デヴィッド・ボウイが69歳で死去してから1週間が経った。晩年の一時期を除き、3年と置かずに新作を発表し続けたスターの変遷を、テクノロジーと洋楽に詳しいyomoyomoが綴る。
Words: yomoyomo
在りし日のデヴィッド・ボウイ。ロンドンのクラッパム・コモンのカフェにて、1967年撮影 Photo: Pictorial Press / AFLO
ロックスターとしてのデヴィッド・ボウイを考える上で、卓越したファッションを含むヴィジュアル面を抜きにして、彼を彼たらしめたのは何か。それは、代表曲「チェンジス」を引き合いに出すまでもなく、時代を先取りするように音楽的に“変化”し続け、そして彼にとっての新しい音楽との化学的反応を焼きつけた作品の多くが、未だ古びることなく普遍的な価値を持っているという意味でオリジナルな表現者だった、ということに尽きるだろう。
ボウイのキャリアを浮上させたのは、スタンリー・キューブリックの映画『2001年宇宙の旅』にインスパイアされた「スペイス・オディティ」のヒットであるが、その評価を決定的なものにしたのは、1970年代に入ってからのグラムロック期、特に宇宙からやってきた架空のロックスターの隆盛と凋落を描いたコンセプトアルバム『ジギー・スターダスト』の成功であった。
しかし、けばけばしい化粧に彩られたグラムロックのスターとしての絶頂期に、映画『ジギー・スターダスト・ザ・モーション・ピクチャー』にも収められた1973年のハマースミス・オデオンのライブにおいて、彼はその地位をあっさりと捨ててしまう。
その後、彼はアメリカに渡り、ソウルやファンクミュージックに接近したかと思うと、ヨーロッパに帰還し、ベルリンにおいてエレクトロ色が濃いプログレッシブで実験的な傑作を作り上げる。