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日韓関係の大きな障害 慰安婦問題の経緯
12月28日 16時44分

日韓関係の大きな障害 慰安婦問題の経緯
慰安婦問題は、元慰安婦の女性が日本政府に対する裁判を起こしたことをきっかけに政治や外交問題に発展し、日韓両国の関係改善の大きな障害となってきました。これまでの経緯です。
今回の日韓の外相会談で話し合われた「慰安婦」は、1930年代から1945年にかけて、当時の日本の占領地などの施設に集められ、兵士たちの性の相手をさせられた女性たちのことです。

慰安婦問題に対する関心が高まったのは、1991年に、元慰安婦の韓国人女性が日本政府に謝罪と補償を求めて訴訟を起こしたことがきっかけでした。

日韓両政府は、先の大戦を巡る賠償や請求権の問題について、1965年の国交正常化の際に結んだ協定で、日本側が韓国側に経済協力などを行うことで「完全かつ最終的」に解決することを確認していました。このため、政府は、当初から慰安婦問題について「法的には解決済み」と主張しましたが、人道的な見地から、1993年に政府の謝罪と反省を示した河野官房長官談話を発表。この中で、慰安所の設置に軍が関与していたことを認め、慰安婦の募集についても「意思に反して集められた事例が数多くあった」などとして、謝罪と反省を表明しています。

そして、1995年には当時の村山内閣が、財団法人「アジア女性基金」を設立し、一部の元慰安婦に対し、総理大臣の「おわびの手紙」とともに「償い金」などを支給しました。これに対し、韓国国内では、国による賠償ではないことに反発が出て、受給したのは61人にとどまりました。基金は2007年に解散しましたが、その後も「フォローアップ事業」として、医療や福祉分野での支援事業が続いています。

こうしたなか、2007年に当時の第1次安倍内閣が慰安婦の募集を巡って軍などによるいわゆる強制連行を直接示す資料はなかったとする見解を公表しました。

一方、韓国国内では「日本政府は法的責任を認めていない」という反発が根強く、2011年に、韓国の憲法裁判所が「韓国政府が、日本政府と交渉しないのは違憲だ」という判断を示しました。さらに、韓国の市民団体がソウルの日本大使館前に慰安婦問題を象徴する銅像を設置するなど、日本政府に対する反発が広がりました。これを受けて、その年の12月に行われた日韓首脳会談で、イ・ミョンバク(李明博)大統領は野田総理大臣に対し、慰安婦問題を政治決断で優先的に解決するよう強く求めました。

2013年に就任したパク・クネ(朴槿恵)大統領も慰安婦問題の解決を求め、安倍総理大臣との首脳会談の開催について、日本側の歩み寄りを事実上の前提条件に掲げ、隣国でありながら3年半も首脳会談が行われない異例の事態となりました。

そして、日韓国交正常化50年の節目となったことし。11月に、安倍総理大臣とパク大統領との初めての首脳会談が実現し、両首脳は、慰安婦問題の早期妥結を目指して協議を加速することで一致しました。政府内には、国内世論によって、これまでたびたび対応を変えてきた韓国側への不信感は依然根強いものがありましたが、今月に入って、産経新聞の元ソウル支局長の裁判で無罪が確定したことなどを受けて、「早期妥結に向けた韓国政府の決意の表れではないか」という見方が広がりました。そして、安倍総理大臣は、慰安婦問題について韓国側と最終的な妥結を目指す方針を決め、岸田外務大臣に韓国訪問を指示しました。

慰安婦問題を巡っては、アメリカやヨーロッパの議会で日本政府の謝罪を求める決議が採択されるなど、日韓の両国だけでなく、ほかの国や地域でも議論が続いています。

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