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スペクトラムしい日々

自閉症スペクトラムの娘 (12歳) と家族、母の日常をゆらゆらと書き綴ろうと思います

生の扉を開ける呪文を唱える

自分のこと
呪文を唱えたら、目の前にあった大きな岩がゴゴゴゴゴゴ……という地響きと共に動き始めた。
岩の向こうに隠れていたものが姿を見せる。

それは私が生きるための源としているもの。

呪文は何と唱えたのだろうか?




自死についての考え方。

同情もせず無情でいたいとも思わない。
許したいわけではないし許さないわけでもない。

ただ認めない。

絶対、ではない。それほど強い意志ではないと思う。
ただほかの誰かが、
「かわいそうに」「気持ちがわかる」「仕方のないこと」と受け入れる姿勢を示したとしても、
私は認めない、まる、なのだ。

確かにやむを得ない事もあるだろう。
自分の意志と言いながらも、突発的に衝動的に起きてしまう事もある。
誰かを苦しめたくてそうしたわけじゃなくても、
私は認めない立場でいたいのだ。

兄2には、私のその考えを伝えてみてはいる。

死んじゃだめだ、そう叫んでいてくれたのはポチだったのかな。
自分で死を選ぶことは、ポチへの裏切りになってしまうから。




ある時のカウンセリングで、私が生まれてからこれまでの出来事を話した時に、
心理士さんはこう言いました。

あなたが体を張って、悪い流れを塞き止めているのだと。

代々から引き継がれてきた忌まわしい慣習に、あなたは堰となって断ち切ろうとした。その慣習から娘の身を全力で守った。

だから自分のこれまでしてきた事は、自分を傷つけはしたかもしれないが、意味あるものだったのかもしれないと思う。




その当時は、何のために自分がそうしているのかもわからないまま、何かに突き動かされるように、水の流れに逆らいながら泳いでいたと思う。
どこかの岸辺に辿り着きたくて。

今思うとその頃の私は、自分が価値のないもののように思えて、それを証明していたようにも取れる。
( ほらね、ほらね、)  と。

もしくは確認するためだったのか?
( 本当にそうなの? 本当に私は価値のない人間なの? )  と。

そしてその答えを探し始める。
( その答えはどこにあるの?  どうすれば見つかるの?
どれくらいの事をすれば、目に見えるようになるの? )

確かに自分に傷をつけながらも、何かを確認する事ができたのではないか。

探し物が見つかったのではないか。

辿り着くべき岸辺に、川の流れから這い上がることができたのではないか。

それは糸口の見つからない未来の話で、結果的には、娘や兄達を守ろうとする姿勢にはなり得たのかもしれないが、それを知る由もなくそうしてきたのだろう。

しかしポチの事を思い出した途端、それまで私の中で鬱々とさせていた自分の人生の出来事が、霞が晴れるようにすうっと軽くなり、大小様々の黒い闇が一瞬で消し去られた感覚があった。


あれらの出来事は、私には取るに足らない事だったよね?  ポチの命に比べたら。


確かに、後にも先にもあれほど強く誰かの命を切望した事はなかった。

ポチの命と同時にたくさんの何かが喪失したんだと思う。私の内側で。

その命を失った時、後にも先にもそれ以上の喪失感は味わえなかったし、その時すでに感じないように封印していたのかもしれない。

そして何事もなかったように生きていたつもりだった。

それが娘の障がいや不登校に、だんだんと追い込まれていき、あの時の空間に閉じ込められてしまったのか。


呪文の言葉は[生きろ ] だったかもしれない。