コロンビア観光名物
コカイン密造講習会 其の弐
コカイン農園の番犬カティ(筆者撮影)
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コカイン密造講習会レポート第2回。講師、会場こそ違えど、内容は前回と全く同じ。しかし、製造法に微妙な違いがある。微妙な違いは、ブツの仕上がりにいかなる影響を与えるのか……そんなことは、釈放された高部あいにしかわからない。
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「このくらい長いラインと一緒に写真を撮れるよ」。コロビア版ウォルター・ホワイトを思わせる男は、30センチ幅くらいに両手を広げた。噂のスペシャル・ツアーに関して質問している最中だった。「俺たちの顔を写さなければ構わない」
面白いツアーを紹介してもらうべく、ホステルのオーナーに話しかけた。初めのうちは、10ドルで参加できる半日乗馬体験、15ドルで行けるジープでのドライブ、といった一般的なツアーを紹介された。チェックインのときに見かけた宿帳の「スペシャル・ツアー」という言葉が気になって、彼に尋ねると、訝しまれた。「お前、まさか警察か?」という問いに対して、キッパリ否定すると、彼はこう答えた。「昔、パブロ・エスコバルのところで働いていたんだ。薬剤師で」
ツアーの参加費75ドルを支払った。コカイン密造体験ツアーの最後には、完成した3グラムのコカインを入手できるそうだ。
『ブレイキング・バッド(Breaking Bad)』の主人公ウォルター・ホワイト(Walter White)と同じように、このオーナーにも妻子がいて、コロンビア南部の静かな街で家族と暮らしている。そしてドラマと同じく、家族は夫の仕事について何も知らない。
「スペシャル・ツアー」 を説明するとき、彼は唇に指をあて、声をひそめた。
「タクシーの運転手には何も話すな。俺の妻に会っても、『コロンビアのコーヒーについて学びに来た』とだけ伝えろ」
コロンビア版ウォルター・ホワイトは、組織犯罪の親玉という柄でもないが、「スペシャル・ツアー」の話は、彼のホステルから150キロ離れたポパヤンのホステルで仕入れた。ここまで来るのに、道路と呼ぶにはお粗末すぎる泥道を、車で揺られて6時間。車で10時間かかる、バックパッカー宿が軒を連ねる北部のサレントからも、コカイン密造・ツアー目当てにコーク・ヘッドが集まってくる。どうやら、彼のビジネスは口コミで成り立っているようだ。残念ながら、ここがどこか、それは明かせない…
偽ウォルターは、表向きには、自宅の側でホステルを運営し、他の都市へ向かう途中に立ち寄った観光客向けに、安っぽい枕とボロボロのマットレスを一晩7ドルで提供している。
「お湯は午後6時から午後9時まで」と部屋の洗面所には注意書きがあった。チェックインすると、電気は点いていなかった。夜9時には彼の家族も床に就いて、建物への出入りができない状況だった。
「夜中にシャワーが浴びたくなったらどうすればいい?」。同じ部屋に泊まっていた女の子がウォルターに尋ねた。「お湯は出してもらえる?」
ウォルターは彼女にスペイン語でこう答えた。「不可能なことはない。やろうと思えば何でもできる」
それが彼のモットーだった。チェックインしたとき、受付のテーブルで目にした年季の入った宿帳にも、同じことが書かれていた。宿泊者名簿には、50を超える国々から訪れた旅行者の名前が並んでいた。スペシャル・ツアーの欄には、英語の名前が多かった。
繰り返すが、偽(リアル!?)ウォルターは闇で罪を犯しているような人物には見えない。
「新しい世界を知りたいのなら、スペシャル・ツアーはヤバい」。イギリスから来た女の子はそう書き残していた。
コロンビアでコカインを入手するのは、そう難しいことではないし、値段も手頃だ。近年、コロンビア政府は、世界に知れ渡ってしまった悪名を払拭しようと、麻薬の取り締まりを強化している。警察は、カルタヘナやメデジンでうろつく怪しげな旅行者に目を光らせ、特殊部隊も、迫撃砲やグレネード・ランチャーをジャングルに打ち込み、麻薬密輸業者たちを捕らえようとしている。飛行機は殺コカ剤を散布し、海軍もトン単位でコカインを押収している。
それでも、コロンビアでコカインを手にいれるのは簡単だ。国内のコカイン流通量は、過去数年間、変わっていない。
国連の報告によると、大規模なコカ畑は、24ヶ所から14ヶ所に減少したが、新たに6つの畑ができた。コロンビア全体で、コカの生産量は変わっていない。
コロンビアのクラブで煙草を吸うような人間は大抵コカインもやる。グラム10ドルでは高い。タクシー運転手も、バーで拙い英語を喋る酔っぱらいも、もっと安いコカインを勧めてくるはずだ。
コロンビア国内でコカインを売っても、大した儲けにならない。だから、コロンビアの偽ウォルターは、通りに溢れている売人から10000ペソ(約1700円)でコカインを買うよりも、有意義な経験を商売にしている。彼は、コカインの製造法を伝授する。
コカイン製造者と付き合いがあるワケではないため、連中がどんな風体かは知らないが、ウォルターは、どうも見ても、コカイン製造者には見えない。手入れの行き届いた口ひげを生やし、ホステルの名前が入った洒落たウィンドブレーカーを着ている。
さらに外国人の扱いにも慣れていた。簡単なスペイン語を選んでゆっくりと話し、彼らが、夜中に温かいシャワーを浴びたい、とリクエストすれば、給湯器の電源を入れてくれるし、コカインの作り方を見てみたいと注文があれば、ツアーに連れていってくれる。彼は決して慌てることなく、常に前向きだった。忘れていたが、この男はやろうと思えば何でもできるのだ。
ホステルに到着したその日、スペシャル・ツアーに参加したい、と伝えたが、偽ウォルターは天気が良くないことを理由に「明日にしよう」と提案してきた。
天気はそこまで悪くはなかったが、コカイン密造には、細心の注意が必要なのだろう。
偽ウォルターには相棒がいる。ドラマ同様、彼は「ジェシー」ということにしておく。ジェシーは見るからにドラッグ製造者だ。
ボタンダウンのボタンを上から三つ目まで外し、クイックシルバーの帽子からは、収まりきらないボサボサの髪がはみ出ていた。ジェシーはくだけたスペイン語を早口で話し、歯を見せてにんまり笑う癖がある。コカイン製造者として20年働いていたため、彼の右手は変形していた。彼が働いていたのは、コロンビア北部のカリブ海に面した都市、サンタ・マルタだ。過去に麻薬カルテルに支配されていた地域で、ニューヨーク・タイムズにはこう表現されている。「街灯が演出する夜の街はロマンスにピッタリ」
ジェシーは、コカイン製造に従事する20人以上の男たちと、キロ単位のコカインを精製していた。彼によると、そのような大きな規模のコカイン・プラントは、今では、山の奥深くにしかないそうだ。
ジェシーは何日も寝ていないような顔をしていた。事実、あまり寝ていなかったらしい。「オマエらがツアーに行きたがってるのは、ウォルターから聞いてたんだけど、めんどくさくて」「昨日の午後、5人組のグループが来たんだ。フランス人の男2人と女2人に、スイス人の女が1人。皆で10グラム密造した。1人がキメ過ぎて、ひと晩中パーティーだった。寝てないんだ」
ツアーに出発する直前、ウォルターは同行しないと知った。顔を合わせたばかりのジェシーと、他のツアー客たちと共に、タクシーに乗り込んだ。
「農園まで」朝の8時、ジェシーは運転手に告げた
コカイン農園は、予想以上に街の近くにあった。牛の放牧場の傍にある泥道を左に曲がり、丘を上って小さな森を抜けると、そこに農園が広がっている。5分もかからなかったはずだ。隣りの農家はコーヒー豆を収穫していた。ジェシーたちは、彼らに口止め料を払っているようだ。ジェシーは、コロンビア豆の木の古い品種である「カトゥーロ」と、腰を曲げずに収穫出来る、背の高い新しい品種「タビ」の違いを熱心に説明してくれた。
彼は、コンクリートの床に置いた、まな板に並べられた6本のコカの枝を指差した。
「これは『小男(pajarito)』」。コカの木でも小さめの種類で、農夫たちは、これをコーヒーの木の間に植える。良い小遣い稼ぎになるうえに、背も低く目立たないので、街から近い低地にある農園では好都合のようだ。「山奥の高地にはもっと大きな木がある。そこじゃ『小男』 は育てない」
コカイン農園の脇には小屋がぽつんと建っていた。コンクリートでできたキッチンには釜戸があり、中で木が燃えているのがわかる。頭上にはカバーの付いたランプが灯されていた。外にあるトイレには仕切りがなく、穴が掘ってあるだけだった。
「誰から始める?」とジェシー。
用意されたコカの葉と硫酸(筆者撮影)
ツアー客の1人が手際よくコカの葉を刻むのを見て、コカイン製造も野菜炒めも似たようなものかもしれない、と思い始めたが、希硫酸が調味料の野菜炒めに、食欲が湧くハズがない。
野菜や鶏肉をサラダボウルに放り込むのと同じように、200回ほど切り刻んだコカの葉、それぞれスプーン1杯分の未加工カリウム、尿素と硫酸を結合剤に振りかけ、かき混ぜる。次に、ジェシーはガソリン缶を持ち上げ、1リットルほど流し込んだ。そうすることで、コカの葉に含まれるアルカロイドの抽出を早められるそうだ。
ジェシーは苦痛に顔をゆがめつつ、湾曲した右手を使ってコカの葉を絞るように混ぜ合わせていった。無理もない。腐食性の成分が混ざった液体に手を浸しているのだ。彼は、役目を終えたコカの葉を両手いっぱいにボウルから掬い出し、証拠を残さないよう離れた場所へ捨てに行った。
「ポリが来たらいつでも逃げれる」とジェシーは言う。
恐らく、ツアー客がどうなろうがお構いなし、といったところだろう。
ジェシーには、無口であどけない顔をした20歳のアシスタントがいた。もう何年もジェシーの側で働いているらしいが、どうみても中学生にしか見えなかった。ツアー客がコカイン製造に奮闘しているあいだ、ジェシーはアシスタントに対し、誰にも尾行されていないか丘の上から確認しろ、何度か指示していた。ジェシーが、カティ、と呼ぶ、コカイン中毒のジャーマン・シェパードも、耳をぴんと立てて辺りを窺っていた。
そういえば、コカイン製造で逮捕されると、コカイン所持(コロンビアでは1グラム以下であれば、コカインの所持は合法)とは比べ物にならない厳罰が待っている。 取材中、という理由で、地元警察が見逃してくれるとは考え難い。この2人は、少なくとも週に3回はツアーを開催しているが、これまで一度も捕まったことはないそうだ。今日が最初の日にならないよう、ひたすら祈った。
準備はほぼ整った。カップの上に布切れを被せ、コカインのを含んだ液体をろ過していく。カップに溜まった液体を1ℓ容量のビニール袋に注ぐと、低密度のガソリンは浮上し、緑がかった粘液が底に沈殿する。ジェシーは、ビニール袋の底に尖った松葉を刺し、底に溜まった液体をカップに戻す。袋に残ったガソリンは茂みに捨てた。
童顔のアシスタントが、コンロに火を入れていた。コンロの上で温まった鉄製のポットの中に、白いチョークのような重炭酸ナトリウムを入れると、たちまちブクブクと泡立ち始めた。その液体を、先のカップに流し込むと、油で揚げたような音がした。それから、その液体を柄の長い鉄製の調理用スプーンにのせ、スプーンをコンロで焙る。スプーンの中の液体は泡を立てて蒸発し、スプーンの縁には緑がかった固形物質が現れてきた。
漂白される前のコカイン
「これがコカインだ」ジェシーはそう言いながらスプーンをツアー客に回した。「写真を撮って、友達に見せてやりな」
HBO製作のドラマ『ザ・ワイヤー』に出てきたラッセル・ストリンガー・ベルとは違い、ジェシーはツアー客たちがメモをとっても全く気にしなかった。
「お前、良い腕してるな。オレもここまで上手くできない」ジェシーはアシスタントを褒めた。
液体が全て蒸発するまで、さらに5分かかった。泥の塊のように見える物質をさらに小さなスプーンに小分けする。見栄えはあまり良くないし、白くもない。
「見てな。タイマーを3分にセットする」
ジェシーのアシスタントが白熱電球をポケットから取り出し、ぎしぎしと音のする木製ベンチの背もたれに足を掛け、ソケットに取り付けた。泥の塊をのせたスプーンを、電球にかざして3分待つと、真っ白なコカインの粉末になった。
まだ朝の9時、コカの葉がコカインの粉末になるまで、1時間足らずだった。
ジェシーのアシスタントが、でき上がったコカインの粉末で数本のラインを引いた。ツアー客たちがそれを愉しむ。コカインを味わったツアー参加者は、だれもがご満悦の表情だった。
ジェシーは最後に宣伝を忘れなかった。「これよりも上質なコカインは、他じゃ手に入らない。友達にも教えてやれ。コロンビアのコーヒー豆が一番だ、って」
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