“井原マジック”の真実。福岡J1昇格へ指揮官が施した一年間の取り組み

昇格POを制してトロフィーを掲げる福岡の井原正巳監督 [写真]=AMA/Getty Images
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 たった一言で、アビスパ福岡を率いる井原正巳監督は漂い始めた不安を期待感へ変えた。

 京都サンガF.C.、愛媛FCコンサドーレ札幌と開幕3連敗を喫し、最下位に転落した3月下旬のこと。ミーティングの席で、新人監督はこんな言葉を発して選手たちを笑わせている。

「この下はないから」

 焦りを微塵にも感じさせない、泰然自若とした立ち居振る舞い。12年目を迎えたプロ人生でさまざまな監督に師事し、7年ぶりに福岡へ復帰した中村北斗は大きな感銘を受けた。

「監督はやり方を変えなかった。すごいなと思いました。普通だったらいろいろと動いて、さらに悪くなっていくのに、全然ビビっていない。やっぱり経験してきたことが違うんですね。僕たちも逆にリラックスできましたし、監督の話を聞くことでメンタルが成長していった部分もあるのかな」

 開幕前のキャンプから、井原監督は4バックと3バックを「相手チームや自分たちの状況に応じて使い分けていく」と宣言していた。京都戦と愛媛戦は4バックで臨んだが、攻撃が機能する前に失点を喫してしまった。ここで指揮官はつなぐサッカーを一時的に封印し、3バックで昨年から続く失点の連鎖を断ち切る決断を下す。システム変更の意図を、当時の井原監督はこう語っている。

「守備が安定しなければ攻撃も機能しない。システムを変えながらも勝つことで、チーム力を上げることが必要だった」

 キャンプから2つのシステムを準備してきたことも奏功する。中村北が「やり方を変えなかった」と振り返ったように、選手間でも混乱は生じなかった。結果的に敗れはしたものの、札幌戦では粘り強い守備が顔をのぞかせてもいた。後半終了間際に献上した決勝点も、単純なミスが絡んだものだった。

 現役時代から、井原監督が風呂敷を広げるのを見聞きしたことがない。3連敗後に発した「この下はないから」という言葉には、3バックを継続することで悪い流れを変えられるという確信が込められていた。

 実際、第4節から潮目が変わる。チーム記録を更新する11試合連続無敗。この間に挙げた8つの白星のうち、ロアッソ熊本戦での初勝利を含めて、1-0で逃げ切った試合が実に6度を数えた。

「守備をしない選手は使わない」

 就任直後から、言葉や日々の指導を通じて目指すサッカーの「一丁目一番地」を伝えてきた。福岡一筋で11年目を迎えたキャプテンの城後寿は、指揮官の意図をこう受け止めていた。

「監督はサボる選手が嫌いなんだと思います。当たり前のことをしっかりとできないと、『プロとしてどうなのか』と練習の段階から常に細かく求められてきた。昨シーズンまでとは監督もやり方も違いますし、プレーのところを比べるのはちょっと難しいけど、結果を振り返ってみればそういう(当たり前のことをしない)ところも多少はあったのかなと」

 日本代表のキャプテンまで務めた現役時代から、真面目で謙虚な性格をプレーにも反映させてきた。しかし、福岡の地では幾度となく身にまとう雰囲気を豹変させていると亀川諒史は明かす。

「いつもは穏やかなので、スイッチが入った時は僕たちも『おっ!』となることがありました。これくらいでOKだろうという感じで守って、それで失点したら意味がないと一年間ずっと言われてきたので」

 守備の改善に特効薬なし。目の前のわずか一歩を妥協する、あるいはおざなりにする――そんなしぐさをちょっとでも見せた瞬間に、井原監督の怒声が選手たちの心に突き刺さる。

 リーグで4番目に多かった昨年の60失点が、今年は37失点にまで圧縮された。福岡が変わっていった軌跡を、亀川は笑顔で振り返る。

「ミーティングでも本当に細かく、何度も何度も繰り返して言われてきた。一つひとつの言葉に説得力があって、井原監督だから信じようという部分がすごくある」

 現役時代に残した実績がカリスマ性を生み出し、日々の練習を充実させる相乗効果をもたらす。もっとも、現役を退いたのは10年以上も前。ゼロからのスタートを、井原監督は自らに課していた。

「選手としての実績は指導者としては関係ない。ただ、そういう実績があるから『井原は監督としてもしっかりとした成績を残す』という見方をされると思うし、そのプレッシャーがだんだん強くなってきたのかなと。自分としてはそのプレッシャーを逆にパワーに変えたというか、プレッシャーがあるからいい仕事ができると思うようにしてきました」

 プレーオフ進出圏内につけたままで迎えた終盤戦。前半戦とは明らかに異なる戦いぶりを見せるほど、福岡は変貌を遂げていた。

「1-0で守り勝っていくうちに、自信がついたんだと思います。勝っているのに引いて守ることをせず、まるで負けているかのようにみんな前へ出て、2点目、3点目を取りにいくようになった」

 笑顔でこう振り返る中村北に、城後も続いた。

「監督のやりたいことが浸透すると、今度はプラスアルファのことを選手たちがやろうとしてきた。夏場にウェリントンが加入したこともあって、ただ単につなぐだけでなく、最終ラインからウェリントンを狙ったロングボールを増やして相手が嫌がる状況を作るとか、シンプルにサイドからクロスを入れるなど、みんなで考えながらプレーするようになりました」

 微に入り細に徹した井原監督のオーソドックスな指導が、堅守という確固たるベースを築いた。思いどおりにいかない状況に陥った時に立ち戻れる場所ができた。おのずと芽生えた安心感が、攻撃でも個々のストロングポイントを前面に押し出していくチャレンジ精神を生み出す。

 2位でJ1へ自動昇格したジュビロ磐田と勝ち点82で並んだ最終節まで、約半年前に樹立したチーム記録を再び更新する12試合連続無敗を達成。一つの引き分けを挟んで11もの白星を並べ、そのうち3ゴール以上をマークした試合が5度を数えた。

 実は無類の強さが発揮され始める2節前の8月15日に、井原監督はJ1昇格を確信している。2-0で磐田に快勝した90分は、初めて4バックで白星を手にした一戦でもあったからだ。

 J2を戦いながら、指揮官は4バックの精度を高めてきた。確信うんぬんは誰にも口外しなかったが、2つのシステムを使い分けられるメドが立ったことで、胸突き八丁の終盤戦を乗り切れる手応えを得たのだろう。

 迎えた12月6日。セレッソ大阪にリードを許し、このままなら敗退が決まるJ1昇格プレーオフ決勝。福岡は残り3分で同点に追いつく劇的な展開で引き分け、5シーズンぶりのJ1昇格を決めた。

 3-4-2-1でスタートさせたシステムを失点直後に2トップに変更。徐々に圧力を増し、84分からは4バックにスイッチ。さらに攻撃に枚数を割いた。自らのボール奪取を起点に仕掛けたカウンターから豪快な同点弾を叩き込んだのは、ワイドから右サイドバックにポジションを変えていた中村北。同じく左ワイドから左サイドバックに移り、トップスピードで攻め上がってアシストを決めた亀川は「相手よりも人数をかけようと、いつも北斗さんと話してきた」と胸を張った。

 決勝の相手がC大阪に決まってから、井原監督はビハインドを背負った状況を想定。紅白戦でレギュラー組に4バックで戦わせるなど、周到な準備を積んできた。

「(準備をしてきたから)慌てないで済んだし、選手たちも信じてプレーしてくれた。(選手時代と監督とでは)プレッシャーの度合いが違いましたが、それでもワールドカップ出場といったものに比べればまだまだだと思って自分はやってきました」

 偽らざる本音だった。自分自身を信じながら、心の中で常に見えない敵とも戦ってきた日々が脳裏を駆け巡っていたのか。試合後の井原監督は、何度も頬を伝う涙をぬぐっていた。

 4年連続で14位以下に低迷していた福岡が成就させた悲願。巷に飛び交う“井原マジック”なるものが存在するとすれば、そのタネは意外性に富んだ采配や大胆な選手起用などではない。選手として経験した1993年10月の「ドーハの悲劇」に象徴されるように、サッカーは天国と地獄が常に表裏一体で推移する。後者と遭遇する確率を可能な限り引き下げるために――“勝負の神様は細部に宿る”という精神をどんな状況になっても愚直に貫いた指揮官のぶれない心が、大輪の花を咲かせた。

文=藤江直人

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