチャーの業務も10年ほど経験していますので、その経験からお話しましょう。銀塩写真の時代は、雑誌に掲載する写真に関しては、印刷会社での処理がベースでした。フィルムをスキャンしてのデジタル化やレタッチ、色調整は印刷会社でした。
デジタル時代となり、さらにPhase Oneの製品など、業務に耐えるデジタルカメラが登場したことで、より高画素、高画質でのデータが送れるようになり、また編集者などからも求められるようになりました。
この段階で、Photoshopを使わないという選択の余地はなくなりました。もちろんより良い、美しい写真を表現するためです。
あまりにも強力なことから、Pascal Dangin氏など、ファッション業界のレタッチャーの間でブーム的な現象も生まれました。しかし90年台前半ぐらいから「やりすぎ」的な、極端なレタッチを施した写真が散見されるようになり。現在の視点からすると不自然に見えるような写真も増えていきました。
では、次にどうなったか、というと、オリジナルを活かした写真へと回帰していったのです。つまり、年月が経過し、ノウハウが蓄積されるにつれて、Photoshopの良いバランスがわかってきたという経緯を辿ったのです。
今でもPhotoshopは重要なツールであり、プラットフォームです。写真をより美しく仕上げるための重要な役割を持っています。
そして重要な点は、Photoshopの使用は「選択肢」ということ。現代のフォトグラファーは、何もレタッチをせずに現像するという選択ができ、適度にPhotoshopを使いより美しい写真として仕上げる選択もできます。Photoshopが普及する前は、こうした選択肢自体がありませんでした。
Knoll氏:私から見ても、Photoshopはあくまでもツールです。他のツールもそうなのですが、使い方によって良くもなり、悪くもなる。使う人次第です。Photoshopもそうやって応用される、ということです。
ジャーナリズムの領域では極端なレタッチがよく討議されますが、私は人を騙すためのものではないと考えます。写真を撮影する際には、構図を決めます。その際、入れる要素は何なのか、また外したい要素は......と決めますが、それと同じことだと思うのです。
写真を撮影する時点で、フレームの中に入れるものに意味を持たせるように構図を決めますが、Photoshopを使うのも基本的にはこれと同じだと思うのです。それを上手く使うか否かは使う人次第ですね。
Kee氏:私にとってPhotoshopとはなにか、と聞かれますが、私にとっては「鍵」なのです。私の主な被写体は人間なので、なるべく仕上がりはリアルなものにしたい。Photoshopの発明によって、写真はより高精度に、リアルに表現できるものになりました。私にとって、そうした領域への扉を開く鍵がPhotoshopなのです。
私がInstagramやFacebookに掲載する写真は、Photoshopで開き、デザインをして掲載しています。私にとって、こうしたデザイン処理は「贈り物にリボンを掛ける」ようなものです。
「コンテンツに応じる」など、驚きの新機能が生まれる秘密は?
Engadget:最近ですとPhotoshopは、「コンテンツに応じる」(Content Aware)機能を強化していますが、これらは非常に高度で、驚きさえ感じる機能です。こうした機能についてはどのように生まれたのでしょうか。
Knoll氏:アドビには、将来に向けた研究開発を専門で担当する部門があります。画像処理のみならず、最新のソフトウェア技術でなにが可能なのか、といったところを専門に研究しているのです。そして商品に搭載して面白そうだ、となったら、製品チームと会議をして、搭載を検討する、という流れとなります。
昨今の大きな機能、たとえば「コンテンツに応じる」系の機能や、最新版で搭載した「霞の除去」(DeHaze)も、この研究開発チームから生まれてきたものになります。「霞の除去」は、霞やもやが掛かった画像をクリアにしたり、また霞を増やすという機能ですが、これも基本的な処理は研究開発チームによるものです。
Engadget:Photoshopはこれまで25年間、ハードウェアをふくむ進歩で、写真とグラフィックスの世界に変革をもたらした存在になりました。今後の25年間はどのように進むのでしょうか。
Knoll氏:まずはこれまでの25年間におけるハードウェア環境を考えてみましょう。数値計算に関する速度は、当時に比べて100万倍とも呼べる速度になっています。もちろん実際にはメモリアクセス速度などの制限もあり、全体としてはそこまでの性能は出せませんが、それでも従来は考えも及ばなかった機能が実装できます。
「コンテンツに応じる」系もまさにそうですね。1.0時点のハードウェアで処理していたら、計算時間が年単位となりそうな処理です。こうした処理ができるのも高速化の恩恵です。
また小型化も進みました。現状のスマートフォンは、処理性能では10年前のノートPCに近いところまで達したと思います。今の一部市場は、ノートPCからモバイルへの移行が進んでいますが、基本的な流れとしてはこれは進むと思います。
一方、現在のPhotoshopの開発方針としては、3年先を見据えた体制になっています。3年先にどういった機能が実現可能で、どう実装するのかを考えています。さすがに25年となるとわかりませんが、ハードウェアの変化は見据えながら開発しています。
Engadget:Keeさんはどう考えますか。また欲しい機能のリクエストなどは。
Kee氏:デジタルカメラやスマートフォンの登場などで、25年前とは写真との関わり方が大きく変わりました。また現在の若者たちは気軽に写真を撮影するようになり、スマートフォンなどでの画像処理なども当たり前になりつつあります。
25年先というのは、こうした若者達が成長した時代です。そう考えると、みんなが写真に対して調整をして、自分の思いを表現するのが当たり前にもなると思います。それこそみんながPhotoshopを使う時代になっていても不思議ではないと思います(一同笑)。
個人的な希望としては、25年の間に音声検知、さらには脳波検知なども欲しいと思います。例えば、「空の色を鮮やかにしたい」と考えたら、画像処理が行えるようになれば、凄く便利ですし、より身近になるでしょう。
Engadget:なるほど、そういう環境が実現できれば、ますます直感的に、使いやすくなるはずです。今回はありがとうございました。