【コラム】韓国の資本主義、根底に「愛国」

【コラム】韓国の資本主義、根底に「愛国」

 慶尚南道にある城門「宜寧関門」の前を流れる南江には変わった岩がそびえている。水中に三本の脚が延びていることから「鼎岩」と呼ばれる。朝鮮王朝末期にある道士がここを訪れた際、「鼎岩の脚が延びている方向20里以内に朝鮮を代表する富豪が3人出る」という予言を残した。

 果たして宜寧郡正谷面出身のイ・ビョンチョル(1910-87)がサムスングループ、咸安郡郡北面出身の趙洪済(チョ・ホンジェ、1906-84)が暁星グループ、晋州市智水面勝山集落出身の具仁会(ク・インフェ、1907-69)がLGグループをそれぞれ創業した。うち、智水面は風水を知らない門外漢であっても普通の集落ではないことが分かる。智水は「治水」、勝山は「治山」につながり、まさに中国古代の堯舜の時代からリーダーになる人物の基本的な徳目を表している。

 後方にそびえる防禦山は倭寇の侵入を防いだ要衝であり、集落を取り巻き、頭を下げているような形状から「回竜顧祖」の地とされる。ここにある伝統家屋群は全て具姓だと思いきや、具という表札を下げた家は具仁会の生家だけwで、あとは金海許氏の集落だった。古老に話を聞くと、驚きの連続だった。集落の入口にある蓮塘という池の前にある家は朝鮮王朝中期の許ドンリプ将軍が建てたものだった。朝鮮王朝の第17代国王、孝宗が清に報復するために北伐を計画した際、許将軍は李浣(イ・ワン)将軍と共に「関西五虎将」の1人に数えられた。

 その子孫が許駿(ホ・ジュン、1844-1932)とその次男、許万正(ホ・マンジョン、1897-1952)だ。2人は日帝(日本帝国主義)による強制占領期と6・25戦争(朝鮮戦争)の際、ノブレス・オブリージュ(権力や地位には責任が伴うという姿勢)の典型だった。慶尚道の大地主だった許駿は官職を捨て、故郷に戻り、土地200坪ずつを無償で農民に分け与えた。また、独立運動家の安熙済(アン・ヒジェ)が「白山商会」を設立した際には慶州の富豪、崔浚(チェ・ジュン)と共に資金を提供した。

文甲植(ムン・ガプシク)上席記者
前のページ 1 | 2 次のページ
<記事、写真、画像の無断転載を禁じます。 Copyright (c) The Chosun Ilbo & Chosunonline.com>
関連フォト
1 / 1

left

  • 【コラム】韓国の資本主義、根底に「愛国」

right

関連ニュース