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2015年12月26日

 記事のカテゴリー : リポート笠間掲載コンテンツ, 学界時評

●中古文学会秋季大会シンポジウム「室町戦国期の『源氏物語』―本の流通・注の伝播―」報告○新美哲彦(早稲田大学)【2015.10.24・於県立広島大学】

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しばらく実験的に、各学会大会等で開催されたシンポジウムのレポートを掲載していきます。
ここに掲載されたテキストは、小社PR誌『リポート笠間』の最新号に再掲載いたします。

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中古文学会秋季大会
シンポジウム
「室町戦国期の『源氏物語』―本の流通・注の伝播―」報告

○新美哲彦(早稲田大学)

 日にち 二〇一五年一〇月二四日(土)
[講演]
秋山伸隆(県立広島大学)
[パネリスト]
小川陽子(松江工業高等専門学校)
川崎佐知子(立命館大学)
佐々木孝浩(慶應義塾大学附属研究所斯道文庫)
[コーディネーター]
新美哲彦(早稲田大学)

学会公式サイト
http://chukobungakukai.org/taikai.html


 二〇一五年度中古文学会秋季大会において開催されたシンポジウム「室町戦国期の『源氏物語』―本の流通・注の伝播―」についての報告を行う。

 まずは、登壇者の方々、会場校のみなさま、事務局のみなさま、当日、的確な質問をお寄せ下さった方々、そのほか、このシンポジウムに関わったみなさまに深く感謝したい。細密な講演・報告や充実した質疑に、コーディネーターとして間近に接することができ、至福の時を過ごすことができた。

 はじめにシンポジウム趣旨を掲げる。

 シンポジウム趣旨
「『源氏物語』を含めた平安時代の「古典」は、成立と同時に「古典」となり、いきなり現代の我々の手に届いたわけではない。『源氏物語』成立から現代まで千年の時が流れているわけで、その間、それぞれの時代の人々が、その作品の価値を認め、書写し、校訂し、保存し、補修し、注釈を施し、周辺文化を形作るという具体的な営為を継続してきたからこそ、現代の我々が、その作品を手に取り、わかりやすく読むことができるわけである。そしてその作品の価値には、内容的な価値以外にも、政治的な価値、美術的な価値、文化的な価値など、さまざまな価値が含まれる。
 いずれの時代においても、さまざまな人のさまざまな意図によって『源氏物語』およびその周辺文化は変容・享受されているが、その中でも室町戦国期は、特にその知識(情報)の拡がりが見られた時期である。
 今回対象とする、室町から戦国、さらには近世初期にかけての時代は動乱の時代であった。地方の大名や有力武将は文化を欲し、『源氏物語』や『古今和歌集』などの古典やその周辺文化の吸収に励んだ。公家は、注釈書や写本を作成し、古典やその周辺文化を維持・深化させた。そして地方と都を取り持つ役割を担った連歌師は、古典やその周辺文化を地方へと拡散させた。
 本シンポジウムでは、室町戦国期における『源氏物語』の写本の流通と注の伝播が、誰によってどのように行われてきたかの具体相を見ていく。当時の人々の具体的な営為を知り、内容以外の価値を視野に入れることで、この時期の『源氏物語』のさまざまな側面が見えてこよう。」

 登壇者には、作品内容以外の面からも『源氏物語』などの古典作品へアプローチされており、室町戦国期に造詣の深い方々にお願いした。

 まずは、秋山伸隆氏に、「戦国大名毛利氏と『源氏物語』」と題して講演していただいた。
 秋山伸隆氏は、大島本『源氏物語』が、従来説通り、大内氏旧蔵であるとするならば、どのように吉見正頼が入手したか、という問題設定をされた。
 そして、まず、十九帖に押されている「宮河」印の「宮河」が、陶晴賢の家臣宮川甲斐守(房長)に比定される説に関して、宮川甲斐守の事蹟を、「残されたわずかな史料から見る限り、武人としての印象が強く、奉行人・右筆のような職務に就いていた形跡は全く見えない。彼には大島本『源氏物語』を入手したいという「動機」は、認められないように思われる」と結論づけた。
 次いで、吉見正頼の入手経路について、吉見正頼は、大内氏旧蔵の「日本国王之印」を接収、覚書を添えて毛利元就に献上しているが、大内氏滅亡の際に、山口に進入した吉見正頼が、「日本国王之印」同様、大内氏の館から大島本『源氏物語』を接収したのではないか、と推定した。
 秋山氏が講演の終わりに述べられた「日本史(研究者)と日本文学(研究者)の隙間は、「大きく」もなるし、「小さく」もできる」という言葉は、「文系」全般が縮小傾向にある現在こそ、心に留めておかなければならない。

 次に、小川陽子氏に、「『岷江入楚』と先行注釈」と題して提言していただいた。
①「『岷江入楚』と先行注釈」趣旨
「慶長三年の序跋を持つ『岷江入楚』は、その序に「古来の註釈を一覧のためにしるしあつむ」とあるとおり諸注集成を企てたものであり、室町戦国期の源氏学を集大成するもののひとつといえる。本報告では、京都大学附属図書館中院文庫蔵本における表記のあり方を通して通勝の先行注釈に対する態度を明らかにした上で、『岷江入楚』後半の注記の減少について検討し、慶長三年にこの注釈書が仕上げられたことの意味を考えてみたい。」
 続いて、川崎佐知子氏に、「連歌師紹巴と『源氏物語』」と題して提言していただいた。

②「連歌師紹巴と『源氏物語』」趣旨
「現存する『源氏物語』写本のうちに、室町戦国期を経た室町末期から近世初期にかけての転写本が占める割合は大きい。しかも、その書写には、連歌師が関与している場合が多い。本報告は、室町末期における地下の権威者、連歌師紹巴を取り上げ、『源氏物語』書写に関する功績とその影響の様相を、明治大学図書館・北野天満宮・春日大社に伝わる資料をもとに整理し、室町戦国期の産物としての『源氏物語』享受の一端を提示するものである。」
 最後に、佐々木孝浩氏に、「室町・戦国期写本としての「大島本源氏物語」」と題して提言していただいた。

③「室町・戦国期写本としての「大島本源氏物語」」趣旨
「「大島本源氏物語」の「若紫」「宿木」両冊に存する俊成を模したとされる筆跡は、個性的で識別しやすく、少なくとも五三冊中の一五冊に見出すことができる。その内容は本文、補訂、引き歌や注記の書き入れなど様々で、「大島本」書写の監督的な立場にあった逍遥院流に属する者の手と考えられる。この事実とその様相から、「大島本」が傍注本として仕立てられた、室町戦国期的な性格の濃い伝本であることを明らかにしたい。」

 ディスカッションでは、まず、大島本『源氏物語』が大内氏旧蔵か否かについての質問が上がった。
 大島本『源氏物語』は、関屋巻末奥書に「文明十三年九月十八日依大内左京兆所望染紫毫者也 権中納言雅康」とあることで、大内政弘旧蔵、飛鳥井雅康書写とされてきた。しかし、この奥書は本奥書であり、大島本関屋巻は、大内政弘旧蔵本の転写本である。さらに、飛鳥井雅康の奥書は、関屋一巻にかかるものであって、『源氏物語』全巻にかかるものではない。つまり、大島本『源氏物語』は大内氏と直接関わる根拠を有さない。
 ただし、大内氏の家臣であった吉見正頼が所持していたこと、大内氏旧蔵河内本の奥書が転写されていることなどから、大内文化圏で大島本『源氏物語』が形成されていったことは確かである。
 以上の事柄が壇上で確認された。

 その後の質疑も多岐にわたり、『岷江入楚』後半の注記減少について、南都における室町後期の学問の交流について、筆跡鑑定の客観的な基準について、都周辺の注釈書と地方の注釈書の差異について、『古今和歌集』や『伊勢物語』との関わりについて、等々、活発な討論が繰り広げられた。

 文学作品の研究には、作品に何が書かれているかについての研究、作品がどのように書かれているかについての研究以外に、作品が社会とどのように関わるかについての研究がある。
 今回の報告はすべて、作品が社会とどのように関わるかについての研究であった。これら、一見地味な研究によって、大島本『源氏物語』の形成過程や流通、中院通勝の諸注集成に対する姿勢、連歌師紹巴や南都における『源氏物語』書写活動など、さまざまな事柄の「発見」がなされる。
 このような研究の継続によって、現在から見た過去の文化の重層性・多様性は、日々更新されていく。これはつまり現在の文化の重層性・多様性も、日々更新・蓄積されていくということであり、このような研究が停滞・消失してしまえば、文化の重層性・多様性も更新・維持できなくなるということでもある。
 文化の重層性・多様性の維持・更新は、また、われわれの視点の重層性・多様性の確保にもつながる。
 近年、学問の世界でも「実学」以外の切り捨てが甚だしいが、「役に立つ」ことの定義は難しい(早稲田ウィークリー「えび茶ゾーン」第950回 http://www.wasedaweekly.jp/detail.php?item=1477)。

 文化の重層性・多様性の維持・更新、われわれの視点の重層性・多様性の確保が、いかに「役に立つ」か、それらが失われたならばどのような社会になるのか、を、われわれ「文系」の研究者は、専門分野の垣根を越え、想像し、発信しなければいけない時代となっているのだろう。
 シンポジウムの報告を書きながら、そんなことを考えた。