昨年のことです。
僕の研究室には博士の先輩がいました。
その先輩は研究で非常に優れた成果を出していている人で、そういった意味で「できる先輩」だったと言えるでしょう。
一方で、同じ研究室の同級生に少し研究がうまくいっていない子がいました。
すごく頑張っていたし、やることはやっていたのですが結果に結びついていない感じでした。
そこで、博士の先輩が研究の世話をすることになったわけです。
しかし、結局うまくいくどころか、逆に悪い方向に進んでしまいました。
今日はその時の話をしたいと思います。
先輩は後輩の能力を見ずに方針を決めていった
先輩はできる人でした。
失敗って経験をあまり積んできていないので、「できない」という感覚がわからなかったんです。
そのため、先輩の方針は後輩にとってかなり無茶なものとなりました。
例えば、
後輩にとって2週間かけてできるかどうか、ってものを2日でやれと言う。
後輩の質問に対して、そのくらい自分で調べろと返す。
ある程度形になってきたのに、あまり出来がよくないと言ってやり直させる
といった感じです。
確かに博士の先輩にとってはそのレベルの要求が適切なのかもしれませんが、後輩にとっては厳しい要求でした。
しかも色々やり直させた後で、「それ作り直しておいたから」みたいなことを平気でやっていました。
後輩は精神的にも参っていたようです。
先輩は批判が大好きだった
僕の研究室では毎週ミーティングを行っています。
そこで、後輩は自分の成果や方針を発表しているわけですが、教授から幾多のツッコミを受けます。
それは仕方のないことです。
何十年もこの分野の研究をしてきた教授からしたら、穴が多すぎるのでしょう。
ここで一番キツかったのは先輩からの批判です。
先輩は粗探しが大好きでした。
批判が大好きでした。
研究をサポートしてくれている先輩です。
フォローしてくれるんじゃないかという期待もあったでしょう。
そんな先輩から批判を浴びていたんです。
後輩のメンタルはもうボロボロでしたよ。
そんな状態で研究がスムーズに進むわけがありません。
わからないような部分があっても先輩に聞きに行くことはなくなっていましたね。
自分でなんとかしようとしていただけ偉いなと思います。
僕がフォローできたらよかったのですが、かなり異なった内容をしていたので限界がありました。
そもそも僕にとっても初めての研究でしたし。
僕たち同級生は愚痴を聞くことくらいしかできませんでした。
後輩は研究から何か得られたか
最終的に、後輩は卒業することはできました。
ただ、研究の成果としては散々なもので、なんとか卒業といった形でした。
正直、最初から1人で進めていた方がマシだったように思います。
しかも、結局先輩の言った通りにすることを強いられていたために、研究から得られるような何かは少なかったでしょう。
研究で一番経験となるのは、どのようなアイデアを出し、それを実現するためにどのような方向へ進んでいくかを試行錯誤する部分ですから。
なんというか、先輩のやってきたことは「先生ごっこ」のようなものだったと思います。
自己満足のため以外の何物でもなかった。
先輩はどうするべきだったか
指導の方針
先輩は自分基準で研究の方針を決めていました。
けど、本来は後輩の立場に立って方針を決めるべきです。
むしろ方針を決めるのは後輩で、上手くいかないであろう部分に対して、ちょっとした指針を示してあげるくらいが適切だったのかと。
そういったフォローの仕方にしないと、後輩にとっての研究の意味がなくなってしまいますから。
「後輩とのコミュニケーション」
これが先輩には決定的にかけていたように思います。
後輩の話をしっかり聞いて、何をしたいと思っていて、どこで詰まっていて、何がわからないのか。
その上で、適切な方向に導いていかなくてはいけなかった。
批判について
僕は、批判自体は悪いことではないと思っています。
ただし、批判するにしてもまず「後輩が本当に言いたかったのは何か」を意識して不適切・不十分な内容を保管してあげるようなアドバイスとしての批判じゃなきゃダメだと思います。
粗を探してその部分をついて満足する。
知識を持っている人はそんなことをしがちです。
けど、それでは双方に何も生み出さない。
ちゃんと後輩の立場に立って批判もしなくてはいけないですね。
まとめ
「できる先輩」は、必ずしも「できる指導者」とはならない話でした。
僕も後輩の面倒を見る立場になっているので、こうならないようにと意識しています。
後輩の気持ちを考えること、話をしっかり聞くことですね。
「できる後輩」になってもらえるよう、精一杯サポートしていきたいです。