浮気をしない夫婦はわずか数%
「恋愛学」とは人間の恋愛を科学的に解明しようとする学問である。その手法は学際的で、生物学、経済学、心理学、政治学等から研究が可能である。私は政治学者であるので、わが国の少子化問題の原因は若者の恋愛にあると考えて、政治がどのように解決できるかに重点を置いて研究している。
さて、このような恋愛学の見地から、既婚者のみなさんの「結婚」を分析することも可能である。片想いをし、告白し、次第に相思相愛になり、交際後にプロポーズして、永遠の愛を誓って結婚するというのが一般的であるが、未婚女性がいうような「運命の人」や「幸せな結婚」というのは、比喩なのであって、現実には「運命の人」などいるわけもなく、「幸せな結婚」というのも極端に難しい。
そもそも、理論的には、現代社会の一夫一婦制のもとでは、結婚というのはいずれ破綻せざるをえないと結論できるのである。もし、結婚生活が充分満足で、10年以上経っても奥さん(なり旦那さんなり)を愛していると公言できるとしたら、それは奇跡的に素敵なことである。
単純計算しても、100組の夫婦のうち、離婚する夫婦は約35%なので65組しか残らない。セックスレスの夫婦約40%、夫の浮気率約75%、妻の浮気率約20%といった各種データを総合すると、配偶者のことを愛し、両者とも一度も浮気(風俗を含む)をしない夫婦は、ほんの数組になってしまうことであろう。むしろ、夫婦関係は多かれ少なかれ壊れるものという前提で結婚という社会制度を見たほうが、しっくりくるようである。
それでは、当然、「なぜ、結婚はうまくいかないのか?」となるが、ここにおいては、主に5つの理由から解説することとしたい。
(1)恋愛感情が長続きしないから
そもそも、ドキドキ感、トキメキ感を伴う恋愛感情は、身体にとって大きな負担である。心拍数が異常に上がり、あたかもマラソンを走っているかのような行為が恋愛であるが、残念ながら、マラソンを一生走れないのと同じように一生の間ずっと配偶者を愛することはできない。私たちの身体は、健康になろうと作用しているため、身体によくないドキドキ感やトキメキ感を減らそうとしてしまうので、最大2年程度を限度として消滅してしまう運命にある。ただし、短命な恋愛感情は「恋愛バブル」を生み出すために、相手を必要以上に高値と値踏みし「この恋愛は一生続くのではないか」と錯覚してしまうことから、一生保有したいという衝動に駆られてプロポーズすることになる。「恋愛して結婚する」という至極まっとうなプロセスはいずれ破綻し、「恋愛して結婚する」のうち「恋愛」がデリートされて「結婚している」状態だけが残ることとなる。
この問題は、高齢化と深い関係がある。わが国の平均初婚年齢は男が31歳、女が29歳、平均寿命は男が約80歳、女が約86歳であるが、平均値で考えると、結婚後50年間は結婚生活を継続しなければならないという、人間がいまだかつて到達したことのない長期の結婚生活となっているのである。ほんの一昔前までは日本人の平均寿命は短く、大正時代では42歳前後、江戸時代ではせいぜい30代で、どの時代でも結婚生活は20年も続けばよかったのである。しかし、現在はその2.5倍。結婚生活の継続は難しくなったといえるであろう。
(2)結婚を生まれて初めてしたから
みなさんはゴルフやテニスや麻雀といったスポーツやゲームをしたことがあるはず。おそらく、最初は失敗の連続。通常は、練習して、熟達して、それで初めて満足のいくものになるのだから当然である。
最初の結婚は、人生にたった1回の大勝負である。なにしろ、男の結婚後の生涯年収をかりに3億円とすれば、専業主婦になる妻にその半分の1.5億円を分配するということ、つまり1.5億円の買い物をするのと同じである。逆に、女から見れば、生涯年収2億円の男と結婚するのか、3億円の男と結婚するのかという問題で、もし3億円の男と結婚するならば、しっかり3億円を稼いでくれるかどうかを見分けるのが重要である。男女ともに、人生最大の大勝負を行うのが結婚である。
ところが、現実にはゴルフと同じように、多少の練習(恋愛)をしたとしても、いきなりナイスショットすることは難しい。通常は本番のティーショットは、ダフるか、ラフに入るか、OB(離婚)になるかといったところである。もしまっすぐにボールが飛んでフェアウェーに落ちたとしても、理論的には、たんなる幸運だったというだけの話である。
(3)男女の資産価値の変動があるから
恋愛や結婚とは、自分の商品価値をもとにした物々交換であることは前述したとおりである。自分という商品を相手に売って、相手の商品を買うというのが基本で、相手の五感的魅力や社会的条件を考慮に入れて相対評価するのが恋愛であり結婚である。
たとえば、自分の商品価値が100万円ならば、その価格に見合う相手を探そうとする。できれば手持ち100万円で200万円の相手を獲得しようとするが、200万円の相手は100万円の人に安売りするわけもなく、あくまでも着地点は100万円の価値しかない人は、同じ価格レンジの相手である。これを「恋愛均衡説」と呼んでいる。
それでは、男と女は何を物々交換するのか? 男が会社に勤め、女が専業主婦になるケースで考えると、結婚とは「女が男の可能性を買い、男が女の旬を買う」行為というふうに考えられる。男の年収のピークは50歳前後であるために、女は男の将来性を「青田買い」していることになる。他方、男にとっての女の魅力は、見かけ等が生け花と同じように時間とともに劣化するので、結婚した時点が女の最高の瞬間であり、「男は女の最高を買う」ことになる。
したがって、結婚当初は、相対的価値の上位にある女が強気、男が弱気。大多数の家庭では、上位の妻がハネムーンの間に人事(子育て)と財政(夫の収入を銀行口座に入れて、そこから独断で資源配分し、財政をコントロールすること)を一手に握ってワンマン社長になるわけである。
しかしながら、結婚後しばらくすると、夫婦の価格の逆転が生じる。男の年収は基本的に年齢とともに漸増してゆき、年収の増加に比例して徐々に強気になってゆく。他方、女の視覚的な魅力は漸減してゆくのは不可避であるし、独占的に行うセックスや視覚的魅力の満足度は限界効用逓減の法則にしたがい、徐々に減少してゆく。青田買いの田んぼもそのうち金色に輝き、輝く夫は妻の提供するサービスに不満を覚えて((5)で後述)、次第にポケットマネーや隠し口座を開設することで不倫が可能となり、性欲のはけ口を見つけることで埋め合わせをするのであるが、妻側も夫への無関心と子どもへの愛情という形に変容してゆくことになる(なお、この夫の優位性は「ぬれ落ち葉」化する定年まで続くが、その後に再逆転があり、定年後の夫の凋落は語るも無残なものがあるので、ここでは触れないことにする)。
掃除・炊事・洗濯が手抜きされる本当の理由
(4)夫が嗅覚的に劣化するから
男には劣化がないのかというと、当然たくさんあって、その中でも最も資産下落するものは、解雇といった劇的なものを除けば、嗅覚的劣化である。近年「スメハラ」という造語ができたように、中年以上の男のにおいの劣化は会社のみならず家庭内でも問題である。女子社員の「うちの課長、どうしてあんなにクサイの?」といった男にも、妻が存在しているわけで、実際には悪臭の最大の被害者は妻なのである。
悪臭の原因は、加齢臭と呼ばれているノネナールのほかに、にんにくを食したり、喫煙したり、強い香水をつけたり、工業用アルコールがたっぷりと入った安酒を飲んだり、歯のクリーニングを行わなかったり(1年間で歯のクリーニング率は40代で37%、50代で43%のみ)することで生じている。夫婦の良好な関係を維持するためには、人工的なにおいはできる限り排除することが賢明である。歯のクリーニングをしない夫が、仕事の帰りに同僚と居酒屋に行き、喫煙席に座り煙草を吸い、あるいは受動喫煙で洋服がニコチンくさくなり、安酒をたくさん飲み、にんにくたっぷりの料理を食して、酔っぱらって帰宅した後の妻の苦痛たるや、想像を絶するものがある。
(5)家事の独占は腐敗を招くから
最後に妻側の問題である。結婚生活を継続させる最大の魅力は、相互補完だと私は考えている。「いろいろあっても、この人がいないと結婚生活が成り立たない」という状態が共有できていれば、恋愛感情は冷めても楽しく一緒にいられるものである。しかし、これが実に難しい。
原因は市場経済メカニズムが家庭内労働では機能していないからである。専業主婦の場合、掃除・炊事・洗濯は、妻の独占的仕事である。独占状態にあるので、市場経済メカニズムは働かないし、比較評価ができないために腐敗の温床にもなる可能性が高い。ビジネスでは独占禁止法があるくらい、市場の独占は好ましくない。独占状態になると価格の上昇、品質の下落は必然である。家庭内労働の独占状態では、夫が不満をいうのも恐る恐るで、そもそも客観的評価を下そうとしても、品質が徐々に低下しているので気がつかない場合も多い。「最近、手抜きじゃないか」と自覚症状が出るころには、相当の重症になっているものである。たとえ手抜きがあったとしても、独禁法による罰則規定はなく「そんなに文句をいうんだったら自分でやってよ」の一言で終わってしまうので、妻がいったん手抜きの味を覚えると一生継続してしまう可能性が高い。

夫婦関係の推移を恋愛感情から考察すると、図のようになる。出会って恋愛感情が芽生えると(A点)、その後セックスすることでピークを迎えるが(B点)、徐々に恋愛感情は冷めてゆく。結婚するにふさわしい相手だとC点に到着する前にプロポーズして結婚することになるが、恋愛感情の下降トレンドは不可避である。夫婦生活が長くなると、いずれは愛情ラインを上下して「空気のような存在」になってゆく。夫婦によっては、愛情がなくなるばかりか一緒にいたくない状態にもなるが(D点)、離婚には多大なコスト(財産の折半、子どもの親権問題、養育費の支払い等)が生じることから、好きではないけれど離婚はしないという場合もある。E点を超えて離婚する夫婦がいるが、それが全婚姻の約3分の1ということである。したがって、離婚でもしない限り、結婚生活とは我慢の連続である。もし良好な夫婦関係を築いているならば、奇跡的にすばらしい夫婦である自覚を持って、より一層配偶者を大切にしてもらいたい。
他方、もしD~E点圏内に位置するのであれば、まさしく結婚生活とは「離婚か、我慢か」の選択で日々迷うことになる。このような読者には、手遅れになる前に、幸せになるための離婚(「離幸」と呼ぶ)を真剣に考えてみることをお勧めする。[早稲田大学国際教養学部教授 森川友義=文 平良 徹=図版作成]