「モチベーション管理する」「あの人最近元気ないからモチベ上げてくる」
みたいな、他人のモチベーションを上げようとする行為に何か違和感を感じる。
人間のモチベーションには波があるということも
結果を出すためには上司は後輩をモチベートする必要がある
ということも理解しているつもりだ。
自分だってやる気の波はある。
でも何か本当にそれでいいのか、という違和感が自分の中にある。
自分は大学生をしながら
学生主体で運営しているNPOで2回生のときから働いていて
4回生になった今は自分より年下の後輩に囲まれるという状況になっている。
当然、そこには「やる気が出ないのでやらない・できない」という人がいる。
「お客さんがいるんだからそんなことで言い訳を~(以下略)」みたいなことも言いたくなるのだが、(言ってしまうことも多いけど)
結局そればかりでは何の解決にもならないので愚痴を聞くなり機嫌を取るなりして
なんとかがんばってもらう、ということが度々ある。
仕事を回すという意味ではこれは上司としてのセオリーに大筋則っているとも言えると思う。
けれども、それでもなんだか気に食わない思いをする自分がいる。
そのことについてまとめてみたいと思う。
結局その人のことを下に見ている
自分は、組織の中で一緒にやっている人とは年齢や経歴や役職の違いこそあれど
対等な友人関係でありたいと思っている。(学生だからこそ言えることだが)
結局は度合いを弱めていこうということになるのかもしれないけども
入ったばかりで何もわからない、価値観も理解していない人に対して
最初はフォローしつつやっていくというのは妥当だとは思う。
しかし、2,3か月経ったあとも同じような接し方をしているのは
相手のことを尊重していないのではないだろうか。
その人にはその人なりの目的や目指すことがあって組織に入ってきたはずであって、
そこを考えさせずに目の前の仕事を何とかこなさせることは
仕事のために個人を潰しているような感覚になる。(顧客近視眼みたいなかんじ)
結局そういうことを続けていると自走できない人間になって
誰かの助けがないとがんばれない人になってしまう。
良くも悪くも、きちんと親離れ子離れして
お互いに自分の意思をもって頑張れる人になってこそ
ようやく対等な仲間になれると思う。
自分がいつも優しくする親分、お兄さん役になって
誰かに依存しないとがんばれない子分に慕われる
みたいなのは美しい人間関係ではないと思う。
本当の意味でその人のためにならない
組織のために、という観点で言うと
基本的には組織は継続して発展、成長していくべきだと考えていて
そのためには中で働く人の成長というのが必要になってくると思う。
ご機嫌取りはその人の成長の機会を潰していると感じる。
「真の教育者とは自分以上の人を育てられる人のことである」
という言葉を聞いたことがある。
例えばの話で、単純計算で考えると
後輩の力がリーダー以下だった場合、その後輩がリーダーになったとき
前のリーダー以下の組織に衰退なることになる。
言い換えると、上司は自分以上の存在になるように後輩を育てないといけないということだ。
そう考えると、結局自分にモチベートされないとがんばれないままでは行く末が不安になる。
対等な仲間になるためにも、次代のリーダーになってもらうためにも
結局自走できるようになってもらうことは必須だということにもなる。
短期的にやる気を出してもらうだけではいけないということで、
魚を与えるのではなく魚の釣り方を教えるような
根本の問題を解決する打ち手が必要になってくる。
まとめ
あくまで「学生が非営利で」働いている場所だからこそ言えることだけな部分はあると思う。
仕事上の人間関係とは異なる部分もあるはず。
学生は卒業のスパンが短いけど大人は基本的に長く勤めるはずだし。
さて、モチベーションについて色々と意見を述べてきたが、
自分の中で、相手に自走してもらう良い打ち手は結局確立できていない。
「自分の力で何とかしなさい」「自分の頭で考えなさい」
というような、かわいい子には旅をさせろ的突き放し対応が必ずしも上手くいくわけではないし
飲み会の席で一緒に愚痴るということもときには必要だと思う。
仕事の相談なんかにはもちろん乗るべき。
でも、お客さんを扱う仕事があるうえで関わっている以上成果にはこだわるし
仕事はできてないけど仲良くはなれた、みたいなのはあり得ないと思うし、
非営利でお金のためにやっているわけではない以上
目に見えないものでいいから何か深く実感できるものを持って帰ってほしいとも思う。
目の前の仕事をこなすこと、成果を上げること
後輩を育てること、組織を継続的に強くすること
を両立することはつくづく難しいなと感じる。