映画は植民地統治からの解放から国民党敗戦まで4年間に家族がどのように崩壊していったかを描く。林阿禄には4人の息子がいたが、長男は親日派扱いされた弟をかばおうとして、やくざの銃弾に倒れて死ぬ。次男は日本によって軍医として召集され戦死する。三男は親日派とされ、国民党政権の警察に連行された後、発狂してしまう。それでも無事だったのは、8歳のときに頭部を負傷して聴力を失った四男、文清(梁朝偉=トニー・レオン) だけだった。口があっても話せず、耳があっても聞こえない文清は当時の本省人の置かれた状況を象徴している。そんな文清も友人の台湾独立運動組織が警察に一網打尽にされ、それに巻き込まれてどこかに連れ去られてしまう。
事件から長い月日が流れ、映画の中の悲しみや怒りはある程度和らいだとばかり思っていた。しかし、今年新年早々、16歳の少女がまるで罪人かのように登場し、「私は中国人であることを誇りに思う」と話す姿を目にした。中国と台湾の関係、強い者の論理に合わせざるを得ない国際政治の厳しさは改めて繰り返すまでもない。しかし、事件が中国ビジネスなどに与える悪影響ばかりを心配することは、台湾人の受け止め方に関係なく、非常に悲しいことだ。少女の謝罪映像を見てそう感じた。
民進党の圧勝をめぐって、中台関係の変化や北東アジア情勢を論じるのもよい。しかし、少女が感じた戸惑い、それを見た台湾人の張り裂けるような思いについても一度は考えてみる必要があるのではないかと思う。